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早朝と孤独

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 ただ、弟も兄が寺を継ぐものだと思っていたので、最初は戸惑っていたが、幸いにも、兄弟でも年が離れていたので、今から寺を継ぐという思いになったとしても、別に襲いというわけではなかったようだ。
 何とか、お寺を継ぐということに問題がなくなったが、鏑木本人としては、いくら自分が言い出したことだとはいえ、目標を目の前で、自らが潰してしまったのだから、自分が悪いとはいえ、何をどうしていいのか分からなかった。
 恋人とも別れ、一人ぼっちになり、孤独を味わった。
 友達がいるとはいえ、完全に他人だということは自覚している。孤独を感じさせないだけの相手は、もはや自分のまわりにはいなくなったのだ、
 親からは、
「大学卒業するまでは、面倒見てやるが、あとは自分で」
 と言われていた。
 本当であれば、寺を継がないと言った瞬間に、
「勘当だ」
 と言われても仕方のないところを、さすがに、
「御仏に仕えるだけのことはある」
 ということであった。
 親がどう感じているのかは別にして、何をどうしていいのか途方に暮れてしまったのはしょうがない。とりあえず、就職活動をして、どこかの会社に入り込むしか仕方がなかった。
 寺を継ぐことしか考えていなかったので、それ以外の道など考えていなかっただけに、今さらどうすることもできずに、ただ、
「就職できるところ」
 を探すしかなかったのだ。
 ただ、その時の鏑木と同じような学生は意外と多く、専門的な勉強をしていたわけではないのに、漠然と行きたい業界を決め、そこを狙って就活をしているという人が多かった。そういう意味では、気が楽だといってもいいかも知れない。
 何とか、地元の商社に入社することができ、入社式での上司の訓辞を、どこか納得がいかないと思いながら聞いたが、実際に上司の言っていることが正解だったというのは、時間が経つにつれて分かってきたことだった。
「俺って、結構まわりに染まりやすいんだろうか?」
 と考えた。
 入社一年目のことであった。
 それが、二年、三年と過ぎていくうちに、仕事には慣れてきて、営業先でも、それなりに仕事ができるようになってきた。
「いつの間にか、仕事に慣れてきてしまっているんだな」
 と思い、それがいいことなのか、悪いことなのか、考えてみたが、考えること自体、ナンセンスな気がして、考えないようになっていったのだった。

                 大団円

「入社三年目になったけど、なるほど、三か月前にも同じことを思い出したっけ」
 というのを思った。
 入社式で言われた、
「三日持てば、三か月もつ」
 と言っていたことだった。
 確かに三日目に、
「次は三か月だな」
 と思い、そして、三か月後に、
「三か月が経った、次は三年か?」
 と思い、その時に、
「本当にちょうど三か月経って、三日目の時のことを思い出すなんてことがあるんだ」
 と思ったので、
「三年後にも同じ思いをするのだろうか?」
 と思ったが、まさにその通りだった。
 その間に、何度か、
「ああ、まだ三年経っていなかったな」
 と、三年目に思うであろうことを、ふと感じたことがあったが、感じたといっても、ハッキリとした感覚だったわけではないので、すぐに記憶から消えてしまっていたのである。
 それから、また三年が経ち、今度は、自分の気持ちに何となくであるが、余裕が出てきているのに気づいたのだった。
 ただ、その頃になると、会社では、同期の連中や、事務所の女の子たちの結婚ラッシュがあった。
 結婚すると、女子は、
「寿退社」
 をする社員が増えてきて、半年もしないうちに、女性社員のほとんどが入れ替わっていた。
「何か、寂しいよな」
 と、男性社員の一人が、漠然と言ったが、鏑木にはそこまでの感情はないはずなのに、
「言われてみれば」
 と思ったのだ。
 その寂しさは、別に孤独を感じさせるものではなかったはずなのだが、その時に感じた寂しさと、自分が知っている孤独感との間にギャップが存在しているのを感じると、その時に感じた寂しさというのは、自分が今まで知っていたはずの寂しさではないような気がするのだった。
「そうだ、この寂しさと感じているものは、虚しさなのではないだろうか?」
 と感じるものだった。
 虚しさというものが、どういうものなのか、今までに感じたことはなかった。寂しさと孤独に関してはその違いということで感じてきたが、虚しさというのは、また違った感覚であり、少なくとも、精神的なものと、肉体的なものとに別れるような気がしたのだった。
 そんな思いを抱きながら、その虚しさの正体が何であるかを考えていたが、ふっと思い浮かんだことがあった。
 いや、ふとなどと言ったが、最初から分かっていたことだというのは、言い訳だと思うと、ハッキリとしている。
 昔だったら、自分でこのような恥辱を理解し、納得できていたはずなのに、なぜ、年を取ってきているにも関わらず、自分が後退しているような気がしてくるのはなぜであろうか?
「そうだ。昔はお寺を継ぐつもりで、自分を見つめ直すということを真面目にやってきたではないか。今は、自分を見つめ直すことをしていない。なぜなら、お寺を継いでいないからだ」
 と感じた。
「お寺を継がないお前に、自分を見つめ直すなどということを今さら何を思ってそんなことを感じるというのだ」
 と、自問自答を繰り返した。
「俺は、寺を継がないと考えてから、俗世に堕ちたのだ」
 と、ずっと思ってきた。
 そして、俗世と言う中でも、底辺にいて、そこでもがくように生きるのが、自分の生き方だと思っている。
 だから、欲望というものを持ってはいけないと感じていたのだ。
 だが、虚しさというものを感じた時、
「欲望の欠片でも残っているのかな?」
 と思った。
 その時、思い出したのが、ギリシャ神話に出てきた、
「パンドラの匣」
 の話だったのだ。
 あの話は、寺を継ぐことを考えていた時、本で読んだりして、調べたことであった。
 確かパンドラというのは、女性の名前で、神が当時人類には存在していなかった女というものを作り、地上に遣わせたものだった。
 ただ、この、
「贈り物」
 は、神からの悪が送り込まれたことであり、彼女が持っている箱を開けると、そこから、ありとあらゆる不幸や災難が飛び出してくるという話であった。
 そして、その箱には、飛び去すことのないものが残ったという。
 それを、
「予言」
 というものだとすると言われているが、希望だという説もある。
 しかし、この希望というものは、実は、いずれ起こるであろう不幸を予言しているものだということであり、その不幸が起こるまで、ずっと怯え続けなければいけないという、
「期限のない恐怖」
 というものであった。
 そう、
「欲望の欠片」
 が、その時箱に残っていたとされる、
「希望、予言」
 であるとすれば、今から自分が欲望を満たそうと考えるのは、いいことなのか、それとも悪いことになるのか、それとも余計なことを考えない方がいいのか、一体どれなのだろうか?
作品名:早朝と孤独 作家名:森本晃次