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予知能力としての螺旋階段

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 いかにも性格的に合っているようには見えないし、それどころか、二人の違いを考えていると、まるでちひろの性格を、かえでが奪っているように見えるのは、ちひろの友達に共通したことだった。
 もちろん、皆それぞれ自分だけで思っていることであって、他の人も同じことを思っているなぞ、皆思ってもいなかったようだ。
 だが、そんな中で一人だけ、皆が感じていることであり、二人がこのまま仲良くしていると、何かまわりを巻き込むような事件を引き起こすのではないかと感じているのだった。
 彼女は、つかさという女の子だった。
 ちひろの友達の中でも特に仲がいい友達であり、自他ともに、
「二人は親友だ」
 と、言われるようになっていたのだ。
 つかさは、ちひろに輪をかけたような慎重な性格で、あまり行動的ではない。しかし、何か起こりそうな時、一番に行動を起こすのはつかさだった。最初は、そんなつかさを気持ち悪いとばかりに思っていた人も多かったが、次第に、そんなつかさを見直す人も出てきた。
 少なくとも、ちひろはそうであり、つかさの一言一言を気にしながら聞くようになってきた。
「つかさって、何か予知能力のようなものがあったりするの?」
 と聞いたことがあった。
 結果的に何かが起こる前に、一番最初に行動を起こすつかさのことを気にして、正直に思っていることを聞いてみたのだ。
「何? それってまるで私が地震が起こる前のナマズのような予知能力でも持っていると感じているということなの?」
 とはぐらかすような言い方をしてきたので、ちひろは、そんなつかさを見て、さらに真剣な顔つきで、つかさを正面に見ながら、
「うん」
 と頷いたのだ。
 それを見て、つかさの方も、もうはぐらかすのは失礼だと思ったのだろう。
「予知能力というところまではいかないと思うんだけど、何か感じることはありますね。でも、だからと言って、皆にというわけではないんですよ。きっと霊感のようなものだろうから、全員に対してというのも違うと思うので、私が感じている時は、ちひろさんと一緒にいる時が多いような気がするんですよ。ひょっとすると、ちひろさんが、私の能力を引き出してくれているのかも知れないわ」
 というのだった。
 それを見て、ちひろが、少し後ずさりをしたような気がした。
「ほらね、そうやって引いたりするでしょう? それが嫌だから、あまり触れたくなかったのよね」
 と、つかさは、あからさまに感じたことを言った。
「そんなことないわ。だって、そううあって正直に言ってくれた人にそんな失礼なことは思いたくないし、そうやってつかさが私に怒りをぶつけてくれるのは、本当は一緒にいたいと思ってくれているからなんじゃないのかしら? それを思うと、私は決して、引いたりなんかしていないと思うのよ」
 という、ちひろに、
「そう? 本当に?」
 と、今度はまるでつかさの方が相手の様子を見ているかのように感じ、却って、つかさにはありがたかった。
「ええ、もちろんよ」
 と言われると、つかさも気分が少し晴れたような気がした。
 さすがに、本当に予知能力があるかどうか、疑わしいと思うちひろだったが、あってもなくても、友達として一緒にいる分には、何も関係がないということを感じるちひろだった。
 つかさは、そんな自分に予知能力があるかどうかというよりも、
「この能力が霊感なのか、それとも、第六感と呼ばれるものなのか、どっちかなのか。どっちでもないのかが気になる?}
 というものであった。
 つかさは、自分に予知能力のようなものがあるとは、まわりが思っているよりも強く感じている。それは自分のことなのだから、当たり前だといえるだろうが、もう一つ考えているのは、
「思っているということと、感じているということの違い」
 というものであった。
 自分で思っているということは、何かの理論に基づいて感じていることなのだろうから、感じているということよりも、一歩先のことのように思っている。
 しかし、感じているというのは、また別の世界ではないかと思うこともあった。なぜなら、
「思うというのは、感じるという意識がなくとも、思うことはできるのではないか?」
 と思ったからで、感じるというのは、五感で感じたり、思考を働かせるための第一段階ではあると思うが、感じなくとも思うことだってあってもいいと思うのは、つかさだけだろうか。
「人間は自分の脳の十パーセントほどしか使用していない」
 という、いわゆる
「脳の十パーセント神話」
 と呼ばれるものである。
 つまり、残りの九十パーセントの部分は、人間の持っている潜在意識のほとんどと言えることであり、それを実際に使用できるようになるにはどうすればいいか? という研究もおこなわれていることだろう。
 しかし、少し考えてみれば、これは恐ろしい予感を秘めているといってもいい。
 これを、
「フランケンシュタイン症候群」
 と呼ばれるものと、微妙に絡んでくるという考え方である。
 つまりは、
「創造主(アブラハムの宗教の“神”)に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(=生命)を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと」
 というように定義されているが、
「神でもない人間が、発揮されていないものを、掘り返して、いいものなのだろうか?」   ということに繋がってくる。
 昔から、聖書の中や、おとぎ話などに見られる、
「見るなのタブー」
 というものを考えてみれば、分かることで、昔話の、雪女や浦島太郎、さらには聖書に出てきた、ソドムの村のような話の中で、
「見てはいけない」
「開けてはいけない」
 と言われたことを破って、最後には悲惨な目に遭ってしまったという話はたくさんあるではないか。
 フランケンシュタイン症候群というのもそれと同じで、
「開けてはいけないパンドラの匣だ」
 と言えるのではないだろうか。
 人間の脳の残り九十パーセントの部分も、本当は開けてはいけないところであり、そのように、人間は作られている。それを破ってしまうと、どうなるか?
 フランケンシュタイン症候群で考えれば、人間の心を持った、今の人間以上尾能力を持つ人たちが増えてくれば、どうなるか?
 人間には欲というっものがある。そこには征服欲というものがあり、
「他の人よりも明らかに優れている自分が、頂点に立たないでどうする? 私は選ばれた人間なんだ」
 ということで、その力をいかんなく発揮すれば、下手をすると、今の人間界の秩序やルール、モラルなどと呼ばれるものをすべて崩壊させ、自分のためだけの世の中を作ろうとすると考えてもいいだろう。
 この考えを阻止するため、ロボット工学では、
「ロボット工学三原則」
 が、立ちはだかってくるのだった。
 それにしても、ロボットというものが、まだ完成もしていないのに、そのロボットが人間に対して危害を加えたり、逆に人間を支配してしまう世界を考えるなど、小説家の人たちの頭はどうなっているのだろうと感じてしまう。