予知能力としての螺旋階段
宇宙は、今でも膨張を続けているという。
元々宇宙というものは、ごく小さな世界だったという。その世界がビッグバンという爆発によって、巨大化し、それぞれの星となって存在していることになる。
何千光年という遠くの星が存在することは分かっているが、今実際に存在しているかどうかというのは分からない。
なぜなら、
「光年」
という単位は、
「光が一年で到達する距離」
だからである。
光の速度で何千年ということになり、何千に前に光った光を、今自分たちが見ているということになるのだ。
宇宙の起源を解明しようとしている研究の中で、ビッグバンの頃を研究しようとすると、
「一番遠くの星を観察することが重要だ」
と言われている。
一番古い星がいかに発生したのかということの研究なので、ビッグバンに一番近づくことになるからだ。
さて、
「そんなビッグバンによって広がってしまった宇宙の、さらに外はどうなっているのだろうか?」
ということを考えると、いろいろな発想が出てくる。
その中に、パラレルワールドという考えもあっていいのではないだろうか?
中には、一次元から、四次元までとは違う。同じ空間ではない異次元が存在しているのかも知れないとも考えられるからだ。
もし、パラレルワールドが、同一次元のものであるとすれば、宇宙の外部にあるものとして考えたとしても、そこに信憑性はあるのではないかと思うのだった。
そんなことを考えていると、パラレルワールドというものに、変な興味を持つようになってきた。
元々、
「どうしてパラレルワールドに執着しているのか?」
というと、パラレルワールドというものを勘違いしていたからである。
パラレルというと、
「末広がりに広がっているようなものだ」
という思い込みがあったので、まさか、
「同一次元の、酷似した別世界」
という発想なのだとは思ってもいなかった。
つまりは、時間の経過というものが、一本の時間軸にはなっているが、可能性というものは無限であるという考え方である。
考えられることが無限にあるのに、起こっていることは一つしかない。それは時間軸が一本だということであり、
「最初から決められたレールを歩んでいるだけのことだ」
と考えられるのだ。
だからこそ、人間はロボットと決定的に違うものであり。ロボット開発ができないということになる理屈と一緒だと思っていた。
ロボットにいくら人工知能を植え付けたとしても、次の瞬間に起こるであろうことを予測して行動することができないのだ。無限に存在する可能性を見つけることはできない。
「だったら、その可能性をパターン別に考えれば、パターンの中から選べばいいではないか」
という考えに至るのだが、それも不可能なことで、
「無限に存在する可能性をいくらパターンに分けようとしても、そのパターンだって、無限に存在する」
ということだからである。
数学だってそうではないか、
「無限をいくら何で割ったとしても、無限にしかならない」
ということなのだ。
これを、ロボット開発の一番のネックである、
「フレーム問題」
という。
このフレーム問題なのであるが、なぜか人間は、ちゃんと解決しているのだ。自分でパターンなとを考えることなく、頭の中で、その現象を有限のものとして、次の瞬間に起こることを、ある程度絞って考えられる頭を持っているのだ。それが無意識からであることで、本能になるのか、それとも、遺伝子の知らかによるものなのか、そのあたりは分からないが、考えさせられるのだった。
かえでは、そんな次の瞬間に、
「無限に広がる可能性」
のことを、
「パラレルワールドだ」
と解釈していたのだった。
これが本当に勘違いだとすると、次の瞬間に起こる無限の可能性が広がっているはずの世界を何というのだろうか?
こちらの方が、それらしい名称だとはいえないだろうか?
そう思うと、自分が勘違いをしたことも納得がいくというものだ。
それにしても、どうして、人間は、その無限の可能性というものを理解できるのであろうか? もちろん、そのすべてが分かり、一つの辿り着いた先は本当に正しいものなのかどうかは分からない。
確かに、
「歴史が答えを出してくれる」
というが、その時々の判断が本当に正しかったのかどうかなど、分かるはずはないのだ。
何といっても、それが分かるくらいなら、人間は二度と過ちは犯さないだろう。それを思うと、人間といえども、無限の可能性を否定しないで出来上がったものだとは言い切れないのだろう。
ただ、人間は、無限の可能性だということを意識しないで行動する。それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、ロボットの場合は、元からそんな風に作られているのか、少しでも完璧ではないことがあれば、行動を停止してしまうように作られるに違いない。
それは、
「ロボット工学三原則」
という発想に導かれるものである。
ロボット工学三原則というのは、
「ロボットが、人間のために行動するための、指針のようなものである」
と言えるのではないだろうか。
この三原則には優先順位がついている。
一つ目は。
「ロボットは、人間を傷つけてはいけない。そして、人間が危険に襲われると分かっているのに、それを見逃してはいけない」
というのだ。
つまりは、人間を傷つけない。そして、人間が危険に陥れば、身を挺して守るということをプログラミングされている。
そして二つ目は、
「ロボットは人間の命令通りに動かなければいけない」
というもの。そして三つめは、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければいけかい」
というものである。
これは、ロボット開発に、多大なお金がかかっているので、ロボットの判断で人間でいえば、自殺のようなことをされては困るという発想からきている。
そして、この三つの条項は、最初から最後まで優先順位が高いものから並べられているのだ。
ロボットは、人間のいうことを聞かなければいけないとはいえ、
「人間を殺せ」
という命令には従ってはいけない。
なぜなら、優先順位は、人間を傷つけてはいけないというところにあるからだ。
だが、逆に、自分のご主人が危険に晒されていて、その時、もう一人の人間を殺さないと、助けられない場合は、最初の条文の後半が生きて、主人を助けることを優先することになるだろう。
その発想は、元々、
「フランケンシュタイン症候群」
というものからきている。
ロボットや人造人間という発想は、フランケンシュタインからきているといっても過言ではない。
あの話は、理想の人間を作ろうとして、結局、悪魔を作ってしまったという話で、人間に危害を加えるものを作ったというSF小説である。その発想があるので、ロボット開発において、ロボットが人間に危害を食わせないというのが、一番の大切な事項で、その次がロボットの存在意義としての、人間の命令を聞くということになるのである。
もし、フランケンシュタインの発想がなければ、
」人間を傷つけてはいけない」
作品名:予知能力としての螺旋階段 作家名:森本晃次