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架空小説の一期一会

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「好きなものから先に食べるか、最後に残しておくか?」
 という感覚である。この場合は、石橋を叩いて渡る性格であれば、最後に残しておくのではないかと思い、逆であれば、先に好きなものを食べようと考えるおではないだろうか?
 それを考えた時、
「自分なら、逆なのかも知れ会い」
 と感じる作者であった。
 作者としては、好きなものを最後にとっておくタイプである。ただ、理屈からいえば、逆のはずだと自分でも思うのだが、なぜ、このように思うのだろうか?
 タイ焼きだってそうだ。最初に尻尾の方から食べる。それは、
「あんこの入ったおいしい部分である頭の部分を最後に食べたい」
 という思いがあるからだった。
 だが、本能的には、好きなものを最後に起こしたいと思うのだが、理屈から考えると、先においしいものを食べた方がいいような気がする、
 なぜなら、一番おいしく食べられるはずの空腹時に、つまり最初においしいものを食べるのが一番いいと思うからだ。
 しかし、それができないと思う一番の理由は、
「最初においしいものを食べてしまうと、そのあとは、一気に味が落ちるということを分かっているからだ」
 ということであった。
 最初にそれほど好きでもないところから食べた方が、味を漫勉なく味わえて、最後まで嫌な思いもなく食べることができるからだと思うからだ。
 最初に最高のものを食べてしまうと、どんどんそこから味が落ちていく。そうなると、最後まで食べ続ける自信がないと思うのだ。
 特に最初に一番おいしいところを食べてしまうと、そこで満足感に浸ってしまい、そこからは、惰性になってしまうのではないかと思うからだろう。
 そう考えると、
「最後まで食べれなければ、どうしよう」
 と考えるのだ。
「だったら、残せばいいじゃん」
 と言われるだろう。
 自分もそういわれて、
「確かにそうだ」
 と感じるに違いないが、
「残したら、もったいない」
 あるいは、
「残したら怒られる」
 という、どちらにしても、子供の頃なら感じるであろうことを、その時に感じてしまうのだ。
 だから、
「残せばいい」
 という発想は、その時の自分の中には存在しないのだ。
 普段は冷静に考えることができるくせに、その時、選択肢を狭めていることにも気づかないほど、自分の中では冷静ではないのか、理論的に考えるよりも、本能が優先するかのような気持ちになるのかも知れない。
 とにかく、自分の中で矛盾が起こっていることに気づくには、冷静に考えているという、さらに奥で、もう一度冷静にならなければ分からないことなのだろう。
 それは、まるで、マトリョシカ人形のように、
「人形を開けると、また中から人形が出てきて。さらにその人形を開けると……」
 というように、無限に続くループを思わせるものであった。
「限りなくゼロには違いが、決してゼロにはならない」
 というあのマトリョシカ人形のようにである。
 そういう意味で、いつもは、あまり気にせずに判断していることであれば、一見、矛盾した行動や、性格が出てくるものなのかも知れない。
 そこには、結界のようなものがあり、自分でも気づかないが、意志としては超えられないが、意識として超えられるのではないだろうか。
 その時に意識として感じることは、あくまでも、本能だと判断する時に感じていることなのだろう。
 そのように、
「本能や性格」
「意識と意思」
 のような感覚が微妙に違ってしまったことで、表に出てくる性格に矛盾を生じ、
「お前って、本当に分かりにくいやつだな」
 と言われてしまうことも往々にしてあるというものだ。
 これは、親から受けた教育によるものなのか、それとも、自分で最初から、言い訳を考えての行動なのか分からないが、たまに自分のこんな性格が嫌になることがある。
 普段はまったくそんなことはないのだ。
 ただ、飽きるまで食べ続けるという性格も、好きなものは最後まで残しておくという性格も、親とはまったく正反対のものだった。
 だが、子供の頃、まだ、十歳未満の頃までは、親の考え方に寄せられていたような気がする。
 さらに、食事の好みも親とはまったく違っているのに、親が食べる食べ方を強要されるので、子供お頃は食べれなかったものが結構あった。
 しかし、中学くらいになると、友達と一緒に食べるようになり、その時に、
「食べ方なんて、自分の好みで食べればいいんだ」
 と初めて気づいたものだった。
 例えば、本人は酢が嫌いだったのだが、親は、酢が大好きだったようで、餃子のたれに、さらに酢を入れて親は食べていた。
 子供としては、臭いだけで吐き気を催してきそうな感じなので、
「餃子なんか、大嫌いだ」
 と思って、実際に、餃子を食べたことはなかったのだ。
 だが、友達の家で餃子をごちそうになった時、餃子のたれとラー油だけで食べてみたのだが、
「これはおいしい」
 と思わずいうと、友達とその母親はビックリしたように、
「餃子を初めて食べたの?」
 と聞かれたので、
「はい、今までは嫌いだと思っていたので食べたことがなかったんです」
 というと、
「じゃあ、今日は無理して食べたということなの?」
 と友達お母親に聞かれたが、
「いえ、そうじゃないんです。餃子をつけるたれに、酢を入れなくてもいいんですえ?」
 と聞くと、
「そうよ。元々、たれには酢が入っているので、そこにわざわざ酢を加える必要なんかないのよ。ひょっとして、酢が嫌いなの?」
 と聞かれたので、
「はい、僕は酢が嫌いなんだけど、親は。たれにさらに酢を入れて、それだけで部屋の中に酢の臭いと、餃子の臭いとが入れ混じって、吐き気がしてくるくらいだから、もうそれだけで、食欲なんて、一変に吹っ飛んでしまったんです。だから、僕は餃子っと、親が作るたれで食べるものだって思い込んでいたので、餃子はずっと嫌いだったんです」
 というと、友達と、友達の母親は顔を見合わせて、
「それはかわいそうだったわね。でも、食べ方なんて人それぞれなんだから、自分がおいしいと思う食べ方をすればいいと思うのよ」
 と言われた。
「そうなんですね。以前、鍋をした時があって、その時、ポン酢を使ったたれで食べたんだけど、僕が酢が嫌いなので、ポン酢を入れずに、鍋のスープだけで食べようとしたんだけど、怒られたんですよ。変な食べ方をするなってね」
 というと、友達はため息をついて、
「もし、お母さんがそんなことしたら、俺はグレたかも知れないな」
 と言って、ニヤけた表情で自分の母親を見ると、母親は、睨み返したが、その顔は別に怒っているわけではなく、納得の表情が浮かんでいたようだ。
「そんな食べ方まで押し付けられたら、息が詰まっちゃうよな。食事なんて好きなように食べればいいのさ」
 と友達がいうと、母親の方も、
「まあ、この子のいうのは、少し大げさだけど、でも、実際はそうよ。親だからって教育と押し付けをはき違えちゃいけないと思うわ。これじゃあ、まるで、王様の英才教育みたいじゃない。私には理解できないわ」
 と、言ったが、他人の家庭のことをそこまでいうのだから、この話を聞いて、内心は、気分が相当に悪かったに違いない。
作品名:架空小説の一期一会 作家名:森本晃次