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都市伝説の自費出版

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 国を豊かにして、国防を強くする、そのために、産業を興して、生産、貿易を進めるというものであった。
 その大きな目的としては、ペリー来航後に結ばれた、いわゆる、
「不平等条約」
 というものの解消である。
 そのためには、憲法を制定し、近代国家としての形を作る必要があった。そのために目指す国家が、
「立憲君主国」
 だったのだ。
 当時の日本は、天皇を中心とした国家であり、憲法を制定し、それに伴った議会を開き、そこで国家の決定事項を決めるというやり方が、近代の日本の在り方だった。
 国家の安全保障のために、仮想敵をロシア(ソ連)とし、大陸に進出することで、日清、日露の戦争を経験し、さらに中国大陸進出により、満州事変、シナ事変へと時代の流れは急速に向かい、それによって、
「軍部の暴走」
 と呼ばれる時代となったことで、結果として、大東亜戦争に突き進むことになってしまったのは、本来の目的と違うのかも知れないが、当時の欧米列強による、帝国主義というものに対しての挑戦という意味もあったのではないだろうか。
 時代背景も、世界恐慌があったり、第一次大戦における、帝国の崩壊であったり、社会主義国の台頭などがあったことで、世界が混乱する時代に向かっていったというのは、世界的な悲劇であったことには変わりないだろう。
 近代というのは、そういう意味で、世界的には第二次世界大戦までであり、日本では、大東亜戦争の終結というところまでが、いわゆる近代という時代だったのだろう。

                科学の限界

 ちなみに、その近代という時代であるが、江戸時代を、近世と呼ぶこともある。この近世という言葉の意味は、
「統一国家の成立」
 ということであるが、ただ、それであれば、豊臣秀吉による天下統一という観点からが近世であるも言えるかも知れないが、ここも難しい判断で、
「豊臣家は一代きりだった」
 ということから、本当の天下統一は、幕府成立からと考えると、江戸幕府の成立からが近世と考える場合もある。
 つまりは、中世が、狭義の意味での中世と、近世に分かれるという考え方である。
 そんな近世から近代を経て、今度は現代ということになる。
 現代のキーワードは、
「民主主義」
 という考え方である。
 しかし、民主主義というものは、近代にもあった。
「大正デモクラシー」
 などと言われるものであるが、実際にはそれが定着することはなく、日本が大東亜戦争に敗れたことで、結果的に、
「アメリカを中心とした連合国に押し付けられた民主主義」
 だったのだ。
 そもそも無謀な戦争に突っ走ったのは、アメリカによる挑発が原因であった。
 本来であれば、どう考えても、欧米列強に宣戦布告して勝てるわけはないのだ。それはまるで、義和団の乱の時に、西太后が欧州列強に宣戦布告をしたのと同じようなものだと思っている。しかし、日本にも作戦があった。
「初戦で奇襲攻撃を仕掛け、相手国の戦闘意欲をそぎ、できるだけ有利に戦闘を展開することで、ちょうどいいところで、講和に持ち込み、一番いい条件で和平を無図部」
 ということが、日本が負けない戦争を行うという青写真であった。
 確かに、大東亜戦争における初戦である、
「マレー上陸作戦と真珠湾攻撃」
 は、日本の陸海軍の作戦としては、大成功を収め、三か月で、マレー半島を征服し、さらには、イギリスの要塞があったシンガポールを占領するという快挙もあった。
 その勢いに乗って、一番の目的であった、原油獲得のための、インドネシアにある油田地帯を確保できたことで、日本軍は最高潮の勢いだったといえる。
 本来ならここで、講和に持ち込めば、少しは有利な条件が結べたかも知れないが、軍部も政府も、ここで戦争をやめようとはしなかった。簡単にいうと、
「勝ちすぎた」
 のである。
 しかし、その後は、戦線が拡大してしまったことで、補給が難しくなり、混乱していた態勢が整ったアメリカ軍が攻勢を仕掛けてきたこと、一つは、
「ドゥーリットル攻撃隊による、帝都空襲」
 というものに、焦りを感じた大本営が、アメリカ軍に無線を傍受されていていて、攻撃目標がバレていたことで、大失敗に終わった、
「ミッドウェイ作戦」
 が引き金となって、次第に制空権も制海権もなくなっていき、補給路も像軍も、すべて失敗に終わった。
 それが日本の敗北の引き金であり、ある意味、その引き金を引いたのは、日本側だったともいえるだろう。
 アメリカの圧倒的な物量作戦もあって、すでに戦略的な戦闘に勝ち目はなくなっていたので、政府はソ連を仲介先として戦争終結を今さら模索するようになったが、それも、時期の問題ではなく、そもそも、ソ連は世界の覇権を考えていたことで、日本というものを、アメリカとの交渉カードとして考えていたようだ。
 ヤルタ会談でのスターリンとルーズベルトの密談で、まさか、ソ連が満州を攻略しようなどと思ってもいなかったのだろう。すでに、日ソ不可侵条約はあってないようなものだったのだ。
 日本の敗戦を、
「原爆投下」
 が一番の引き金だと思っている人も多いだろうが、一番の問題は、和平交渉を頼んでいたソ連に裏切られたことだったのだ。
 ソ連がそもそも、この密談に乗ったのは、戦争終結後の世界秩序建設について、ソ連もその一役を担いたいという意識があるからだろうか。特に民主主義陣営との絡みを自分たち共産圏がいかに対抗できるかということが問題だったのだ。
 実際にソ連の参戦によって、日本は無条件降伏に至る。それによって、朝鮮半島に、北からソ連、南からアメリカが入ってくるということで、五年後の朝鮮戦争へとつながってくるのだった。
 日本国内においては、アメリカが主導での占領計画となった。いわゆる、GHQと呼ばれる占領軍によって、日本は統治されるが、問題の天皇制という国体は、天皇の主権放棄、そして象徴化ということで、民主主義ができあがった。
 その際、つまりはサンフランシスコ講和条約にて、日本が独立するまでは、アメリカの主導によって、それまで呼ばれていた戦争の呼称も、シナ事変を日中戦争、大東亜戦争を太平洋戦争という言い方に変えさせられたのだ。
 盧溝橋事件に端を発した(決してこれが始まりというわけではなく)中国との全面戦闘は、両国とも宣戦布告をしていない。なぜなら、
「宣戦布告というものは、第三国が、どちらかの国につくか、あるいは中立かを決めなければいけない。この場合、中国も日本もアメリカから物資の援助を受けていたり、買っていたりしたので、戦争になってしまうと、アメリカが中立を宣言し、物資が入ってこなくなることを恐れて、宣戦布告をしなかった」
 というのが事実だったのだ。
 また、大東亜戦争という呼称であるが、これはそもそも、米英蘭への宣戦布告の際に、
「中国との戦闘にさかのぼって、大東亜戦争とする」
 という閣議決定に基づいてのものだったのだ。
 ただ、占領軍としては、
「大東亜」
 という言葉は、実に都合の悪い言葉であった。
 日本の戦争の大義は、
「欧米列強に支配され、植民地とされた、アジア各国を開放し、大東亜共栄圏を作り、アジアで独自の世界を形成する」
作品名:都市伝説の自費出版 作家名:森本晃次