都市伝説の自費出版
「タイムパラドックスの理屈から言えば、過去に行って、過去の人間に影響を与えるということがどれほど危険なことであるかって思うのよね。だって、過去が変わってしまえば、未来はまったく違うものになってしまうわけでしょう? 自分だって、目の前にいる人だって、消えてなくなってしまわないとも限らない。それだけ、次の瞬間には、無限に広がる可能性があるわけなので、一つそれが狂うと、未来のさらに未来は、どんどん変わっていく。というか、決まったルートに進んでいくような気がするのよね」
というのだ。
「どういうこと?」
「未来の可能性は無限にあるはずだけど、一つが狂ってしまうと、本来の可能性は打ち消されるわけでしょう? だったら、少しずつ変わっていく流れに傾いてくるわけで、逆にいえば、一歩狂えば、二度と元には戻らないということよね?」
と六花はいう。
その時、ひまりは、ロボット開発についての本もいくらか読んでいたので、
「それって、フレーム問題の解決にならないかしら?」
と言った。
六花も、同じようにロボット開発について興味があるようで、同じように本を読んだりしていたので、ひまりがこのことに気づいてくれるのを待っていたのだろう。ニッコリと笑って、
「うんうん、その通りなのよ。無限というものを狭めて、少しでも、可能性をフレームに当て嵌めるためには、これくらいの思い切った発想が必要なのかも知れないとも思うのよね」
と六花はいうのだった。
「それは、私も思っているわ」
というと、
「ひまりは、小学生の頃に、宇宙人から教えてもらったっていうようなことを言っていたけど、本当にそう思っているの?」
と言われて、
「子供の頃は、真剣にそう思っていたのよ。でも最近になってから、あれは、自分が頭の中で解釈したことだったんだけど、その根拠になりそうなことが頭の中で思い浮かばなかったので、とっさに宇宙人を出したような気がするの。ひょっとすると、六花なら、私が夢で見たことだということを感じてくれると思ったおかも知れないわ。だって、自分でも、あの話は、夢の中で聞いたことのように思ったのよね。でも、それが夢の中に誰が出てきたのかということが分からなかったの」
とひまりがいうので、
「今では分かるの?」
というと、
「ええ、だから夢だったんだって思う理由にもなるんだけどね。その時、私に話してくれたのは、もう一人の私だったのよ。その顔は逆光になっていて。顔が見えなかったんだけどね。そんな気持ち悪い感覚を、宇宙人のようだって思ったのかも知れないわ」
というのだった。
すると、一瞬間があって、六花が口を開いた。
「私も時々、自分が出てくる夢を見ることがあるんだけど、その時って、結構見た夢を覚えていたりするの。でも、曖昧なんだけどね。でも、一つ言えることは、自分が夢に出てくる時が、一番怖い夢を見ているんだって思う時なのよ」
というのを聞いて、ひまりも、目をカッと見開いた。
「うん、それは私も思っているのよ」
と、なるべく平静を装いながらであったが、興奮している様子を隠すことはできなかった。
「ひまりは、ドッペルゲンガーという言葉を聞いたことがある?」
と聞かれて、さらにビックリさせられた。
なぜなら、ドッペルゲンガーという言葉を初めて聞いたのは、つい最近で、興味を持って、この間調べてみたところだったからだ。
まるで以心伝心しているような気がしたくらいだが、そのことを感じると、今度は、最近の話のはずのことが、実はもっと昔から考えていたことのような気がしてきたことに対しても、ひまりはビックリさせられたのだった。
「六花って、私が言おうとしていることや、感じていることが分かるのかしら?」
と訊ねてみると、、
「そうかも知れないわね。でも、それだけ、発想が近いところにあるということなのかも知れないわね。ただ、それが実は交わることのない平行線なのかも知れないけどね」
と、六花はいうのだった。
確かにその通りだと思った。しかも、話題に上っているのが、
「ドッペルゲンガー」
なまじ、偶然だとは言えないのではないだろうか。
ドッペルゲンガーというのは、
「自分自身の姿を自分で見るという幻覚に一種」
だと言われている。
しかも、このドッペルゲンガーは第三者が自分の姿を見た場合も同じことであり、
「世の中には似た人が三人はいる」
と言われているものとは違っているのである。
そして、ドッペルゲンガーの伝説としては、
「ドッペルゲンガーを見ると、見られた本人は、近いうちに死ぬ」
と言われているから、恐ろしいのだ。
これは、本来なら都市伝説に近いものなのかも知れないが、これが言われるようになったのは、近代からのことであり、現代に限定する厳密な都市伝説ではないだろう。
ドッペルゲンガーには特徴がある。
「決して会話はしあい」
「本人の関係のない場所には決して出現しない」
「扉の開け閉めができる」
「忽然と消える」
などというものである。
扉の開け閉めができるということ以外であれば、幽霊の類とも思えるが、扉の開け閉めができる時点で、幽霊ということではないのだろう。
実際に存在する、実態を持つものだといってもいいだろう。
そして、そのドッペルゲンガーを自分で見た場合は一度で死ぬということなのだが、二回見ると、見た人も死ぬということであった。
このようなドッペルゲンガーのような話は、普通であれば、
「都市伝説の類だ」
ということで、七不思議の話のように思われるが、信憑性はかなり高いと言われている。
なぜなら、
「ドッペルゲンガーを見たということで、実際に死んだと言われる人が、今までの歴史上の人物として、かなりいる」
ということなのだ。
有名なところでは、
「リンカーン」
「芥川龍之介」
などの著名人が、
「ドッペルゲンガーを目撃したことで死んでしまった」
とされているのだった。
ひまりは、小学生の頃にドッペルゲンガーなどという話を知っていたわけではない。その証拠に、ついこの間、ドッペルゲンガーの話を聞いて衝撃を受けたばかりではないか、それなのに、自分の出てくる夢というのが一番怖くて、いつもは忘れている夢を、おぼろげながらに、自分が出てくるところだけは、最低でも覚えているというものだった。
しかも、六花も自分が出てくる夢を見たというではないか。そして、今見ている感じでは、その興奮は自分の夢を見たという恐怖からきているように思えてならなかった。
「六花は、ドッペルゲンガーというのを前から知っていたの?」
と聞くと、
「いいえ、知らなかったわ。でも、自分が出てくる夢を時々見て、それを怖い夢だって自分で自覚するようになってから、ドッペルゲンガーという話を聞いたのよ。だから、余計に、自分がまるでその話を聞くことを予知していたかのようで、余計に怖いの。しかも、ドッペルゲンガーって、本当に恐ろしい言い伝えなんでしょう?」
というではないか。
「私も最初から知っていたわけではないの。特に最近聞いたばかりだっただけに、ここでドッペルゲンガーの話が出てきたことが、ただの偶然とは思えないところがあるのよね」