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奴隷世界の神々

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 つまりは、殺人教唆に当たるということである。
 ただ、現在の刑法としては、
「殺人教唆」
 は、殺人罪に当たるだけの重い罪であるが、戦国時代には、違った考えがあったかも知れない。
 しかし、人を脅迫して犯罪を犯させるというのは、
「犯罪を犯したものは、地獄に落ちる」
 と言われるような宗教の世界では、
「教唆罪」
 というのもれっきとした戒律の一つなのではないだろうか。
 ただ、この奴隷の国の法律は、付け焼刃的なところがあるので、どうしても曖昧なところが多い。
 刑法においても、教唆は幇助の部分は、かなりあいまいで、教唆はともかく、幇助については、判例まかせというところが多いようだ。
 法律が、あまりあてにならないということは、裁判などで判決がしっかりしていればいいのだが、裁判も曖昧だったりする。
 ほとんどの裁判は、控訴や上告が行われることはないという。一審で決まったことを覆そうとする場合、もし、成功すれば、罪は軽減される。ただ、軽減されるだけで罪が消えるわけではない。
 しかし、控訴や上告をして、認められなければ、さらに罪は重くなってしまうのだという。
 それは、
「裁判に時間とお金をかけるというのは、時間とお金の無駄だ」
 という、かなりシビアで現実的なところがあることから、
「罪が重くなる可能性があるのであれば、そんなリスクは負えない」
 ということで、皆、一審で採決してしまうのだった。
 だからこそ、一審にすべてを掛けようとするのが、検事や弁護士の仕事で、証拠集めなど、結構シビアに行われる。
 下手をすれば、犯罪ギリギリのところでの証拠集めであったり、下手をすると、リスクを犯してでも、捏造しようとする弁護士もいるだろう。
「弁護士の仕事は依頼人の権利を守ること」
 というのは、どこであっても、いつの時代でも同じことのようで、特にこの国の裁判は、酷い時には、非公開も稀ではあるが存在するという。
 これは、普通の国でもあることであるが、ただ、それは公式の裁判ではなく、一つの組織の中で行われる査問委員会なるところが行い裁判である。
「軍法会議」
 などと言われるものがその一つで、
「軍規に逆らったものは、重い罪に問われる」
 というものであった。
 有事の際などは、
「敵前逃亡は、銃殺刑」
 などという言葉もあるくらい、実際に、戦争から逃げだして、銃殺刑にされた人もたくさんいたことだろう。
 また、ここの法律、特に刑法では、
「適用はされていないが、条文から削除されていない」
 というのも、結構あった。
 それは、他の国でも同じようなことがいえるのだが、それはあくまでも、
「裁判関係者や、有識者による合議がまとまらなかった」
 という理由からのものであるのが、他の国の考え方だが。この地域は、奴隷たちの声がそれほど政府に届くことはない。
 何しろ国家は、統治されていることで、政府は国連内にあるのだからである。
 だから、奴隷たちも、半分は政府に対して諦めの心境であり、政府としても、
「そこあで国民が無関心なら、勝手にすればいい」
 というくらいに、いい加減だったのだ。
 だから、条文から削除されなかったのも、単純に、
「どうでもいい」
 という考えからだったのではないだろうか。
 本来削除されてもいいようなことは、小さなことから大きなことまで結構あったというのだ。
 大きなものは、他の国でも削除になった経緯のあるものがほとんどで、そのうち大きなもの二つとして、日本では、旧刑法の、第百八十三条における、
「姦通罪」
 そして、新憲法の、刑法第二百条の条文としてあった、
「尊属殺人罪」
 というものであった。
 姦通罪というのは、配偶者がある妻が、旦那に黙って、他の男性と姦通した場合のことをいう。
 旧刑法では、告訴できるのは、男性側だけであり、男性が姦通したからと言って、告訴はできなかった。
 これこそ、憲法第十四条における。
「法の下の平等」
 に違反しているのではないかということで、日本国憲法発布の時、新刑法では、削除されたものであった。
 尊属殺人というのは、
「近親者などに対して、殺人を犯した場合。刑法百九十九条で規定されいる殺人罪よりもさらに過量される」
 というものであった。
 したがって、肉親を殺すと、
「死刑か、無期懲役しかない」
 とまで言われたものだった。
 この犯罪も、違憲かどうかが、大きな議論となって、熾烈な討論になった。この場合の憲法も姦通罪と同じく、
「法の下の平等」
 が、議論になったが、最終的に、刑法から削除になったのだ。
 国連も、それらの世界的な情勢を鑑みて、これらの条文の削除には、結構対応が早かった。
 要するに、国連という機関の性質上。加盟国に忖度しないといけないということになるのであろう。
 そういう意味で、この国の法律は、内部を見るといい加減なところはあるが、国連加盟国の法律と比較すると、シビアに対応するというところがあり、ある意味、
「国連機関が作った法律」
 というニュアンスから、極端なことになっているのかも知れない。
 そんな法律なので、奴隷たちも、国連からの派遣委員に対して、複雑な思いをいだいているに違いなかった。
 ただ、それはあくまでも、今までの委員たちのことであって、今の委員は結構真剣に、この統治体制に対して考えている。
 なぜなら、最近では、国連が世界の組織の中で、必ずしもトップであるというような昔からの、
「神話」
 が崩れてきていて、
「そんなものは都市伝説にすぎない」
 と言われるようになってきたのだった。
 憲法も、実際には、支配国との忖度の中で作られたもので、結構妥協的なものも多かった。
 実際に、ここでの犯罪発生率は実際には少なく、
「決められたことは守る民族」
 ということなのか、
「決められたことに逆らうということができない」
 という民族なのかということが問題であった。
 どうやら、彼らを見ていると、後者のように思えてならないのは、彼らが信じている神の存在が大きいのではないかと、思えてきたのだ。
 彼らが信じている神は、その存在は、それほど奴隷たちの心のよりどころということではないようだが、
「抑止力」
 としての力は働いているようだ。
「神の存在こそが法律のようなものであり、絶対的なものだ」
 と言われている。
 やはり、国連という他の組織によって作られた法律と、自分たちの心の中で創造した神のどちらが自分たちに深くかかわっているかと言われると、当然、自分たちが創造した神であるということは、必然のことであろう。
 彼らが創造する神の原型になっているのは、ギリシャ神話である。
 彼らは、神話というものを、信じている。宗教とは違った意味での説得力があり、信憑性には欠けても、説得力が自分たちを動かすと思っていることから、彼らの創造する神は、おのずと、オリンポスの神々に似てくるのだった。
 彼らが、いかに人間に近いかということも、奴隷たちは分かっている。
 そして、
「俺たちとは、次元が違うところにいる神なんだな」
 と思わせた。
作品名:奴隷世界の神々 作家名:森本晃次