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架空小説の一期一会

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 という叫びとともに、後ろを振り向いてしまったため、彼女は、塩の柱にされてしまったという話である。
 この時の滅亡の原因は、天から下された硫黄と火によって滅ぼされたということであるが、イメージとしては、まるで核兵器のようなイメージもないわけではない。
 この村の伝説も、
「振り返ってはいけない」
 と言われているのに、振り返ったことで、バツを受けるという、
「見るなのタブー」
 の話である。
 そうやって考えると、この、
「見るなのタブー」
 というのは、世界各国、しかも古代において言われ続けたものであり、それぞれの文明がまだ知られていない中でも存在しているというのも、不思議な感じだ。
 それこそ、世界の七不思議と言われる、
「クフ王のピラミッド」
「ナスカの地上絵」
 など、空中から見なければ分からない正確な幾何学をどうして作り上げることができたのかということである。
 それを言えば、日本でも古墳時代にたくさん作られた、前方後円墳も同じことで、そこにも、調べれば調べるほど、精密な幾何学が絡んでいるというではないか。
 この、
「見るなのタブー」
 とされる、浦島太郎の話もそうである。
 あくまでも、文章として実際に残っているのは、室町時代に編纂された、
「おとぎ草子」
 というものが、伝わって、
「浦島太郎」
 という話になっているが、それ以前から、口伝という形で、それぞれの地方に伝わっている話を編纂したのが、
「おとぎ草子」
 ということであれば、元々の話は、室町時代から、さらに昔にさかのぼるうことになる。
 いわゆる、
「ウラシマ伝説」
 と言われるものだが、それぞれの地域に、微妙に違う形で残っていて。
「これも浦島太郎の話の減刑だ」
 と言えるものが、いろいろな地域に起こっていると考えると、古代から言われていたことだといってもいいかも知れない。
 しかも、ウラシマ伝説には、カメの話であったり、乙姫や竜宮城の話が単独で残っているところもある。やはり、それらの話は、おとぎ草子を編纂する際に、作者が、全国を巡る巡って、探してきた話を総合したフィクションなのではないだろうか。
 桃太郎の伝説も全国には多く、桃ときびだんごという繋がりで、岡山県を押す説が有力であろうが、
「鬼が島伝説」
 だけに限っていえば、沖縄や鹿児島などの離島だったと言えなくもない、
 そもそも鬼ヶ島というのが、流罪の島だという発想もまんざらでもないと思えるからだ。
 特に鹿児島県には、鬼界が島というのがあり、平安時代に、鹿ケ谷の陰謀を企てた、俊寛僧都と呼ばれる僧侶が流されたのが、鬼界が島だという。
 そんなところに鬼がいたという話があっても不思議ではない。そういう意味で、瀬戸内海の孤島が、罪人と海賊の子孫の島ということで、探偵小説の舞台として描かれたのも、この伝説からなのかも知れない。
 岡山県にゆかりの瀬戸内海というのも、作者からすれば、まんざらな話でもなかったのかも知れない。
 そうやって考えてみると、
「果たして、おとぎ草子に書かれている話の一番古いものって何なのだろう?」
 と考えてみたりもするのだ。
 かつてのおとぎ話的な話として残っているもので一番古いものは、
「竹取物語」
 だという。
 これも、そもそも各地に残っていた話を総合的にまとめたものだという話もあるので、下手をすると、実際に残っている物語を、さらに総合して出来上がった話などもあったりすると、何が元祖なのか分からなくなるのではないだろうか?
 それこそ、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
 というマトリックスのような話になりかねないからだ。
 しかも世界各国に似たような、話が散らばっていて、しかも、そこが、おとぎ話や神話の根源の部分のように思うと、
「昔には、今をもしのぐような文明が出来上がっていたのかも知れない」
 という、都市伝説的な話もまんざらでもないように思えてならないのだ。
 となると、
「一体、どの話が、元祖だというのだろうか?」
 ということを考えたくなるのは、作者のくせのようなものだった。
 それは、
「何事も、最初に始めた人が偉いんだ」
 という考えを持っているからであって、いくらその後に改良を加えて、最高にまで仕上げた人が、それから出てきたとしても、
「最初に始めた人には絶対にかなわない」
 という思いは、絶対な感情だったのだ。
 確かに、最先端の技術までい仕上げた人も確かにすごいのだが、何もないところから、作り上げた人にかなうわけはない。
 それが、モノづくりというものが、どれほどすごいことなのかということを感じたことがある人間であれば、誰もが感じることであろう。
 絵を描くにしても、音楽を作曲するにしても、彫刻を作り上げるにしても、小説を書くにしても、すべてのクリエイトは、その先駆者には適わないという発想である。
 ただ、ほとんどのものは、すでに作られていて、一番になることはできない。一番というのは、てっぺんという意味と同時に、最初に手掛けた人だということである。
「将棋の一番隙のない布陣というのは、どういうものなのか分かるかい?」
 と聞かれたことがあったが、答えられなかった。
 しかし、考えてみれば、分かっていたことではないかと思う。そう答えてしまって、もし違ったら恥ずかしいなどという発想と、
「一番最初に手掛けた人が一番偉い」
 という発想が結びついて、自分の中で。
「認めたくない」
 という思いがあったのかも知れない。
 それを思うと、その答えを導き出せなかったのだが、
「分からない」
 と答えると、相手は得意がって、自分が最初に思ったことを言ったのだった。
「最初に並べたあの形なんだよ。一手打つごとに、そこに隙が生まれる。つまり、最初は最強だということなんだ」
 と言われると、自分がどうして答えられなかったかということを、身に染みて感じたのだ。
 やはり、
「一番最初が何と言っても一番なのだ」
 ということになるのである。
 そういう意味で、発明家であっても、科学者であっても、最初に何かを作り出し、あるいは、見つけ出した人は、その後に何をしようとも、その人には適わないと思っている。
 ただ、それは発明発見に限ったことではない。事業家であってもそうだ。何かを最初に始めた人はすごい。その後にいくら似たような店ができようとも、彼らの名前は残らない。よほどの奇抜なものであれば別だが、それほど奇抜なものであるということは、もはや、別の事業と言ってもいい。そういう意味で彼も創始者になるのだ。
 初めて何かを始めた人は、先駆者と呼ばれ、その業界では永遠に名前が残るのだ。もちろん、その業界という意味でもそうなのだが、一つの会社を興すのもそうである、
 起業者として、
「初代」
 としての名前は、いかにその後全盛期が来ようともかなわないのだ。
 室町幕府の、足利尊氏しかり、最盛期の三代将軍義満よりも、そして江戸幕府においての、徳川家康しかり、これも最盛期が奇しくも三代目となった家光よりも、先駆者として、そして、
「初代将軍」
 という意味で名前が残るのだ。
作品名:架空小説の一期一会 作家名:森本晃次