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架空小説の一期一会

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 何も名前が残ることだけが偉大だと言っているわけではない。初代以降は、起業に関しては関係なく、
「生まれながらにして社長が決まっている」
 というようなところが多い。
 もちろん、同族会社に限ってのことであるが、昔はそういう会社が多かったではないか。
 今の時代は起業するどころか、会社を存続していくのが難しい。だが、やはり一番難しいのは、起業することだろう。
 少なくとも、まわりからの信頼を得なければ、一番大切な資金が手に入らない。誰が好き好んで、生まれたばかりの海のものとも山のものとも分からないものに、融資をするというのか、融資先が決まって、さらに、取引先も決まって、そこから、起業計画を立てる。そして、承認を得て、会社を設立。そこからやっと、事業を回転させることができるのだ。
 二代目以降は、軌道に乗っているものを引きついて、いかに衰退させずに、少しでも成長させるかということに集中する。それはそれで大変なのだが、起業に関しては意識しないでいいだけに、初代の苦労は知らないことになるだろう。
 しかし、同じ職種で、初めてその業種に乗り出した人は、根拠も信憑性もないものに手を出すわけだから、それは大変なことであろう。
 何と言っても、信用がないのだ。
 業種に対しての信用もなければ、自分に対しての信用もない。そのどちらも同時に得なければいけないということで、今の時代では、なかなかできることではないに違いない。
 かつての、先駆者たちは、しっかりとした考えを持っている。まるで武人のように、しっかりとした考えを持っていて、ビジョンもしっかりとしていて、さらにその道を究めることに、ブレることはなく、自分の人生を伝記にして残すことができるくらいの才能があったりするのだろう。
 そんな先駆者、パイオニアと呼ばれる人たちが今までにたくさんいたことだろう。
 おとぎ話にしても、神話にしても、誰が書いたのかということは残っていなくても、実際に編纂した人がいて、物語を作りあげたのだ。
 確かに、口伝をまとめただけかも知れないが、その人の中に感じるものができなければ、口伝をまとめようとは思わないだろう。
 そして、その話はフィクションであることは間違いないのだが、いかにも実在した話であるかのように作ることが、
「話を作り上げる」
 というフィクションにも負けないものなのではないかと思うのだ。
 ということは、
「古代で、交流がないにも関わらず、似たような話を書けるというのはどういうことか?」
 という疑問もあるのだが、天才というものが、似たような発想を持って生まれたものだとすれば、その話がフィクションであればあるほど、同じような話を考える人が偶然いたとしても、不思議ではない気がする。
 しかも、古代という時代的には、かなり幅の広い時代範囲なので、余計にあり得るのではないだろうか。ひょっとすると、
「それだけ人間の頭の中の構造は、思ったよりも、限界が狭い範囲で存在しているのかも知れない」
 と考えられるのだ。

                テレビ界とアンチファン

 世の中には、ファンがいれば、必ずアンチのファンというのも存在するもので、特にスポーツなどのチームには、よくあることである。
 日本でいえば、プロ野球であったり、Jリーグサッカーなどがその一つで、最近ではバスケットやバレーなどもプロ化したことで、特に、
「地元に根差したチーム」
 というのが、増えてきているのだった。
 アメリカなどでは、
「三大メジャーすぽー津」
 ということで、MLB,NBA、NFLと言った、野球、バスケット、アメリカンフットボールなどのチームが、地元密着型で存在している。
 日本では考えられないが、メジャースポーツの中には、
「夏の間は、MLBのチームと契約していて、冬季になると、NFLで活躍する」
 という選手も少なくはない。
 なぜなら彼らは、学生時代スポーツをする時、最初から、どのスポーツをするということを決めずに、野球部に所属しながら、バスケット部で活躍するというような、マルチプレイヤーが多い。大学を卒業してから、どちらに行こうか迷っていると、ドラフトに掛かったので、野球を目指す。あるいは、バスケットを目指すといって、プロ入りの際に決める人もいる。
 要するに、スポーツで頂点を掴めるくらいの実力のある人は、それだけ運動神経が優れているということであり、どんなスポーツもこなせるということになるのだろう。
 どうして日本人には、そういう考えがないのかというと、一つは、
「昔は、プロというと、野球しかなかった」
 という考えと、また、
「日本人と欧米人とでは、そもそもの身体の作りが違う」
 というのもあるだろう。
 欧州や南米などではサッカーが盛んだったりするので、日本でJリーグができるまでは、プロになりたければ、ハングリー精神と裸一貫のつもりで、外国に乗り込むくらいでなければやっていけなかっただろう。
 実際にJリーグができた時、最初の頃の選手は、そうやって外国でやっていた選書を引き抜いてきたりもしていたであろう。
 あの頃のフィーバーは今思い返してもハンパではなかった。
 入場券など、ほとんど手に入ることもなく、一番のピークの時には、入場券を巡って、殺人事件が起きたくらいだったのだ。
 そんな時代を思い起こすと、翌年からブームがまるで、蜘蛛の子を散らしたかのようにサーっと消えていったのは、意外であった。
「殺人事件まで起きたのに」
 というくらいで、
「一過性のブームだった」
 というには、殺された人は残された遺族には、代償が大きすぎたに違いない。
 そんなJリーグであったが、プロ野球とはその経営方針に大きな差があった。
 プロ野球というのは、基本的に、経営会社は一つである。中には、共同で経営しているところもあるが、昔から一つというのが主流であった。
 ドラマやバラエティにおいて、スポンサーの一社提供というのは、ほとんどない。それでも、プロ野球が尊属できているというのは、すごいことなのだろう。
 昔でいえば、鉄道会社、映画会社、などが多かったのだが、今では、大ナンス会社であったり、IT企業と呼ばれるものが進出してきたりと、時代の違いを感じさせるが、今も昔も変わりないのが、新聞社であったり、食費会社などである。
 そんなプロ野球も、アメリカのMLBを目標に形成されていったのだろう。
 プロ野球が、百年以上の歴史があるにも関わらず、その後にできたJリーグサッカーのプロ化というのは、実はまだ、三十年も経っていないのだ。後二年くらいでやっと三十年ということで、平成になってからできたものなのだ。
 経営体制は、プロ野球とはかなり違っている。リーグの理念としては、
「ワールドカップで通用するような選手を育てるという意味での、リーグによる選手のレベルアップと、地元に根差した組織づくり」
 が理念となっているのだ。
 つまり、プロ野球では考えられなかったようなことが、Jリーグでは起こっているのだ。
 一つは、運営会社の複数化である。
作品名:架空小説の一期一会 作家名:森本晃次