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奴隷世界の神々

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 ということで、市民一人一人の心の中に潜んでいることであろう。

                弱肉強食の神

 さて、次に信じられている神としては、
「弱肉強食の神」
 というのがある。
 これこそ、この奴隷の土地にふさわしい神であり、それらしい名前の神だといってもいいだろう。
 弱肉強食というのは、その名の通り、
「弱ければ、相手の肉にされ、強ければ、自分が、相手を食うことができるというものである。
 これは、この土地だけに言えるものではなく、全世界共通のことである、間違いなく、この神が、一番、全世界に共通している神であり、そして、そのくせ、世界の他のどこにも存在しない神であろうということであった。
 悪く言われることはあっても、よく言われることはない。弱肉強食というものは節理であって、決まっていることだといってもいい。
 誰が考えても、理屈に合っている逆らうことのできないものなのだ。それを分かっているから、誰もが、
「自分が強者になって生き残る」
 という理念を持って、
「決して弱者にならないようにしなければいけない」
 と思うのだった。
 そのためには、自分が強くなければいけない。それは、身体や技量だけではなく、精神的にも言えることだ。身体や技は鍛錬で鍛えることができるが、精神的なものは難しい。頭を鍛えるのであれば、勉強に励めばいいのだが、勉強がそのまま精神の強化につながるとは限らない。
 精神の強化につなげるためには、
「自分自身に、自信をつけなければいけない」
 というものである。
 いくら勉強をして知識を得ても、それを使いこなせなければ、宝の持ち腐れである。
 さらに身体を鍛え、そして、鍛錬したとしても、あくまでも、訓練で得たものでしかない。
 つまり、実践になると、頭も一緒に働かないと、一瞬の判断が遅れてしまう、その一瞬が生死を分けるのだ。
 だが、普段から、なぜ身体を鍛え、勉強に勤しむのかというのは、
「とっさの判断をしなければいけない時に、本能的に動けるように、普段からの鍛錬が必要であり、その判断を間違ったものにしないようにするのが、勉強であり、
「普段からの自信をつけておくことが、自分を守ることになる」
 ということを、きっと教えてくれることだろう。
 その鍛錬を、
「生きている証」
 だと思っている人たちがいる、
 それが修行僧のようなものであり、仏教の世界では、
「菩薩」
 と呼ばれる人たちなのだろう。
 ただ、世の中は、古代より、弱肉強食が行われてきた。小さな国が、次第に一つにまとまり、国家を形成するようになったというのも、弱肉強食のたまものであると、言えるのではないだろうか。
「弱い者は、強いものに虐げられ、強いものは弱いものを支配する」
 ということであるが、実は中世における封建制度というのは、そうではなかった。
 確かに君主と、配下のものがいる形になるのだが、その関係は、一方通行ではない。
 主君は、配下のものの土地や財産を保証するかわりに、配下のものは、主君が戦争をするといえば、一定数の兵隊を出して、協力をする。そして、保証してくれた土地に対しての一定のものを年貢として差し出すことになるのが、封建制度というものだ。
 そういう意味で、封建制度における体制の崩壊というのは、君主が、配下のものへの約束を果たせなくなった時に生まれることが多い。
 特に戦争をして、勝利を得たとしても、外国の敵であったりして、侵略から国を守っただけであり、相手の領土を獲得したわけではないので、褒美としての土地を与えることはできない。
 配下とすれば、自分たちを犠牲にしてまで君主に尽くしたのに、何も得られないと、当然不満も出てくるというものだ。
 ということになれば、君主は、絶対的な力を持っていないと、あっという間にクーデターを起こされ、政府が崩壊してしまうことになるだろう。それが鎌倉幕府だったのだ。
 また、君主が奢ってしまい、配下のことを考えずに好き勝手にするのも、国を亡ぼす原因である。それが室町幕府だったのだ。
 そして、江戸幕府の場合は、時代の流れに乗れなかったというのが原因ではないだろうか?
 キリスト教の布教という侵略行為に対抗し、おこなった鎖国であったが、諸外国は、日本にも植民地開拓の嵐を吹かせようとした。
 最初は、攘夷ということで、外国を打ち払っていたが、そのうちに、海外には逆らえないことを悟り、富国強兵政策で、海外に対抗するためには、倒幕しかないと考えた。
 それが、江戸幕府滅亡の直接的な考えであるが、実際には、他にも複座yすな事情があった。
 そういう意味では、鎌倉幕府も、室町幕府も滅亡までに、いくつもの伏線があったことだろう。
 鎌倉幕府などは、元々、源頼朝と、その親族である北条氏、さらには、東国武士団によって成立した幕府で、
「いよいよ、これからは、土地の保障に基づいた武家政治の始まりだ」
 ということであったのだが、まずは、将軍となった、頼朝から、いきなり土台が危うくなっていたのだ。
 平家を滅亡させ、奥州藤原氏を平定することで、幕府を盤石にした頼朝だったが、やはり、彼であっても、親族が可愛いということで、息子をかわいがりすぎた。それによって、息子の頼家は増長し、しかも、その奥さんの実家にあたる、比企氏が勢力拡大を図ってくる。
 頼家の蛮行に怒りを感じた母親の北条雅子は、頼家を幽閉し、切腹させてしまう。
 さらに、三代将軍の実朝に至っては、政治には興味がなく、文化人だったこともあり、御家人たちに利用される可能性もあったのだが、頼家の息子に、
「お前の父親を殺したのは、実朝だ」
 と言ってそそのかし、実朝を暗殺させた。
 そして、その暗殺した頼家の息子を、謀反人として処刑することで、源氏が途絶えてしまい、源氏の幕府はなくなってしまった。
 執権であった北条氏が、その後やりたい放題となるのだが、それは、最初からの北条氏による筋書きだったのかも知れない。
 とりあえず、皇族から将軍を迎えるということで、幕府は存続したが、皇族としてのお飾りに、将軍が務まるわけでもない。執権である北条氏が鎌倉幕府を支えたのだが、このような、
「将軍家の度重なる暗殺」
 というのは、社会主義における、
「粛清」
 に似ているのではないだろうか。
 社会主義と封建制度はまったく違うものである。
 社会主義というのは、資本主義の限界を超えた、
「理想の社会」
 として考えられたものだ。
 資本主義というのは、基本は自由競争で、国家は競争に介入することはなく、市場は自由な競争で形成される。
 しかし、それによって、経済の発展は叶ったのだが、そのための弊害として生まれたのは、
「貧富の差」
 であった。
 それこそ、弱肉強食の世界であり、
「力のあるものは、力のないものを食って、自分だけが大きくなる」
 というのだから、当然のことである。
 そこで考えられたのが社会主義であり、
「社会主義というのは、自由競争をやめて。国家が経済をすべて管理する。つまり企業はすべてが国営で、その利益は国民に平等に分配する」
 というものだ。
作品名:奴隷世界の神々 作家名:森本晃次