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早朝と孤独

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「お客さんの気持ちはよく分かります。深夜を流しているタクシーには、少なからず、そんな露骨なやつもいますからね。それを思うと、私もお客さんには謝罪しかないと思うんですが」
 というので、
「いやいや、運転手さんのようないい人だといいんですけどね。私も長距離なので、さっきのタクシーにしてやられていれば、どんな車内になるか、想像は尽きますからね。それを思うと、絶対い乗りたいなんて思わないですよ。針のムシロに乗せられて、さらに金をとられたんではたまったものじゃありませんからね」
 と言った。
「本当にそうですよね。私が客の立場なら同じことを思いますよ。だから、我々もたまに客の気持ちになってみるというのが大切なことではないかと思うんですよね」
 といったのだ。
「なかなか、運転手さんは分かっておられると思いますよ。だから客もなるべくタクシー会社や協会のことを知っておくのも悪くないと思うんですよ。何しろ、いろいろなタクシー関係者だけで決められたしきたりのようなものが多いですからね」
 というと、
「ええ、お客さんの立場からすればそうでしょうね、タクシー関係者からすれば、当たり前のことだと思っていることも、実際にはそうではなく、これが当たり前のことなんだって思っていますので、それって、完全にこちら側のエゴでしかありませんからね。そういう意味では、お客さんには悪いなとは思っているところなんですよ」
 というのだ。
 ここまで、恐縮に話をしてくれると、乗っていても、あっという間に目的地に着くというもので、数千円はかかったが、先ほどの、酷い運転手に比べれば、マシであった。
 もしあの運転手から、
「ただでいい」
 と言われたとしても、
「誰がお前なんかに乗ってやるか」
 というほどの怒りがあったのだ。
「でもお客さんは、そこまで怒りをあらわにしないから大人の対応ができていますよね。これが酔っぱらいの客だったりすれば、殴りかかる人だっているかも知れないのにと思いますよ」
 と言われた。
「私だって、怒ることは結構ありますよ」
 と言って、一瞬考えたが、それは、数年前のことだったのだ。
 あれは、自分が急いでいて、会社が入っている雑居ビルの入り口を出てから、少し買い物を済ませて、ビルの前に戻ってきた時、一台の自転車が、いかにも入り口に入るのを邪魔するように止まっていたのだ。
 当たるつもりはなかったが、身体のどこかに触れたのだろう。自転車は転倒した。だが、こちらとしては、
「こんなところに止めているから悪いんだ」
 という意識があったので、そのまま放っておいてビルに入ろうとすると、後ろから声を掛けられ、
「おい、自転車ひっくり返しておいてそのままかよ」
 と、持ち主が近くから現れた。
 どうやら、近くで買い物をしていたようだ。
「お前がこんな邪魔になるところに置いておくから悪いんやろう」
 とこちらは、完全に自分に否はないという思いで、完全に頭に血が上っていたのだ。
 こちらからの完全な怒りの暴言だったのだろう。その男は冷静に聞いていたので、こっちが我に返って、
「言いすぎましたが、あんたが悪いことに変わりはない」
 というと、
「じゃあ、警察に届けよう」
 というので、警察が来るのを待って、事情聴取を受け、警察からは、
「弁償ということになるでしょう。お互いに連絡先を交換してください。物損事故として警察に記録されることになりますが、民事不介入なので、そこから先はそれぞれで相談してください」
 と言われたので、
「会社の名刺をください」
 と相手がいうので、
「ええ、でも、会社に事情をいうのだけはやめてくださいね。お互いに個人でのことですから」
 というと、
「ええ、言いませんよ。そんなこと。ただ、こっちは弁償してくれればそれでいいので」
 ということだったので、とりあえずは金銭的なことだけで、一安心だった。
 しかし、それから数日後、その男は約束を反故にして、会社に文句を言ってきたのだ。
「お宅の社員から「自転車をひっくり返されて、罵声を浴びせられた。夜も眠れないくらいに、ひどい」
 という因縁を吹っかけてきたのだ。
 そうなると、こちらは会社の人の指示に従うしかない。こちらの事情を聴かれて、ちゃんと話をしても、自分が罵声を浴びせたことに変わりはないので、何を言っても言い訳になる。自転車の位置を問題にしても、会社の人は聞いてくれない。後は任せるしかなかったのだ。
 それでも、会社の人は、うまくまとまるように仲介をしてくれ、最後には示談書を書くことで収まった。
 社長などからは、当然、注意を受け、訓告を受けはしたが、減棒になることもなく、ましてや、懲戒処分ということもなかった。
 それだけでもよかったと思えばいいのだが、何と言っても、相手の男が、数日でまったく裏を返して文句を言ってきたのは、開いた口がふさがらなかった。
 どうせまわりの人からそそのかされたのだろう。自分に都合のいい言い方をして、聞き手に大胆な発言をさせる。実に露骨で汚いやり方だ。
 ただ、自分も悪いのだ。
 相手が悪いと思うと、すべてこちらの思い通りになると思い込んで、怒りに任せて、状況判断ができないほどに、怒り狂った。それが、問題を大きくしてしまった自分の悪いところであると、感じた。
 あれから、なるべく、怒りを顔に出さないようにしようと思っているが、ここまでできてしまった性格をなかなか変えることも難しいだろう。
 それを思うと、いろいろ考えさせられるところはあるのだった。
 彼は、舐めを鏑木正嗣という。年齢としては、三十歳を少し超えたくらいで、これまで自分のことを、
「結構、怒りをあらわにする方だ」
 と思っていた。
 しかし、それは生まれ持った性格というわけではない。元々性格的にはおとなしく、人と喧嘩することを避けてきた方なのだが、内気な性格だといってもいいだろう。
 だが、それはあくまでも自分に自信がないからであって、一旦何かに自信を持つようになると、まわりに対して、その性格が強く押し出されるようになっていた。
 だから、自転車の事件の時もそうだったのだが、逆にいうと、怒りをあらわにする時の方が、自分に自信を持てる何かの実績がある時だということになる。
 それは彼にとって悪いことではないし、一つの性格だということであれば問題ないのだが、自転車事件のように、たちの悪い人間を相手にしてしまうと、
「俺の性格が災いしたのかな?」
 と感じられる。
 一応、事件は最後に示談書でうまく解決できたが、精神的には違和感があった。理不尽だといってもいいだろう、元々の現認を作った相手が、あくまでもこちらが悪いとばかりに罵声を浴びせてきて、会社という立場から文句が言えないということを狙った悪質な言いがかりは、まるでやくざ顔負けだといえるのではないか。
 ただ、こちら側にも悪いところがなかったわけではない。
 一番の問題は、最初にこちらに落ち度がないと思い込み、それを過信したことで、罵声を浴びせてしまったことだろう。
 途中で我に返ったが、自分が罵声を浴びせているのに、相手は我慢していたのである。その瞬間、
「これはまずい」
作品名:早朝と孤独 作家名:森本晃次