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予知能力としての螺旋階段

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 として、処罰するだろうか?
 基本的には。相手国との折衝があるのだろうが、そこは、
「母星が爆発して、自分たちだけが生き残った」
 と言っているので、母星との関係はないという設定なのだろうが、宇宙の秩序としては、どうなのだろうか?
 もし、大きな秩序があって、
「漂流民は助けなければいけない」
 というモラルがあったとすれば、それに違反したことになる。
 地球だけが、
「そんなものは知らなかった」
 と言って済まされるだろうか?
 もし、最初の宇宙人を惨殺でもすれば、宇宙連邦軍のようなものが、地球を制裁にやってきたとしても、地球では、
「侵略されている」
 と思い、必死になって地球を守ろうとするが、それが果たして正義なのかどうか、それが大きな問題なのである。
 そんなことを考えていると、いくら空想特撮だとはいえ、
「教育上いいのだろうか?」
 と考えさせられてしあう。
 地球では、化学の発展とともに、宇宙がどうなっているかということの研究はかなり進んでいるが、実際に人間が行けているのは、月だったり、火星だったりという程度なのだ。
 その向こうには何があるのかというものを、実際に見た人はいない。
 望遠鏡などの発展から、ここまで見えていることが驚異的なことなのか、それとも、ここまで見えているのに、人間がたどり着ける範囲が限られているのが、科学が追い付いていないということなのかは分からないが、それだけ宇宙は広いということなのだろう。
 だが、そんな宇宙も一旦飛び出して、違う世界に行ってしまえば、例えば、死後の世界などと呼ばれるところは、誰もが死にさえすれば行けるところで、それがいわゆる、
「宇宙の外の宇宙」
 だとすれば、
「一度死んだら、生き返ることはできない」
 そして、
「生き返ったとしても、別の人間、いや、人間とは限らない生物になってしか、この地球に戻ってくることはできない」
 という世界であるとすれば、どこにそんな世界が存在しているというのか、
「やはり、異次元であり、ワームホールのようなものを通っていくことになるのか?」
 それとも、
「果てしないくらいの時間がかかって、宇宙空間を飛んでいくことになるのか?」
 ということである。
 仏教の世界に、
「弥勒菩薩」
 と呼ばれる未来仏がいるが、今は菩薩という修行僧であるが、将来、ブッダになるということを約束された修行僧ということなのだが、その未来というのが、
「お釈迦様が入滅後の五十六億七千万年後に、悟りを開いてこの世に降りてこられるのだ」
 と言われている。
 何とも天文学的な数字ではないか。
 しかし、これも、相対性理論で考えれば、それほど先の未来ではないのかも知れない。
 宇宙のさらに外宇宙にいる菩薩さまが降りてこられるのに、それだけかかるということであれば、人間が死んでから、あの世に召されるまでに同じくらいの時間がかかり、さらに、そこで再生して、またこっちに戻ってくるということになると、やはり天文学的数字が出てくるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、輪廻転生というものは、本当に気が遠くなるほど先のことであって、なるほど、生まれてきた時に、過去の記憶がないのも分かるというものである。
 あまりにも昔の記憶なので自然となくなっているものなのか、それとも、誰かによって消されているのかは分からないが、
「遠い世界との往復」
 と考えれば、理屈に合うというものであろう。
 案外と、我々の知っている宇宙の外に、死後の世界があるという考え方は、筋が通っている考え方なのかも知れない。
 ということになると、アインシュタインの相対性理論は、理論物理学からだけではなく、宗教的な考えも、その根拠に入っているのではないか、だからこそ、理屈に合う計算をできたのかも知れない。
 もっといえば、
「アインシュタインという人間は、発見するべくして発見した人間であり、神から選ばれた人間だといっていいのではないか?」
 とも考えられるのであった。
 つかさは、こんな発想ができるのも、
「自分には、他の人にはない能力がある」
 と思っているからで、それが予知能力なのだと思っている。
 ただ、予知能力はあっても、それ以上研究するだけの設備もお金も、それ以上の知識もないということで諦めが先に来ているが、これまでの偉人として、科学の発展に貢献した人たちの中には、このような超自然な力が備わっていたと思われる人もたくさんいたに違いない。
 それが、アインシュタインであったり、ニュートンであったり、ガリレオなどの天才と呼ばれる人たちだったのではないかと考えられる。
 ただ、天才というものは、えてして、
「変わり者」
 と言われることが多い。
 なぜ、そう言われるのかが分からないが、きっと人間は、
「自分たちと少しでも違った能力を持っていれば、それは恐ろしい人間なんだ」
 という思いがあるのではないだろうか?
 例えば、予言者などはそうであろう。
 人によっては、予言者を、
「神の使い」
 として崇めている人たちもたくさんいるが、彼らの存在は、時の支配者や権力者にとっては、困った存在であることは間違いないだろう。
 自分たちが支配しているということに、罪悪感を感じていたかどうか分からないが、予言者や宗教団体の教祖というものは、
「人民を救う」
 という名目で、支配者や権力者を糾弾しようとする。
 そして、
「人間は皆平等だ」
 などと言われると、せっかくの支配階級の存在が危うくなってしまうではないか。
 そんなことは、彼らにとって許されない。
 自分たちの存在自体が脅かされることになるからだ。
 つかさは、自分が中途半端に能力を有していると思っていることを憂慮していた。
「憂慮に堪えない」
 というところまではないが、
「これは一種の欲のようなものだ」
 と思っている。
 他の人にはないものが備わっている。そして、その能力を発揮できるのかと思えば、
「備わっている」
 ということだけが分かっていて、それ以上、何をどうすればいいのかということが分からないという、中途半端な状態に、苛立ちを覚えているのだ。
 もっとも、
「その能力を誰のために使うのか?」
 ということが分かっていないから、先が見えないのであって、
「自分に備わっているのだから、自分だけのために使えばそれでいいんだ」
 と思えば、それも間違いではないと思う。
 しかし、
「本当にそれでいいのだろうか?」
 と考えてしまうと、それ以上、何をどう解釈すればいいのか分からないのだ。
 そんな時、頭の中をいろいろな発想が浮かんでくる。今まではこんなことはなかったはずなのに、どこからこんな発想が浮かんでくるのかということを考えると、
「ちひろと、かえでの存在が私にこのような考えを抱かせるんだ」
 と感じた。
 ちひろも、かえでも、皆そんな意識はない。ただ、知的好奇心が、他の人よりも強く、その分、
「他の人にない発想が生まれているのだろう」
 と考える。