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都市伝説の自費出版

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 普通の出版社は、プロの人に原稿を書かせて、原稿料を払い、そして、雑誌を出版社の金で製作する。それでも売れるから、出版社は続いているのだ。
 しかし、自費出版の本が売れるわけはない。本屋に並ぶことがないからだ。
 だとすれば、宣伝費、製作費、そして、作った分すべてが在庫になるのだから、在庫を抱えるための、倉庫を借りる費用、そして一番も問題の人件費、それらすべてを著者に出させようというのだから、定価千円のものを千部作成し、
「百五十万を出資してください」
 などというでたらめな見積もりをしてくるのだった。
 ただ、今でも思うが、
「どうしてそんな算数のような計算が、誰にもできなかったのだろうか?」
 と思うのだ。
 詐欺だと分かっていて、皆本を出したいという思いがあり、これ以外に方法はないということで、博打のつもりで、出資したということだろうか?
 五万円か十万円くらいなら、まだ分かるが、百万以上とか、けた違いなのである。よくそんなことに納得できたというべきなのか、それとも、本が売れるとでも思ったのか。
「一生の記念に」
 というにはあまりにも高価すぎる。
「半年間、給料がないのと同じではないか」
 と誰も感じなかったのだろうか?
 もっとも、そんな詐欺に引っかかる人がいるから、詐欺をする方も、あの手この手といろいろ起こすのだろう。
 今の、
「オレオレ詐欺」
「振り込め詐欺」
 の類やその進化系はそれと同じで、結局は、警察とのいたちごっこを繰り返している。
 コンピュータウイルスしかりで、ソフト開発とのいたちごっこではないか。
 そんなことを思うと、考えるのも疲れてくるのであった。
「あっ、そういえば」
 とふと思い出したのは、前に読んだ本の続編であった。
 あの本の何に興味を持ったのかというと、自分と考え方がどこか似ていたからだった。
 そうだ、あの作品も、自分の怒りのようなものを爆発させるような書き方をしていたような気がする。
 今の自分が感じていることを、その本は同じように描いていたのだ。
「どんな話だったのか、今なら思い出せそうな気がする」
 と感じたひまりは、もう少し、部屋の中を探ってみる気になったのだった。
「ということは、私はいつも怒っているということなのかしら?」
 と思い、少し笑いがこみあげてきそうな気がした。
「怒りというものがどこからくるのかということをいつも考えていたような気がする」
 と感じていたのだった。
 何に対する怒りなのか、今まではよく分からなかった。気が付けば急に怒りがこみあげてくる感じで、一種の、
「キレた感覚」
 というべきであろうか?
 確かに時々、キレた方にヒステリックになっている自分に気づいて、ハッとすることもあった。
 それを自分では、
「親からの遺伝」
 だと思っていた。
 しかし、母親を見ている限りではそこまでの感じはしない。いつも落ち着いていて、そんなにキレるようなことはなかった。例の出版社から言われた時もそうだった。それほど怒りをあらわにすることはなかった。
 ただ、母親は根に持つ方であった。誰かに何かを言われると、執念深く忘れることはない。
「その方が、自分を律することができるから」
 と言っていたが、言い訳のような気もする。
 だが、いきなりキレて、まわりに深いな思いをさせるのとどっちがいいのかと考えると難しい。執念深く根に持っていると、忘れた頃に爆発するかも知れない。
 それを思うと、恐ろしく思えてくるのだった。
 小説を探しながらそんなことを考えていると、ふと、本棚の後ろに、たまに、自分が本を隠しているのを思い出した。
 なぜそんなことするのかというのをハッキリと覚えているわけではなかったが。たまに、本棚の後ろにあるスペースに本を隠した。
 誰かに見つかるのが嫌だったという感覚ではない。あとから見ようとして意識して隠しているような気がした。
 そのくせ隠したことを忘れるのだから、始末が悪い。後から見るつもりで、実際には見ていないのだから、どうしたものなのだろうか?
 ひまりは、後ろをまさぐってみた。そこには数冊の本が隠れていて、懐かしいものも多かった。
 本だけではなく、中学時代のアルバムまで落ちていた。
「こんなところにあったんだ」
 と感じた。
 結構、長い間探していたような気がする。それを思い出せないのだから、相当なものだといえるだろう。
 アルバムを開いてしばし、中学時代を思い出していた。
「こんなに幼かったんだ」
 と、自分のあどけない頃を思い出して、今の自分が汚れているわけでもないのに、どうしてそう重いのか、不思議で仕方がなかったのだ。
 アルバムの中に映っている自分が、こちらに微笑みかけているのを見ると、アルバムの中がまるで鏡の世界のように思えた。アルバムを見ている自分が中学時代の顔になっているかのような感覚だ。
 気持ちや考え方は大学生なのだが、顔だけが中学生なのだ。だから、部屋も中学時代の部屋に戻ったかのような感覚に陥った。
 どうしてそんな感覚になるのかというと、
「やはり、鏡に映った世界を見ているような気がしているからなんだろうな」
 と思うのだった。
 だとすれば、すべてが、反対でなければいけない。
 そう思うと、ある不思議な考えが浮かんだ。
「鏡に映ると、左右は対称になるのだが、どうして、上下は反転しないんだろう?」
 という考えである。
 これは、高校時代に一度感じて、ネットで調べたことがあった。いわゆる、
「ググってみた」
 というやつだ。
 そこには、ハッキリとした理由は解明されていないと書かれていた。
 いくつかの考え方はあるようだが、
「帯に短したすきに長し」
 で、そのどれもが、ハッキリとはしていないのだった。
 これも一種の不思議なことで、昔から言われていることではあるが、都市伝説の類になるのではないだろうか。
 誰もそう聞けば、
「ああ、確かに不思議だ」
 と思うのだが、言われるまでは、それが当たり前のことだと感じるのだ。

                 大団円

 鏡に映った姿のように、ちょっと考えればおかしいと思うはずなのに、誰も何も怪しいと気づく人はほとんどいない。だが、それは後から考えると、感じていなかったと思うだけで、どこかで一度は、
「おかしい」
 と感じることなのかも知れない。
 だが、誰も感じないわけではない、まったく感じないとするならば、それは、錯覚だったとすら思わないほどに、意識から遠ざかったものなのかもしれない。
 そんなことを感が手いると、
「まるで、字h出版社系の会社に、詐欺行為を感じなかったという感覚に似ているのではないか?」
 という思いであった。
 意識はするのに、そして後になれば、
「どうして気づかなかったおか?」
 と感じるのに、まったく怪しいと思わなかったというのは、ひょっとすると、自分の中で言い訳をしているからなのかも知れない。
「まったく怪しいと思わずに、相手の言うとおりにしてしまったのは、自分がまるで洗脳されていたかのようではないか?」
 と思うのだ。
作品名:都市伝説の自費出版 作家名:森本晃次