都市伝説の自費出版
という言葉が聞こえ、その声が母親の声だと思ったが、部屋に異様な湿気があるせいか、普段よりもハスキーに聞こえた。
こんなに空気が湿気を帯びているのに、母親は喉がカラカラに乾いているような感じだった。
そう感じると、ひまりは、母親が後ろから何かを取り出したのを感じた。
「あっ」
その瞬間、母親と目が合いそうな気がしたので、思わず目を瞑ってしまったが、おそるおそる目を開けてみると、そこには母親の姿はなかったのだ。
「どうしたのかしら?」
と考えたが、明らかにそこには母親はいなかった。
少しキョロキョロしてみたが、やはりいない。
「夢だったのかしら?」
と感じたが、実際に夢だったのかどうか、それを立証するすべはなかったのである。
そして、ベッドの隅で先ほど、何やらゴソゴソしていたのを感じたと思ったら、夢だと思っていたのが、
「実は違ったのではないか?」
と感じさせることになっていた。
そこは、誰かが座っていたのが分かるかのように、しわがしっかりとできていたのだ。
「やっぱり、お母さんはいたんだ」
と思って触ってみると、そこは、ぐっしょりと濡れていた。
よほど緊張したのか、そこまで緊張しなければいけない状態で、ここにいたということなのか。どちらにしても、母親が何かを物色していたというのは事実のようだ。
「しかし?」
と、一瞬、ひまりはたじろいでしまった。
「本当にお母さんだったんだろうか?」
と思ったのだ。
確かにここに入ってこれる人は母親しかいないが、母親にしては、少し身体が大きかったような気がした。
元々小柄な母親は、少々の人を見れば、ほとんどが大きく見える。ひまり自身もそうで、母親と一緒に並んでいたりすると、その光景は、少し滑稽に見えることだろう。
だが、かといって、ひまりがそんなに大柄というわけではない。それだけ小柄な女性を父親が好きだったのだということであろう。
そういう意味では、華奢に見える母親は、どこか幼さが残っているかのようだった。
ひまりが高校生の頃は、同級生の男の子からも、
「お前の母ちゃん、小柄で可愛いよな。まるで兄妹かと思うような感じだよ」
という男子がいたが、娘としては、複雑な気持ちだった
母親が褒められるのは、悪いことではないと思うのだが、その中に、どこか嫉妬や羨ましさがあることで、どこか自分の気持ちが病んでいるのではないかと思うのが嫌だったのだ。
それを思うと、さらに、
「同級生の男子って、お母さんのことをそんないやらしい目で見ているのかしら?」
と思うと、潔癖症というわけではないが、何かわずらわしさが感じられたのだ。
ひまりは、ベッドの奥をまさぐっていると、そこに、一冊の本があった。あれだけ探しても、そんなところに本があるはずはなかったのにである。
手に取ってみると、さっきまで探していた続編ではないか。その本の表紙を見ているだけで、どんな内容だったのかということが思い出せたのだ。
「そうだ、お母さんから聞いた自費出版社関係の暴露本のような内容だったはず」
と思った。
その本を手に取って、パラパラとめくっていくと、確かにその通りだった。
作者名を見ると、どこかで聞いたことのあるような名前だった。
「それにしても……」
と感じたのは、この作者の書いている内容が、自分に母親が話してくれたことと、酷似していた。
内容だけではなく、感じていることもまったく同じで、それだけ発想がすごかったといってもいいだろう。
母親が持っていたと思われるその本を再度見ていると、やはり、感情が似通っていることに気づき、次第に、自分までもが、その小説の中に引き込まれるような気がした。
それは、懐かしい感覚があったのだが、以前読んだ本の中で。都市伝説として書かれていたこととして、
「かつて読んだことのある本を見ていると、そこに。知っている人の面影を感じると、その時に自分が感じていることが、すべて過去において事実だったということを示している」
という話であった。
それを思い出すと、
「この本って、まさか、お母さんが書いた本だということ?」
と思ってもう一度作者名を見ると、
「なるほど、かつてお母さんが使っていたペンネームだと思うと、それもあながち間違っていない感覚だ」
ということが分かるのだった。
ただ、出版社は聞いたこともないところであった。
調べてみたが、かつて問題になり、連鎖倒産のような形で姿を消していった、出版社系の会社の中にはなかったものだ。
「まさか、架空の会社?」
とも感じたが、それ以上に、
「今も営業している会社なのかも知れないわ」
と、まるで幽霊企業のように感じるのだった。
そんな会社が本当に存在するのかも分からなかったが、
「七不思議が、都市伝説を作るのだ」
という感覚になった時、七不思議の最後の一つを思い出せないという、これも一つの都市伝説を思い出した。
それこそが、最近自分が何かモヤモヤした感覚の元になっているものではないかと思うのだった。
母親が、その時どのような感情で、自費出版社から本を出したのか、その資金をどこから捻出したのかは分からない。
ただ、母親の生霊とも感じるほどの先ほどの気配、そして、その母親が書いたと思われる小説、一体どうしたというのだろう?
「人間の脳は十パーセントしか使っていない」
と言われているが、今のひまりは、それ以外の部分を使っているのだろうか。
「出版社が幽霊出版社であるから、母親も出てきた?」
そう思って、リビングから居間に入ると、そこからは、線香の臭いが仄かに香ってきた。
「そろそろ、四十九日になるんだったわ」
と、遺影に浮かんだ母親の、あどけなさの残る顔に向かって、ひまりは、微笑みかけたのだった……。
( 完 )
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