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早朝と孤独

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 宇宙人の手によるものであるとされ、その時の科学班の人のセリフが印象的だった。
「恐ろしいことを考えたものです。人類の半分はタバコを吸っているんですからね」
 ということであった。
 実は、このテレビが放送された頃から、ちょうど、喫煙率というものが、調査され記録として残っているのだが、何と当時の日本人の成人男子の喫煙率は、八割を超えていたというのだ。
 今の数倍にあたる人口が、どこでもかしこでもタバコを吸っていたのだから、宇宙人が侵略作戦として考えるのも無理のないことであろう。
 その後、防衛軍と、正義のヒーローによって、宇宙人の企みは失敗した。そして、平和が戻ってきたわけだが、この宇宙人の目的というのが、
「我々は、暴力を好まない。だから、地球人同士が争うことを考えた。つまり、人類が互いに協力し合って生きていることに目を付けた」
 というのだ。
 つまり、そんな世界に刺客を差し向けたということなのだ。
 ただ、事件が解決し、最後にナレーターの人の開設が始まったのだが、そのセリフが興味をひくものだった。
「地球人の信頼性を利用するとは、恐ろしいことを考える宇宙人がいたものです。しかし、皆さんご安心ください。このお話は、ずっと未来のお話ですから。なぜって? それは、人間が今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信用していませんからね」
 という痛烈な皮肉を込めたエンディングだったのだ。
 この時は、麻薬効果のある、
「宇宙けしの実」
 というものを使って、人間を狂わせ、凶暴にさせた。
 それが、麻薬によるものだということであるが、これは、ジキル博士の開発した、
「まったく別の人格を作る」
 というものなのか、それとも、人間の中にある、本来持ちあわせていて、普段は抑えられているのだが、それを麻薬の効果によって覚醒させられたという、元からあった性格ということで、
「二重人格のもう一つが顔を出した」
 ということになるのであろうか。
 確かに人間には、本能的にまわりのものを怖がるという性質がある、そういう意味では、二重人格というよりも、、躁鬱症に近いといえるのではないだろうか。
 躁鬱症というのが、果たして二重人格なのかどうか。あるいは、二重人格が躁鬱症にいかにかかわっていくのかということを考えてきただけで、いろいろな発想が思いつくことになった。
 二重人格は、確かに自分の中に備わっているものであるということから、躁鬱症と同じで、躁も鬱もどちらも自分の中に潜在しているものである、
 そして、躁鬱症の場合も、二重人格の場合も、
「片方が表に出ている時、片方は静かにしている。意識することができない」
 という意味で、同じなのではないだろうか。
 だが、同じ人間の中にあるものだけに、まったく影響を与えていないということもないだろう。
 昼と夜だって、まったく違っているかのように思えるが、一日という時間の中で、毎日繰り返していることで、必然として、影響がないわけではない。夜が出現しない昼間であっても、夜の間に暖かければ、昼にもその影響はあるはずだ。実際には気象状況などが複雑に絡み合って、見た目は、まったく関係ないように見える。
「ん? 果たしてそうなのか?」
 と一瞬立ち止まって考えた。
 関係ないように見えているのではなく、関係ないように見せているという考えはないだろうか?
 気象変化を自然現象と捉えるのではなく、
「人間に、昼と夜の関係性を悟らせないようにするために、気象現象が働いている」
 という、かなり強引な考え方こそ、一種の、
「人間至上主義」
 なのかも知れない。
 逆に、
「人間至上主義というものが、傲慢な考え方だ」
 という戒めのような考え方から、
「まわりの自然現象は、人間の意志とはまったく関係のないものだ」
 という考えに至ることはないと考えれば、
「ここには、何かの見えない力が働いているのではないか?」
 と考えることもでき、下手をすると、人間が傲慢であったり、聞きに訪れる前触れではないかと思うようなことを、自浄する効果を人間自ら持っているのではないかという考え方自体が危険なのではないだろうか。
 とにかく人間というのは、自分に都合よく考えるものだ。
 それが二重人格であったり、躁鬱症のような、精神的なプレッシャーを感じさせるものに影響してくると考えると、不思議な気がしてくるのだった。
 ギリシャ神話において、人間界よりも上位にいるはずの、オリンポスの神々が、
「実は、人間よりも考え方が人間臭い」
 ところがあるというのは、実は、人間至上主義の逆の効果ではないだろうか。
「本当は人間よりも上位にいるのに、それでいて、人間臭いということは、人間の方が本当は優れているのではないかという考え方からきているとすれば、それはすごい考えではないだろうか」
 と言えるのである。
 前述の、
「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作り出すものなり」
 という言葉があるが、ここでいう神は、決してオリンポスの神ではなく、人間の都合で作られた神ではないということだ。
 では、飛躍した考えであるが、ここにある、
「知恵ある悪魔」
 というのが、人間が自分たちの都合で勝手に作り出した神なのではないかと考えると、
「オリンポスの十二神」
 などは、ここでいう、
「知恵ある悪魔」
 だといえるのではないだろうか。
 逆にいえば、
「神なき知恵が作り出したものも、また神であり、その神は、人間の傲慢さ、つまりは、都合によって作られたものではないか?」
 と考えたとすれば、ギリシャ神話というものが、
「人類を洗脳するためのものだった」
 という考えも生まれてくるのではないだろうか?

                  かすみ嬢

 そんな二重人格性があることを、大学の友達は見抜いているのか、鏑木を風俗に連れていった。
「お前のようなやつは、もう一人の自分の存在を知らないといけない気がするんだ。自分の中に隠していても、ロクなことにはならない」
 と言って、風俗に連れていった。
 今までの鏑木であれば、
「何をバカなことを言っているんだ」
 と一蹴していただろう、
 しかし、一蹴することができなかったのは、
「お前が抱え込んでいるものは、二重人格でもなければ、躁鬱でもない。自分の中に存在する思いを、いかに発散させるかということが大切なんだ」
 と、鏑木自身が、それまでにはなかった二重人格というものへの気持ちに気づいたからであろう。
 世の中の人で、自分が二重人格だと思っている人は結構いるだろう。しかし、何があるにしても、まずは自覚することがなければすべては始まらない。だとすれば、自分からというだけではなく、誰かがその道を切り開いてくれるのであれば、その誰かという存在はその人にとって、大切な存在であることは当たり前のことである。
 鏑木は、その友達の存在をありがたいと思っていた。
 それまで自分に自信を持つことができず。そのせいで、踏み出してもいいはずの一歩を踏み出せずにいるのだ。それを分かっているだけに、そんな人が自分のそばにいてくれることをいかに感じればいいのか、考えるまでもないことであった。
作品名:早朝と孤独 作家名:森本晃次