都市伝説の自費出版
と感じるような話だった。
やけに生々しさも感じられ、実体験に基づくものがなければ、そこまで一冊の本になるほどの分量を書けるはずはないだろう。
そんなことを思い出していると、ひまりは、最近、自分の部屋を整理していた時、本棚の奥から、その本が出てきたのだった。
タイトルは、
「小田原評定」
この本を読むまで、その言葉の意味を知らなかったのだ。
この言葉の意味としては、
「結論の出ない意味のない会議を、いつまでも繰り返す」
という意味だという。
本来は、戦国時代にさかのぼる。
戦国時代の小田原というと、小田原城を根拠地としていた、大名に、北条氏がいたが、織田信長が、本能寺の変で急死し、その敵を討った羽柴秀吉が、謀反人の明智光秀を打つことで、天下統一の足掛かりを得た。
そして、賤ケ岳、小牧長久手の戦いを制し、四国、九州征伐もうまくいくと、いよいよ小田原征伐に乗り出した。
すでにほぼ、天下統一していた秀吉の大群が、小田原城を包囲する。
しかし、小田原城は、以前から、武田信玄、上杉謙信などの、群雄が攻めてきても、落ちることのなかった難攻不落と言われた城であった。
彼らとすれば、
「半年や一年くらいの籠城はできる」
と踏んでいたが、腰を据えて陣を構えている秀吉軍を見ていると、家臣団の間でも不安感が募ってくるのだ。
いくら籠城できるとはいえ、相手は被害が出るのを恐れて攻めてこない。包囲されているのはこちらなので、攻めていくこともできない。まるで水攻め。兵糧攻めにでもあっているかのようだっただろう。
そこで、毎日のように、家臣団を交えた善後策を話し合う会議が、が城の中で行われていた。もちろん、結論が出るわけもなく、ただ時間だけが経っていく。そんな状況を見た誰かが、きっとこのような状況の会議を、いつしか、
「小田原評定」
という言葉で表すようになったのであろう。
つまり小田原評定というのは、まさにこのことからついた言葉であった。
ただ、もう一つ言えることは、
「この小田原評定がまったくの無駄だったといえるのは、結局、北条氏は籠城できずに、城を開放するに至り、北条氏は滅亡した」
ということである。
そういう意味で、
「小田原評定による結末は、決していいものではない」
ということも含んでいるのではないかと、ひまりは思うのだった。
実際に、この本の話も、最終的にうまくいくわけもなく、そんな不毛な会議を続けているうちに、出版社の方が、潰れていったという話である。
この本では、潰れるような画策をしたのが、この時の親や親戚だったというが、しょせん彼らだけでは、そんな大それたことはできないだろう。きっと、似たような家庭があちこちにあり、皆小田原評定を経て、結論として、
「出版社を陥れるしかない」
と感じたのだろう。
そして、それを後押ししたのが、最後に生き残った、あの悪徳企業である。
この話は、フィクションだと書かれていたが、果たして本当なのだろうか。。
ただ、何と言っても不思議でしょうがなかったことは、
「こに本の出版元は、何と、その潰れていった自費出版の会社だったというのは、何とも皮肉なことだ」
ということであった。
自分たちを陥れるような話を書いた作家の本を、自分たちで出すなんて、どういう心境なのだろうかと思ったが、
「気を隠すには、森の中」
という言葉があるではないか。
つまり、ウソを隠すには本当の中に紛れ込ませればいい。逆に本当のことを隠すには、ウソに紛れ込ませるということも言えるであろう。
そういう意味で、敢えて自分たちに不利になるようなものを発行させ。
「実は自分たちはそんな詐欺行為はやっていない」
ということを、まわりに思わせるというやり方ではないだろうか。
そう思うと、
「自費出版社の方でも、生き残るために、毎日のように会議をしていたことだろう。しかし、それは何をやっても詐欺にしかならない状況なので、まるで、結論の出ないことを、不毛な状態で行っているという小田原評定そのものではないか?」
と考えさせられてしまうのだった。
実は。ひまりの部屋にはそんな自費出版の会社の出した本がいくつか置かれていた。
「どうして、こんなにあるんだろうか?」
と不思議でしょうがなかったが、
「そういえば、子供の頃に母親によく連れていってもらった本屋で、何冊か母親が勝っていたっけ」
と思ったのだ。
その本屋には、喫茶コーナーも設けられていて、そこで買わなくても、置いてある本は読書可能だったのだ。電源もあったので、そこで作業もできる。中には執筆している素人作家もいたという。
その本屋は自費出版の会社が最盛期の時に始めた店で、彼らとすれば、これも宣伝の一環であり、そこで、時々文章講座のようなものを開けば、自分たちが出版に関して、どれだけ真剣に考えているかということの最大のアピールになると考えたのだろう。
実際にその考えがよかったのかどうか不明だが、母親もひまりも、自分たちとしては、出版社の一定の努力は認めざるおえないと思っていたのは事実のようだった。
「なるほど、いい考えなのかも知れない」
と思ったことと、他の素人の人のレベルがどの程度のものかということを含めて、本を買ってきたのではないかと思えた。
もちろん、ひまりはそこまで思いつくこともないので、単純に、普通に本屋で本を買っているような気持ちになった。
お金は母親が出してくれたので、自分で本を買ったという意識がなかったこともあって、そんな本を読んだという記憶が薄かったに違いない。
そんなことを考えていると、ひまりは、母親の気持ちを分からないまでも、成長していくうちに、母親の気持ちが分かってくるのではないかと思うようになっているようだ。
小田原評定の本を見つけたのは偶然だったかも知れないが、その本の内容を何となくいつも意識していたような気がした。
プロの作家の本でもないのに、自分でもどうしてなのかということがよく分かっていなかったのだ。
今から思えば、あの喫茶店が懐かしい。
木の香りがしてくるような雰囲気で、黒を基調にした店内は、少し薄暗く、それでも、読書ができるスペースはスポットライトが設けられていて。さながら自分の部屋で勉強しているかのような錯覚にも陥った。
ひまりは、試験前などは、この喫茶コーナーで勉強していた。
土日は人もそれなりにいたが、平日はガラガラだったので、いくらでも自習ができた。
それは店側にとってもよかったのだろう。ちょうどいいサクラと思われていたのかも知れない。
それに、このスペース自体が、自分たちが真剣であるということの現れだっただけに、まわりに対して開放しているということで、自習する人が利用してくれるのは、ありがたいことだったに違いない。
ひまりは、そこまで出版社の意図が分かっていたわけではないが、母親の方は分かっていたようだ。
だから、ひまりがその店を利用していることを悪くは言わなかった。母親自体も自分で利用していたからである。
たまに二人は一緒にそこで作業することもあった。
ひまりは受験勉強。母親は、執筆活動であった。