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予知能力としての螺旋階段

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 あれは、地球上で、人間が消えるという事件があった。人が見ている目の前で、忽然と消えていくのだ。消滅するといってもいい。
 その話の続きを聞いた時、まだ子供だったので、理解できなかったが、今なら少し理解できる気がする。発想が難しいというのか、当時、そこまでいろいろな発想がなかったというのか、そういう意味で、理解できなかったのだろう。

               宇宙の外の、もう一つの宇宙

 その話の続きというのは、一人の小説家が、書いたSF小説に話が似ているというのだ。
 当時のSFドラマには、
「小説に書かれている内容のことが起こる」
 という設定が多かったような気がする。
 その方が、話に説得力が出るのか、一度、父親がDVDを借りてきたので、一緒に見たことがあったが、子供には到底理解できるものではなかった。
 ただ、
「こんな昔に、今にも通じるような発想があったなんて、すごいね」
 というと、
「そんなことはないさ。今言われている都市伝説や、SF作品の考え方というのは、ずっと昔からあって、心理的な部分の解明は、百年以上からあり、いろいろな現象や、症候群などは、もっと昔からあったものもあるんだ。だから、今はそれらの話にバリエーションをつけることで、SF作品なんかは書かれているんじゃないかな?」
 と父親は言っていた。
 父親がウソをいうとは思ってもいないが、どうも簡単に信じられることではないような気がした。
「だから、当時のSFや特撮は、本に書かれていることが、現実になったという設定で、信憑性を深めながら、ドラマの奥を深めているんじゃないかって思うんだ」
 とまでいうのだった。
「そんなものなのかな?」
 と、子供心にその時は、疑問でしかなかったが、今では、その手法を、
「さすがだ」
 と感じるし、確かに。信憑性があるように思えてくるのだった。
 そして、その特撮番組の中でのSF小説に書かれているというのは、
「人々が急に消えるという怪奇現象が起こったが、それは、宇宙人が地球に来て行っていることだという。その宇宙人の住んでいる星というのは、百年後の世界で、その世界では、永遠の命は手に入れることができるほどの世界なのだが、身体の消耗はどうしようもないので、この地球に、若い人間の身体をもらい受けにきた」
 という話であった。
 ここで引っかかったのは、
「百年後の世界」
 という言葉であった。
 百年後のこの世界が、同じ時間に、別の星に存在するということだろうか?
「同じ時間に違う時間が存在し、それは違う空間だ」
 ということになるのだろう。
 これは、今考えると、パラレルワールドでも、異次元の世界とも違う感覚で、しかも、それが他の星の世界のことだというのだから、よく分からない。
 しいていえば、
「パラレルワールドに近いものだが、その世界がまったく違っているという意味では、厳密にパラレルワールドではないということになる」
 ということで、今考えても、正直納得できるものではないが、理屈としては理解できる範囲内のように思えた。
 それも、パラレルワールドという概念を分かっているから理解できるのであって、そういう意味では、当時、この番組を見ていた人たちは、誰も疑問に感じなかったのだろうか?
「いやいや、お父さんだって、何か変だなって思いながら見ていたさ。だけど、特撮を理屈で考えながら見ていると、どこかで行き詰ってしまう。逆にいえば、視聴者を行き詰らせるような作品を作ることができれば、俺たちの勝ちだって、きっと脚本家や監督は思っていたんじゃないかな?」
 というのであった。
 しかもさらって行った宇宙人(未来人?)を超音波のようなものでやっつけると、消えた人間が戻ってくるという設定だったのだ。
「宇宙人の魔法なのか、魔力で自分の星に飛ばしたものを、その宇宙人が消えたからと言って、どうやって戻ってくることができるんだろう?」
 と、つかさは子供心に不思議で仕方がなかった。
 そんな宇宙を一体どのように発想したのだろうか?
 今のつかさであれば、何となくいくつか発想できるが、大きな考えとして二つ浮かんでいた。
 ただ、その二つも突き詰めれば一緒のような気がするが、共通点があるということなのだろうか?
 まず最初に考えたのは、
「相対性理論」
 の原理である。
 つまり、
「光速で、どこかに飛べば、そこは、自分たちが遅く進むことで、その宇宙は先に進んでいるということになる。
 だから、
「未来の星があってもいいのではないか?」
 という考えであるが、
「逆に地球に来る時はどうだったのだろう?」
 と考えると辻褄が合わなくなるが、それも、逆理論のようなものが存在し、未来宇宙から来た場合は、時間が遅くならないという理論があるというのは、こじつけであろうか?
 ただ、地球以上に発達した星があるというのは、あまり信憑性を感じさせないが、パラレルワールドとして、進歩した地球の姿のような星があるのだとすれば、まだ相対性理論で説明できるだけ、まだ理論的ではないのだろうか。
 だから、地球の人間を年を取らないまま、未来の星に連れていくという発想である。
 別の世界なのだから、未来の星から地球にきたとしても、過去ではないのだから、歴史を変えても、未来の星に何も影響しないということである。
 さて、もう一つの考え方として、
「宇宙の外に存在している異世界の星に連れていかれた」
 という発想である。
 そこは、今ここにある宇宙とは次元が違う宇宙であり、だから、この世界と同じものが存在していてもおかしくないという考えだ。
 まるで、宇宙の切れ目が鏡にでもなっているかのように、まったく同じ世界が広がっているのかも知れない。
 だが、そこに住んでいる人間はまったく違った進化を遂げたものであり、たまたま、向こうの方が、進化していたというだけで、その星が、地球の未来であることに変わりはないということであろう。
 そして、その世界には、我々のような人類がいるわけではなく、
「全能の神」
 がいるのではないだろうか。
 古代ギリシャの人は天空の星に、神様や動物を見て、まるで、
「宇宙に死後の世界」
 のようなものがあると考えていたのかも知れない。
 そういえば、つかさのSF、特撮好きの父親に見せてもらったDVDの中に、
「怪獣墓場」
 なるものがあった。
 地球で謂われなく、人間に危害を加える、加えない関係なく、人間の生活圏を荒らすというだけのことで、正義のヒーローが葬ってきた怪獣たちである。
 怪獣たちの墓場を発見した地球人になりすましているヒーローは、
「可愛そうなことをした」
 と言って、怪獣供養を始めたが、宇宙からまた怪獣が来たといって、すぐに任務に戻っていくという内容だった。
 そもそも、怪獣や宇宙人がすべて悪いわけではない。
 ある話の中に、自分たちの帰る星が爆発し、ジプシーになってしまった、観測目的で母星を離れていた宇宙人が、宇宙船の故障の修理のために立ち寄った地球で、侵略者よばわりされ、攻撃を受けるという理不尽な話もあった。
 人間であれば、漂流した総難民を、わけもなく、
「侵略者」