予知能力としての螺旋階段
だから、まずは歴史小説を読んで、史実の勉強をして、そこから時代小説を読む。そうしないと史実を知らずに、架空の話を読むと、すべてが架空の話であると思い込んで、せっかくのリアリティが亡くなってしまう。それでは、想像を膨らませえるのにも、中途半端で終わってしまうように思えるではないか。
そう思うと、歴史小説と時代小説は、読む順番が決まっているといってもいいのではないだろうか。
歴史の勉強も奥が深い。何しろ、時間軸は一つしかないということで、歴史がのちの世に答えを出しているということになるからである。
五分前の自分
谷山ちひろは、吉岡かえでと同じK大学の文学部に所属していた。彼女は、文学部で歴史を勉強していたが、かえでと同じようにひそかに、SFが好きで、よく本屋に出かけていた。
K大学から電車で十分ほど乗ったところがすでに、H県の県庁所在地であるKす市の中心部になり、そこには、巨大な本屋が数軒あった。しかし、昨今のネットの普及によって、電子書籍に移行しつつあったので、小さな本屋はほとんど消えてしまい、大きな本屋の方も、いつどうなるか分からないという様子でもあった。
休日は結構賑わっているが、平日の昼間などは、ほとんど客がいないという状態で、これは本屋に限らずのことであるが、街に出かけても、高校時代のように、本屋やCDショップがどんどんなくなっていくのを感じていたのだ。
だが、まったくなくなるということもなく、最近では、気のせいかも知れないは、集客も戻ってきているような気がするので、少し安心していた。
もっとも、人込みは嫌いなちひろだったので、これくらいの人出がちょうどよかった。
大学生になると、平日の昼間から時間が空くので、何も無理して休日の人の多い時に出かけてくることはない。そういう意味で、平日も昼間出てきたら、夕方までいることはない。それまでに帰ってしまえばいいことであった。
その日は、本屋で、いつものように、SF小説を物色していた。文庫本のコーナーには、相変わらず、人はそれほどおらず、まったりと見ることができた。
昔の本屋がどんなものだったのか、実際に見たことはなかったが、本好きの父親から教えてもらったことがあった。
あれは、中学の頃だっただろうか。家族で街に出かけた時、それぞれに別行動を取ったのだが、母親はブティックや、化粧品の店を回っていたが、まだ中学生のちひろには、少し早すぎて、しかも、化粧品やのあの臭いには耐えがたいものがあり、父親と一緒に本屋に訪れることが多かった。
そもそも、SF小説が好きなのは、父親の方だった。
今から、十年ほど前のことになるのだが、父親は、元々ミステリーが好きだった。
それも、昭和初期くらいの、レトロな小説で、
「探偵小説」
と言われるような小説だった。
戦前戦後の混乱期の探偵小説はそれぞれに特徴があったという。
「戦前というのは、日本の区には大正末期に起こった関東大震災の影響が残っていて、さらに追い打ちをかけるような世界恐慌、そして、軍部による暴走などの混乱期だったこともあって、探偵小説も暗いものであったり、猟奇的なものが多かったんだ。いわゆる、変格探偵小説と呼ばれるもので、その最たるものが、耽美主義のような、とにかく美を追求するという話が多かったんだよな。だけど、時代は次第に戦争に突き進んでいくことになるだろう? そして、戦局が危うくなって、次第に軍や政府が国民生活を抑えつけるようになる。そうなると、国家による検閲が激しくなって。殺人事件などのような小説は、発禁になったりしたんだ。それで、当時の探偵小説家は、小説が書けなくなったり、他のジャンルのものを書いたりしていたんだよ。だから、普段は探偵小説しか書いていないはずの作家の作品の中に、時代小説があったりするのは、その戦争中の検閲を受けていた時代のことなんだ。そうでもしないと、食っていけないからな」
というのだった。
「なるほど、そういう時代があったんだね」
と、ちひろがいうと、
「うん、そうなんだ。お父さんもそんな時代に生きていたわけではないので、聞いた話なんだけど、そのせいもあってか、戦後になれば、検閲はなくなったんだけど、時代が占領下ということもあって、食うや食わずのその日暮らしの時代になってきた。何しろ、空襲で焼け出され、住む家もない人が溢れていた時代だったから、探偵小説はどうしても、ドロドロしたものになるんだ。だが、お父さんはそんな時代の小説が好きだったんだよ。お父さんが育った時代とも、今の時代ともまったく違う。想像を絶する時代の小説だからね。まるで、歴史を読み解いているような気分になって、新鮮な気分で見ることができた。そんな時代に、有名な探偵も数人出てきて、日本の三大名探偵なんて言われていた時代があったりしてね。そのブームが戦後二十数年が経って、出てきたんだよ。その時は、映画やドラマになって、一大ブームだったよな。本屋にも、一角にその探偵のコーナーができたりして、本当にすごかったんだ。今からは考えられないようなことだけどね」
というのであった。
「本屋も、以前とはだいぶ変わってきたんでしょうね?」
と聞くと、
「ああ、そうだよ。昔の本屋というのは、有名な作家の本は、ほとんど全冊本棚に並んでいたものだよ。でも、今は本屋にいけば、昭和の時代に大ブームを巻き起こした作家の本が百冊くらい並んでいたのに、今では五、六冊がいいところなんだよな。でも、売り場面積はそれほど変わっているわけではない。それだけ、新しいジャンルの本が増えてきたということなんだろうね? ライトノベルとか、ケイタイ小説、そして、異世界ファンタジーと呼ばれるような小説が増えてきていることが大きな原因ではないかと思うんだ。本の表紙もだいぶ変わったよね? 昔は写真や、イメージ画像のようなものが多かったけど、今の本は、マンガチックなものが多くて、一見、マンガ本じゃないかって思うような本が並んでいた李するんだよな」
と父親がいうので、
「確かにそれはあると思うわ。今は、単行本と呼ばれたマンガの本が、文庫本サイズになって置いてあることもあって、文庫本のコーナーに置かれているものだから、文庫本には、フィクション小説と、ノンフィクションのような小説。そしてマンガ本と、それぞれが置かれているのよね。昔はそんなことはなかったんでしょうけど」
というと、
「昔は、マンガと言えば単行本しかなかったけど、最近は、単行本でもあるけど、文庫本のような小さなものも結構あるんだよね。これって経費節減とかの観点からなんだろうかな?」
と父親がいう。
ハッキリとしたことは分からないが、確かに昔とは本屋の感じは違ってきているようだ。
どちらかというと、あまりマンガを見る方ではないちひろは、今の本屋のレイアウトに満足しているわけではない。
正直にいうと、昔の方が、探したい本を見つけるのが早かった気がする。
そこまで劇的に店内のレイアウトが変わったわけではないのにどうしてなのだろうか?
作品名:予知能力としての螺旋階段 作家名:森本晃次