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架空小説の一期一会

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「それは、自分で気持ちを否定したいという思いがあるからはないのかな? ということは、君は自分の中で、それが不毛な恋だということを分かっているつもりでいるから、自分を納得させたいのか、それとも状況をすべて理解したうえで、もう一度、状況を組み立てたいのかおどちらかだろうね。だけどねどちらにしても、問題は君自身が自分が恋をしているのかどうか、そこに迷いがあるということさ、きっと、次に我に返ると、下手をすると、すべてを忘れてしまっているのが、怖いんじゃないかな? それくらい君は自分で分かっているということを、自分で理解しているのさ」
 と言われて考え込んでしまうのだ。
 彼は続ける。
「何もそんなに堅苦しく考える必要はないのさ。疑似恋愛と言ったって、しょせんは遊びなのさ。もっと言えば、恋愛と呼ばれているものだって、一緒の遊びなのかも知れない。ゲーム感覚で恋愛する人だっているだろう? 案外そんな男の方がモテたりするんだよ。だって、飾ることなく、自分をさらけ出しているだろう? 女の子というのは、そういう飾らない男が好きだったりするものさ。勘違い男というのは、女の子にとっては、有難迷惑以外の何物でもないのさ、下手にストーカーにでもなられたら、たまったものじゃないからね、癒しを与えてあげたいと思っている相手から苦しめられるなんて、それこそ、本末転倒なことさ」
 というではないか。
 相談している方の自分は、自分からの、そんな冷静な意見を求めているわけではない。どちらかというと、
「自分なんだから、もっと自信が持てるような、背中を押してくれるような意見を言ってほしいんだ」
 と考えている。
「そんなに俺から何か自信をつけさせてほしいのか?」
 という。
 さすが、もう一人の自分だけのことはある。何を考えているかお見通しというものだ。しかし、
「そんなことできるはずないじゃないか。俺はお前なんだ。お前が考えていることが、俺の限界なんだ。逆にお前の方が、俺にはない何かを持っているのさ。それが、可能性というものなんじゃないのかな?」
 というではないか
 さすがに、自分の理論的な思考を語らせれば、きっとこの自分しかいないだろう。
 そう考えていくと、まるで夢を見ているかのようなこの感覚。このまま、もっと見続けていたいと思うのだが、夢というのは、そう思うと覚めるものだと相場が決まっている、考えてはいけないことだと思えば思うほど、考えないわけにはいかないようだ。
 この場合も、田舎者と都会の人間との会話のように、それぞれの立場に優位性があるか? などということが問題ではない。自分たちが、どの土俵に立っているのかということが大切なのだ。。
 今の状況であれば、女性の立場は、自分の中の狭いテリトリーにしかない。男性側の方が、たくさんの土台を持つことができる。
 もちろん、女性も未来においてはそうなのだが、現時点では、
「客と嬢」
 という関係に、お金が絡んでいる以上、女性側のテリトリーは狭い場所にしかないだろう。
 しかし、余計に、女性の側が守られるべきにその居場所があるべきなのだ。本来なら、
「そこまで勘違いをする男を作ってしまうほど、彼女が癒しを与えているということなので、彼女が間違っているわけではない。すべてを分かっていて、それでも、自分の気持ちに正直になるのであれば、それも一つの道なのだろうが、どうも気持ちが中途半端にしか思えない。
 相手のテリトリーが狭い範囲でしかいられないのであれば、男には、ニュートラルな部分がなく、そのテリトリーを一歩でも出れば、完全に未知の世界である。
 まわりはおろか、本人にもどうなるか分からない。
「普段は冷静沈着な人間が、一歩自分のテリトリーの外に出れば、自分を抑えられなくなる」
 というのを、聞いたことがあるだろう。
 要するに、
「抑えが利かなくなる」
 ということだ。
「何を言っても、言葉が届かない。まるで耳栓をつけているようなものではないか」
 と考えてしまうと、一度外れたタガを、元に戻すのは至難の業ではないだろう。
 だから、勘違い男は、ひょっとすると、途中から自分が、間違っているというのか、無理を押し通そうとしているということを分かっているのかも知れない。
 しかし、分かっているだけに、ここまでくると抑えが利かなくなる。それは、
「ここまできたら、精神状態がおかしかったんだということで、病気を装って、ここを乗り切るしかない」
 と思うだろう。
 かなり無理はあるが、少なくとも彼女にだけは理解してもらえれば、それでいいとお者だが、彼女の方でも、ここで許してしまうと、また調子に乗って、今度は他の子にも同じようなことをしかねない」
 ということになり、責任は自分にあるとして、ずっと、十字架を背負っていくようになるのではないかと感じるのだ。
 十字架を背負うということは、自分の行動範囲も狭くなっているそのうえで、さらに十字架を背負うということであり、
「泣きっ面にハチ」
 と言ってもいいだろう。
 一度、道を踏み外すと、なかなか元の道に戻るには、かなりの覚悟と努力が必要なのだが、踏み外した部分をしっかり補強しておかなければ、また同じことを繰り返してしまうだろう。
 そもそも、自分は、まわりの人に忖度はできるのだが、さらにそのまわりの人たち、自分とほとんど理解関係のない人間に対しては、ほぼ感情を持っていないといってもいい。
「どうせ、もう会うことなんかないんだ」
 と思うと、
「何したっていいじゃないか」
 と思うのだった。
 ただ、そんな考えを持った時に限って、
「いつまたどこでその人に遭うか分からないんだから、中途半端なことをしてしまうと、ロクなことにならない」
 と、まるでこちらの気持ちを見透かしたかのごとく、言われるのである。
「こいつは千里眼か?」
 と思わず、口から出そうになったのをやっとの思いで抑えて、また考え込んだ。
「そんなことをいちいち考えていたら、ストレスがたまる一方じゃないか、ストレスを貯めて、身体を壊すくらいなら、相手にぶつけた方が、よほどいい」
 と考えるのは、いけないことなのだろうか?
「ストレスを貯めないように」
 というくせに、爆発もできないのであれば、どうすればいいというのか?
 人間が、会いたくないと思っている人に再会する確率というのは、どれくらいのものなのだろう?
 普通に考えれば、ほぼ確率的にはないものも同然であろう。
 では逆に合いたいと思っている人と会える確率と比べるとどうなのだろう? 運命というもので考えると、会いたくない人に遭う方が確率的には多い気がする。それだけ、
「運命というのは、悪戯が好きなものだと思えるからだ」
 問題の一つは、相手があることだから、こちらが遭いたいと思っている人の方が、どう思っているかである。
 相思相愛であっても、お互いに連絡先を知らなければ、会える確率はほぼ、低いのではないだろうか。お互いに意識して探していれば別だが、相手の顔の記憶力にどれほどの信憑性があるかということも一つだが、記憶している顔が、
「自分に対しての感情」
 による表情であれば、余計に分かりにくいのではないだろうか。
作品名:架空小説の一期一会 作家名:森本晃次