都市伝説の自費出版
そんな超科学な中で、
「タイムマシンの開発や、ロボット開発というものが、永遠にできるわけはないということを、宇宙人から聞かされた」
とずっと言っていた少年がいた。
今では大学生になっているが、袴田ひまりだが、小学生の頃には、そのような不思議な体験をしたというのだ、
「たぶん、夢を見たんだろうな」
と思って、友達の東条六花は、その話を聞いて、いつもそう感じながら、話を合わせていた。
そのうちに、ひまりも気づくだろうと思ったが、一向におかしいとは思わないようだ。
確かに、夢だという感覚はあるようなのだが、それを自分で認めようとはしない。
「夢だといってしまうのは簡単なんだけど、夢じゃない可能性を探ってみるのも、ありなんじゃないかって思うのよ」
というではないか。
「怖くないの?」
と聞くと、
「うん、少しは怖い気もするけど、可能性を全部否定してしまう方が怖い気がするんだ。可能性は無限にあるから可能性なのであって、理屈で考える場合と、理屈では理解できない場合とをしっかりと見分けが付けられるようにしておかないと、最終的な判断を誤ってしまうのではないかと思うのよ」
と、ひまりはいうのだった。
六花は、それを聞きながら、
「そんなものかな?」
と曖昧に答えてはいたが、曖昧にしか答えられない自分から見れば、いかに理解しようと努力をしているひまりの気持ちは、よく分かる気がした。
「ところでね。その宇宙人がいうのには、人間の脳というのは、十パーセントしか使っていないというのよ。よく皆が超能力だといっているのは、その残りの九十パーセント部分に秘められたもので、超能力というものは、別に超能力ではないというのよ。それを敢えて超能力だと言いたいのであれば、無限にある可能性を迷うことなく選択できる能力こそ、人間にとっての一番の超能力だっていうのよね」
と、ひまりは言った。
この話には、六花も賛成だった。
この話は、小学生の頃に話をしたものであり、この、
「能の十パーセントしか使っていない」
という話は真実で、それを学校の先生にすると、
「その通りよ。よく知っていたわね」
と言われたので、さすがにそこで、宇宙人から聞いたという話を出すわけにはいかなかった。
もし、宇宙人から聞いたなどというと、知っていたことに対して信憑性がなくなり、せっかく、
「よく知っていた」
ということを褒めてくれたのに、
「まるで夢物語のようだ」
と思われるのが嫌だったからだ。
しかし、夢物語であっても、この事柄を知っていたという事実には変わりはないので信憑性がなくなるということはないはずなのに、それを信憑性の問題だと考えるということは、
「宇宙人の存在を自分が信じているほどに、まわりの人は信じていないだろう」
と思うことだった。
だから、他の人が、
「宇宙人などという言葉を口にすると、自分がバカバカしくて信じていないと思っていることを他の人が信じている」
と思うと、どう感じるだろう?
自分が宇宙人の存在をバカバカしいと思っているということを、その人が知られたくないと思っているとすれば、宇宙人の存在云々ではなく、
「自分が宇宙人をバカバカしいと思っているくせに、意識しているのではないか?」
と思われることが嫌だったのだ。
相手によっては、見透かされてしまい、
「信じていないくせに、過剰な意識をするのは、その存在を恐ろしいと感じているからだ」
と思われてしまう。
それが嫌だったのだ。
宇宙人というものの存在は、SFの世界にしかないものだ。
ということは、ひまりにも、六花にも、先生にも分かっていることだった。
そもそも、
「宇宙人の存在というよりも、宇宙生物が存在するかどうか?」
ということの方が、考えなければいけないことだ。
NASAなどの宇宙研究所では、宇宙人の存在を信じている人がどれだけいるだろうか?
まずは、宇宙生物の存在を証明しようと躍起になっている。
この間などは、どこかの惑星に、水が存在したかどうかということだけで話題になっていたくらいである。
六花はそこまで詳しくは知らなかったが、ひまりは、そのことは知っていた。そして、先生も、もちろんニュースなどで見て知っていたのである。
さすがに小学生は、ニュースを見るという習慣はないだろうから、よほど興味がないと、宇宙のことなどのニュースを気にはしないだろう。
しかし、ひまりの家では、父親がSF小説のマニアで、よく家のリビングの本棚に、ところせましと、SF小説の本が置かれていた。
本棚は別に自分の部屋に置けばいいものを、父親は時々、会社の同僚や後輩を連れてくることがあり、どうやら、SFマニアであるということを自慢したいのかも知れない。
父親には、そんな大人げないところがある。父親がそんな性格であるということは、小学生の頃から意識していた。
だから、ひまりは、そんな父親の、まわりに対して自慢したいと思う気持ちを、
「恥ずかしい」
と感じるところがあり、自分は決してそんなことはしたくないと思っていた。
だが、やはり自分も父親の血を引いているのか、変に目立ちたいと思うところがあった。
そんな自分が嫌いなので、なるべく、父親と同じでは嫌だと思っている。嫌いなくせに、性格だけはどうすることもできない。だから、宇宙人のことは口にするのだが、自分が父親に感じたような思いをまわりにさせたくないという難しい思いを抱いていたのだ。
ひまりは。自分が、
「まわりに自慢したい」
あるいは、
「目立ちたい」
という気持ちがあることを隠すことはできない。だが、
「何をバカバカしいことを」
を感じられるのは嫌だった。
子供の頃に、宇宙人から話を聞いたということを話したのは、六花だけだった。
他の人にもし言ってしまうと、
「穴があったら。入りたい」
というほど、恥ずかしいに違いない。
六花は口では、
「夢でも見たんじゃない?」
と言っていたが、最初に難しい話をしておいてからの、宇宙人の話であり、しかも、小学生がなかなか知らないようなことを知っていたということで、バカバカしいとは思いながらも、一定の評価をひまりに持っていたのではないだろうか。
「六花は、私が宇宙人に会ったということは、当然信じていないわよね?」
と大学生になってから聞くと、
「うん、正直信じられない。でも、それが宇宙人ではなく、同じ地球人だったら? という思いはあるのよ。例えば未来人だったりね。だけど、そう考えると、不思議な気もするのよ」
というではないか
「どういうこと?」
と聞くと、
「もし、タイムマシンのようなものが開発されて、それを使って過去に行ったとしようか?」
と切り出した。
さらに六花は、