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都市伝説の自費出版

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 だから、あのような露骨なことができるのであって、しかもそれが姑息となると、
「どうせ、国民はバカなんだから、俺たちの考えていることなんて分かるわけはないんだ」
 と思っているのかも知れない。
 誰がそんなところに、この国を任せられるというものか。
 しかも、十年くらい前に、そこが与党だった頃、あれだけ期待されていたわりには、結局何も政策を実現していない。しかも、最後には地震災害という非常時が起こったことで、
「結局、非常時には何もできず。被災者の心情をねぎらうどころか、怒りをこみあげさせることしかできない政権だ」
 ということが分かり、次の選挙では、たった一回で下野することになったのだ。
 普通であれば、
「政権に就いて数年で結果が出るとは限らないので。せっかく政権交代があったのだから、もう少し様子を見てもいいのではないか?」
 という人がいてもよさそうなのに、誰も弁解に値するコメントを出す人はいなかった。
 つまり最後には、四面楚歌になってしまったといってもいいのではないだろうか。
 今回は、その元々の与党が政権を持っていて、その中で、起こった伝染病の流行だったが、その手法は最低だった。
 すべてが後手後手に回り、水際対策も経済対策も、感染防止策も、すべてが失敗に終わり、最初の首相は、病気だと称し、十数年前と、まったく同じことをして、政権を投げ出した。
 しかも、その後を担ったソーリは、経済対策と称して、伝染病がまだ流行っているのに、経済を優先させようと、結局感染拡大を招いた。
 さらに極めつけは、オリンピックの強硬開催によって、最初は、
「安心安全を目指す」
「国民の命を守る」
 と言っておいて、結局、感染最大拡大を招いてしまい、医療崩壊を起こさせた。
 救急車を呼んでも、なかなか来ない。救急車が来ても、受け入れ病院がなく。そのまま死んでしまう。あるいは、重症でありがなら、重体になっていないということで、自宅療養させられ、そのまま急変し、命を落とす人が急増した時期があった。
 その時の担当大臣のコメントに、
「今は災害時と同じです。だから、皆さんは、自分の命は自分で守ってください」
 ち言ったのだ。
 国民のほとんどが、開いた口がふさがらなかったことだろう。
「国民の命を守るといって始めたオリンピックで感染拡大を招き、それによって、危機的状況、威容崩壊を招いた本人が、自分の命は自分で守れだと?」
 というのは当然のことだ。
 内閣支持率は最低に達し、結局、解散総選挙、ソーリは党内からの指示が得られず、結局別の人にトップが変わった。
 そんな時の国政選挙だったのだ。
 もう、消去法しかない。
「命を守るといって、守れないどころか、自分の命は自分で守ってくださいと言った与党か? それとも、こんな世の中になってまでも、批判しかせず、まったく今までと考え方を変えない、外には厳しいが身うちには甘いという野党第一党か?」
 という選択だった。
 結果としては、結局与党が残ることになったが。別に国民が信任したわけではない。それを与党政権が、ちゃんと理解しているかどうか、じっくり見ていくしかないのだが、果たして日本を任せていたもいいものかどうかである。
 ただ、野党も、以前の地震があった時の失敗を見せられていなければ、今回の政府の最悪の政策を見た国民は、助けを乞う気持ちで、野党に入れていたかも知れない。
 政権交代委にまでなったかどうか分からないが、せめて、政府が危機感を持つまでにはなっただろう。
 野党としての一番の役目すら果たすことのできない野党第一党は、その存在意義があるのかどうかすら怪しいものだ。
 そういう意味で、今回は、野党第三党くらいの政党が躍進したようだ。
 それは、与党への不信を感じている人の票が流れたわけで。本来なら、第一党に流れなければいけないもののはずだ。
 こんなことで、野党が潰しあいのようなことをしていると、ロクなことにはならない。
 第一党の致命的だったのは、
「本来であれば、まったく政策の違うところと組んでしまったことだ」
 と言えるだろう。
 野党の中でも、昔からあるというだけで、国民から見向きもされない政党、いわゆるアレルギー体質であるといってもいいような党と組んだのだ。これを致命的と言わずに何といえばいいのだろうか。
 消去法を考えていくと、腹が立つことばかりである。
 国民を舐め切った政府であったり、数年前の詐欺にしてもそうだ。
「目の付け所は悪くなかったはずなのに、どうしてあんなあからさまな詐欺に走ったのだろう?」
 と、出だしはいいのに、どこで路線を間違えたのか、詐欺に手を染めてしまったことで、結局どうしようもなくなってしまった自費出版系の出版社たち。
 最後に一人勝ちしてしまった会社だが、やっていることは、どうせ自転車操業なだけだろう。
 ちょっとでも、何かあれば、すぐに潰れてしまうという、まるで零細企業のようなものだ。
 それを思うと、時期がいつになるかというだけで、末路はどのようになるかということは目に見えているように思えてならない。
「今度は人知れずになくなっていくんだろうな?」
 と思った。
 何しろ、自費出版系の会社ということで、それだけで、マイナスイメージがあっただろうからである。ただ、
「助け舟を出した」
 という意味で、当時は正義に見られていたというイメージが今もあるからだろう。ちょっとでも触れば、化けの皮が剥げそうなのに、よく持っているというのが、本当に不思議で仕方がないのだった。
 自費出版社のやり方も、確かに最初はよかった。
 何といっても、出版業界の一番のネックは、
「その閉鎖性」
 にあったのだ。
 新人賞の公募も、その審査は完全に非公開であり、また新人が営業として自作品を持ち込んでも、まったく見てもらえないというそんなひどい世界になってしまったのは、一体いつからなのだろうか?
 テレビドラマなどでは、漫画家や作家が原稿を持って出版社を訪れれば、それなりにその場で結論を出してくれたものだが、昭和末期のことは、会うことは会っても、相手にしてもらえていないのだ。それなら最初から門前払いの方がまだマシなのではないだろうか?
 そんな出版業界にあって、まずは後悔形式でのやり方は、作家になりたいと思っている人にはありがたい。
 原稿を送れば、批評をしてくれて、悪いところも指摘してくれる。今までにそんなところがどこにあったというのだろう。
 お金を出して、添削してもらえるところはあっただろうが、無料で批評をしてくれるところはなかったはずだ。
 そうやって、作家になりたいと思っている人に興味を持たせる。そして、最初は、
「あわやくば」
 だったのかも知れないが、果たしてあれほどの空前の出版ブームがくると、果たして思っていただろうか。
 実際に、出版部数では、大手出版社よりも多く、年間一位を獲得した会社が自費出版会社だというほどになっていた。
 それはそうだろう。協力出版などと歌っておいて、実際にはそのほtんどを著者に出させる詐欺行為をしているのだから、部数が増えるのも当たり前というものだ。
作品名:都市伝説の自費出版 作家名:森本晃次