予知能力としての螺旋階段
キリスト教弾圧も、鎖国も、徳川幕府からすれば、当然の政策だったのだろう。
その証拠に、鎖国中であっても、ロシアやヨーロッパ各国から、貿易の勧告に来ているではないか。
最終的に、アメリカの砲艦外交にやられたわけだが、幕府の鎖国政策は間違っていなかったといえるだろう。
おとぎ話などの話の中には、ひょっとすると、そんな外国との問題を含めたものもあるかも知れない。
時代が江戸時代と、室町以前ということで、少し離れてはいるが、江戸時代では鎖国という政策ができたが、それができなかったさらに昔の日本は、相手はアジアに限られるだろうが、諸外国からの侵略があったりということもあったのかも知れない。
もちろん、かなりの飛躍した考えであるが、予知能力などの特殊能力を持った人たちが、未来に起こるであろうことを含めて書いていたのだと考えると、まるで、
「ノストラダムスの大予言」
のように、まともに書いてしまうと、まるで魔女狩りのように、
「世間を騒がせた」
ということで処刑されてしまうかも知れない。
だが、それでも書き残さないわけにはいかず、考えたのが、
「物語にする」
ということだったという考えは、突飛すぎることであろうか?
三すくみ
つかさは、そんなことを普段から考えている子で、自分に予知能力も感じていた。
だが、彼女はそれを隠そうとはしない。却って、
「私には、予知能力のようなものがあってね」
と、フランクに話したりしていた。
それはきっと、
「木を隠すには、森の中」
という言葉があるように、ウソだって、本当のことの中に隠してしまえば分からないということと同じ発想で、敢えて、ほらを吹いているような言い方をしたのかも知れない。
だが、つかさと仲が良かったちひろには、そんなつかさの魂胆が垣間見えていたような気がしたのだった。
「つかさって、時々突飛なことをいうけど、あれって、本当に予知していることなの?」
と聞いてみたことがあったが、
「そうね。そうかも知れないわ。でも、その時はいうべきだと思うんだけど、後から考えると、言わなかった方がよかったわって、いつも後悔するのよ」
と言って笑っていた。
それは、つかさが虚勢を張っているだけではないかと思ったが、それ以上が追及しなかった。
「やはりつかさには、何か見えない力のようなものがあると、彼女自身が自覚していることに間違いはないようね」
というのだった。
どういう発想になるのかは、ちひろにもよく分からなかった。本当は興味があることなので、もっと聞いてみたいと思うことなのだが、必要以上には聞かないようにした。
なぜなら、変に聞いて、このタイミングで友達関係が壊れるのを懸念したからであったのだ。
つかさは、ちひろを通じてかえでとも知り合った。
二人のことをいろいろ知っていくうちに、何か予知能力が働いたのかも知れないが、さらに二人に対して興味が深まったというのも事実である、
「ちひろも、かえでも、何かお互いに超自然的なものを信じているのだろうけど、それぞれに共通点もあれば、決して交わることのないところもあって、面白い」
と感じたことが、興味を深めたことだった。
かえでからは、
「タイムパラドックスと、パラレルワールドの話」
そしてちひろからは、
「五分前のもう一人の自分」
という話。
ぞれぞれに、似たような話で、共通点もかなりあるが、交わらないであろうと思われるところもかなりある。
それぞれに、どんでん返しのような、
「片方が表に出ている時は決して、もう一方が顔を出すことはない」
という発想に似ている。
それは、昼と夜のような関係のようではないだろうか?
つかさは、昼と夜という関係を考えると、そこで一つ考えたのが、
「宇宙」
という発想であった。
つかさは、今まで宇宙というものに対して、自分独自の考えを持っていた。
ビッグバンであったり、他の星に別の生物がいるのではないか?
などということを、いろいろな本で読んだりしていた。
宇宙というと、どうしても、
「アインシュタインの、相対性理論」
とは切っても切り離せないということになり、これから、何をどう考えていいのか、疑問でしかなかった。
ただ、そこで
「自分の超能力のようなものが発揮できれば」
と考えたのだが、それを促進してくれそうなのが、かえでとちひろだったのだ。
「二人には、私にもない能力が存在する」
と、つかさは考えた。
宇宙空間というものを考えた時、まったく別のものが頭に浮かんできた。
それは、いくつかあり、まず一番最初に思いつくのは、
「合わせ鏡」
と言われるものである。
合わせ鏡というのは、左右であったり、前後に鏡をそれぞれ自分に向けて置くと、無限に自分の姿が映っていくというものである。
隣の鏡にはまず自分の姿が映り、そして、その向こう側には、反対の鏡が映っている。その向こう側の鏡には、さらに、こちらの姿が映っていて……、ということになると、果てしなく、自分の姿が映し出されることになる。
実に神秘的なことであるが、実に神秘的なことである。最初にこのことに気づいた人は、かなりの衝撃を感じたことであろう。
このような作用を、
「合わせ鏡」
というのだが、合わせ鏡には、
「してはいけないこと」
として、、いくつかの都市伝説が残っている。
まず一つ目は、
「自分の未来が見える」
というもので、見えるのは、自分の未来の姿だという。
予知能力に近いものではあるが、自分の死に際が見えるという話もあるので、あまり気持ちのいいものではない。
また、そう考えてみると、ドッペルゲンガーの話とも関わってくるように思われるので、そのあたりの都市伝説とも、何か関わっているのかも知れない。
いや、都市伝説には何が起こるかということのパターンがあって、逆に奇妙なことに、そのパターンをはめ込むことで、問題になることだってあるだる。
そういう意味で、都市伝説にも種類があって、当てはめることさえできれば、いくらでも、都市伝説を作ることができるというのも、一つの考え方であろうか。
自分の死に際が見えるということは、鏡の中に、
「ドッペルゲンガーがいる」
ということなのかも知れない。
どこか一つの空間に、自分がもう一人映っていた李、奇数偶数で向きが決まっているはずなのに、パターンに合わない自分がいたりすると、それがドッペルゲンガーなのではあるまいか?
さて、もう一つは、一番都市伝説に近く、サイコホラーの様相を呈しているのが、
「悪魔が呼び出される]
というものだ。
ただ、これは何もしなければ起こらないことで、何か決まった呪文のようなものがあり、それを使うと呼び出せるというものだ。
「夜に口笛を吹くと、蛇が寄ってくる」
という都市伝説のようなものだが、この場合の理由らしきものは分かっているのだ。
口笛を吹くと、蛇だけではなく、
「泥棒が寄ってくる」
という話もあるらしい。
泥棒の場合も、当然理由がある。
作品名:予知能力としての螺旋階段 作家名:森本晃次