都市伝説の自費出版
そう思うというのは、それだけ自分が怪しいとは思わなかったということであり、洗脳という言葉をなるべく否定したいと思う自分がいるからだった。
洗脳などというと、まるで宗教団体に染まっているかのようではないか。
宗教団体というと思い出されるのは、今から四半世紀ほど昔のことで、ひまりはまだ生まれてさえいなかったことだが、母親から何度となく聞かされたことだった。
中学生の頃だっただろうか?
ひまりが、中学時代にできた友達に、家族ぐるみで宗教に嵌っている人がいた。洗脳とまではいっていなかったであろうが、友達は熱心に、信者を集める片棒を担いでいたようだ。
まだ中学生なのだから、両親や信者からの洗脳、あるいは、強制力のせいで、かわいそうに信者にさせられたのだろうと、母親は思ったようだ。
「そんな宗教に嵌っている友達と付き合うのはやめなさい」
と母親はいう。
その時に、宗教の怖さと、自費出版による詐欺の話をしてくれたのだ。
それぞれが違う話だったが、、
「世の中には信じていいことと悪いことがあるので、そのあたりを、中学生になったんだから、自分でも分かるようにしておかないといけない」
という思いがあったようだ。
母親が話をしてくれたのは、今から二十五年前、当時としては、まだ十五年前くらいのことであったのだが、地下鉄で起こった悲惨な毒ガス散布事件だった。
「あれは、ただの事件ではなく、無差別テロだったのよ。誰か特定の人間を殺そうとしたわけではなく、不特定多数に害を加えて、テロ事件を起こし、自分たちに捜査が及んでいたことに対して、攪乱することが目的だったという、実に身勝手な犯罪だったのよ」
というではないか。
さらに続けた。
「やつらは、宗教という隠れ蓑に隠れて、日本転覆を狙っていたというところがあるんじゃないかと言われているわ。それも、教祖による個人的な恨みと、信者の政府に対しての恨みが重なってのことだったんでしょうね。そういう意味では教祖の洗脳力はすごかったんでしょうね。何と言っても、信者のほとんどは、皆優秀な、医者だったり科学者だったりしたわけだから、それなりに考えはしっかりしていたはず。でも、そんな人たちも洗脳されてしまうとどうなるか分からない。それが宗教というものの恐ろしさだと思っていいと思うの。だからあなたも、そんな人たちに近づくとどれほど危ないことになるのかということを知っておく必要があると思うの」
というのだった。
そこで、母親は、自費出版社の話を始めた。
「こっちは、まだ最近のことなんだけdね」
と言って、前述の一連の詐欺行為やそのやり方に対して話してあげた。
すると、ひまりは、
「そんなの、自分がしっかりしていれば、騙されることなんかないのに、どうして皆そんな感覚になったのかしら? これがさっきの宗教団体のように、集団意識だったり、洗脳だったりというなら分かるんだけど、洗脳されているわけでもないし、皆個人の考えなので、集団意識というわけでもないわ。それなのに、どうしてそんな気になるのかしらね?」
と、いった。
「お母さんも、詳しくは分からないけど、それだけ時代背景が、趣味やサブカルチャーなどに向いていて、その中で、お金がかからないこととして浮き彫りにされたのが、小説を書くということだったんでしょうね。言い方は悪いけど、猫も杓子もって感じだったんだと思うわ。そうなると、書いてみて、ちょっとでも自分が書けると思った人は、そこで、自分だって小説家になれるんじゃないかって感じるんじゃないかと思うの。だって、それまでまったく書ける気がしなかった人が一歩進んだだけで、百歩進んだ気になるんでしょうね。そして、ゴールが見えてきた気がする。それが大いなる錯覚なのかも知れないんだけど、それだけじゃないのよ。そんな時に、自費出版のようなところが出てくれば、おのずと手を出したくなってしまう。だって、それまで出版業界があまりにも非公式で、非公開だったから、開放的なところが出てくれば、当然飛びつくというものよね。だから、目の付け所はよかったと思うの。でも、やり方がね」
と言って、母親はため息をついた。
「そうね。お母さんの言う通りだと思うわ。それは、洗脳というよりも、相手のやり方に共感したという意味では、洗脳に近いけど、決して交わることのないものなのでしょうね?」
と。ひまりはいった。
「ええ、その通り、だからお母さんは、そのことをあなたにしっかりと分かっていてほしいと思うのよ。あなたももう中学生。大人の仲間入りをする時なのよ。まだ思春期で不安定な精神状態だとは思うんだけど、でも、頭の中に情報が一番入る時期だと思うの。それを間違った情報収集をしないように導くのは親である私や、まわりの大人の義務だと思うのね。そうしないと、世の中がどんどんおかしくなっていき、立ち直れなくなってくるんじゃないかって思うの」
と母親は言った。
「確かにね。今は不況から立ち直れない時代だし、私たち中学生だって、政府に不満しかないのよ。それに、今は政権交代したけど、政権交代する前って、例の年金問題が合った時でしょう? 年金が消えたっていうね。私はまだ中学生だから、年金と言われてもピンとこないけど、大人が騒いでいるのを見ると、他人事ではないということは分かる気がする。そんな時代だからこそ、しっかりしないといけないと思うし、私も考え深いところがあるのよ」
とひまりは言った。
「ええ、だから、考えることはたくさんあると思うけど、一つ一本のしっかりした考え方を持っていると、そこから派生する考えだから、善悪の考え方もしっかりしてきて、おのずと見えてくるものもあるというものだと思うわ」
ということであった。
ひまりと母親はずっと仲のいい親子である。
大学に入学しても、母親を気遣う優しい娘として、ひまりは君臨していた。
一人っ子であるひまりを、
「過保護に育てたのではないか?」
という懸念のあった母親だったが、
「そんなことはないわ」
ということを、態度で示してくれる娘が頼もしく思えたのだった。
父親は単身赴任で、三年前から一緒には住んでいない。それだけに、家に母親と二人だけの暮らし。寂しいとは思わないのは、お互いに尊敬しあって暮らしているからではないだろうか。
高校生になって、受験の問題などで、どうしても会話が減ってきたが、それだけに、母親が娘を思う気持ちの高ぶりは大きなものだった。
会話は極端に減ったが、気持ちとその気持ちに乗った視線を感じることで、ひまりは母親の暖かさを感じることができていた。
「やっぱり、お母さんは、最高だわ」
と感じるのだった。
続編を書いた本がなかなか見つからなかったので、そのまま疲れて寝てしまった。
そして、気が付けば目が覚めていたのだが、その目が覚めた時に目の前にいたのが、母親だったのだ。
「お母さんが、私の部屋で何をしているのかしら?」
と思い、薄目を開けて母親の姿を後ろから見ていた。幸いにも母親はこちらの様子に気づいておらず、何か奥の方で、ごそごそとしていた。
「あった」