早朝と孤独
と鏑木がいうと、
「そうなんだな。じゃあ、自慰行為に走るようなことはなかったんだろうな。だけど、人間というのは、発散させなければいけないだけのエネルギーというものは持っているものさ。そのエネルギーがあるから生きていけるんだし、それに伴った成果もえられる。だから、その成果をさらに得ようとするんだ。それが快感というものさ。そして、その快感が性欲に結びついてくるものなんだよ」
と先輩から言われた。
「確かにそうかも知れない。人間は眠らないと生きてはいけないし、生きるために、心臓は絶えず動いているんだと考えると、君がいように、発散せなければいけないエネルギーの存在は信じられる気がするな。そして、その発散がどういうものなのかということも、何となく分かる気もする」
というと、
「じゃあ、君にも何かを発散させなければいけないというものを感じるのかい?」
と聞かれて、
「漠然としてではあるが、どういうものなのかって分かるような気もしているんだ。もちろん、言葉で言い表せればいいんだろうが、そういうわけにもいかなくてね」
というと、
「そんなものさ。それが性欲への第一歩のようなものさ。とにかく、発散させなければいけないものは、手段があれば、それを問うことはないのさ。言い方を変えれば、どんな手段を使ってもというところだね」
と、わざわざ、強調するかのような言い方をした。
それを聞いて、余計に、発散について考えるようになった。
「その発散させなければいけないものって、たぶんストレスだよね? 性欲というのも、ストレスの一種なんだろうか?」
というと、
「そうだな、ストレスとは違うように、俺は認識しているけどな。ストレスは何か外的に自分に対して、プレッシャーになることがあって、それに反発しようとする反応はないかと思うんだけど、性欲は元々存在しているものを表に発散させるものだからな」
と先輩がいうので。
「でも、きれいな人を見て、身体が反応するのが性欲だとするなら、その感覚って、外的な圧力なんじゃないかな? プレッシャーとは違うものだけど」
というと、
「確かにそうかも知れない。だけど、この場合は、プレッシャーか、それとも圧力下ということが問題なんじゃないかと思うんだ。それがそれぞれに近い者だったら、同じだといえるだろうし、遠いものだったら、少し違うものだって感じる。俺の場合は、遠いものだって感じるんだ。だから、ある意味、この問題に正確な回答というのはないかも知れない」
と先輩は言った。
それを聞いて頷いた鏑木だったが、
「性欲というものと同じかどうか分からないんだが、俺は今気になっている女性がいるなけどね」
というと、
「ほう、そうか、お前にもそんな女性が現れたか。これで朴念仁を卒業できるってものだ」
と、先輩はまるで自分のことのように嬉しそうにしている。
それを見て、
――よく、そんなに、人のことで感動なんかできるものだな――
と感じた。
今まで、自分のことでもないのに、よく人のことで感動したり、同感に感じることのできるといっている人の心境が分からなかった。
「本当にそんな気になれるのだとすれば、教えてほしい」
と感じるほどだった。
自分が坊主を目指している中で、そこに反対の気持ちなどないと思っていたが、たまに、
「俺のような男が坊主になんかなっていいものか?」
と思う時があった。
坊主というものが、本当はプレッシャーだったのではないかと思うと、その思いと性欲とが結びついてくるような気がして。先輩の言葉が時々浮かんでくるのだった。
その先輩は、性的な話には、結構詳しく、その手の話になると、自慢げに話をするので、他の人に聞けないようなことでも、気軽に聞けた。
逆に先輩は、それ以外のこと、一般常識や雑学的なことには一切疎かったので、そういう意味で、鏑木を頼ってきたのだ。
お互いに、winwinの関係だったといってもいいだろう。
そのおかげで、先輩からも、
「タメ口でいいぞ」
と言ってくれているので、二人だけの時は、敬語を話すこともなかった。
知らない人が見れば、同級生に見えるだろう。それくらい、お互いに気楽な付き合いだったのだ。
鏑木は結構雑学的なことは得意だった。
しかも、歴史的なことの雑学には結構得意で、それらの本も結構読んでいたので、話をするとそこから盛り上がるので、先輩はそんな鏑木に信頼を置いていた。
先輩も、実は歴史に関しては好きだといっているだけに、鏑木の話についてこれるほどの知識は持っていた。さすがに、好奇心が鏑木ほどないので、自分でいろいろ調べてみようとはしないので、鏑木からの情報が嬉しかったのだ。
鏑木は、先輩にもう少し好奇心を持ってほしいという気持ちを持っていた。最初は性欲などのような下ネタ系の話も、本当は苦手だったのだが、先輩の話をしている時の態度が自分の想像していた先輩の域に達していたので、それで嬉しくなって、自分の方から下ネタに乗っかるようになっていった。
まるで、
「ミイラ取りがミイラになった」
とでもいうかのように、いつの間にか先輩のペースに乗せられている自分を感じたのである。
だが、先輩の、話をする内容の中には、歴史にかかわる話など、鏑木にとって、優位になれそうな話もあった。その時は鏑木も遠慮することなく、どんどん話しかけるようにしている。
先輩は怒るどころか、鏑木が絡んでくれたおかげで、自分の話にも重みが出てきたことで、さらに自分の中にある別の知識に絡めて話すことができる。
別の知識と言っても、先輩が鏑木にかなうだけの知識はどうしても下ネタししかならず、それでも話題が膨れてくることは、お互いにありがたいことだった。
鏑木も先輩もお互いに相手に大いなる敬意を表し、話をしていることは、これ以上ないといえるほどの、二人にとっての独壇場なのかも知れない。
そんな話をどのように展開させるかということは、どちらが主導権を握るかということであり、それができるのは、鏑木だった。
いくら、下ネタ系の話を先輩が得意だといっても、やはり、羞恥心が少しでもあれば、なかなか言い出せない話なので、それをいかにうまく引き出すかということにかけては上手な鏑木が主導権を握っているのだ。
鏑木としても、
「聞くに堪えない話」
というどころか、興味津々な話であるため、鏑木にとっても、先輩にとっても、これほどの関係はないと言えよう。
鏑木には、
「話の主役が相手である」
と見せかけるようなテクニックがあった。
主導権を握りながら、あくまでも、
「話の主役は相手である」
と本人にも、まわりにも思わせることが大切だ。
「主役はあくまでも相手だが、主導権は自分が握る、そして、主役が自分であることを、自分だけでなく、まわりの人間にも認識させることが大切だ」
ということである。
この四つのうちのどれが崩れても、この関係は成立しない。
だから、主役と主導権を握っている人間が違うという設定は難しいのだ。
そんな会話をずっとしてきた先輩とだから、
「先輩には、他の人には言えないようなことでも話せる気がするな」
というのだ。