都市伝説の自費出版
それを見た時、それらの出版社が自転車操業によるものであることをすぐに見抜き、ひまりの母親は、
「どうせなら、こっちが利用してやろう」
と、相手が何を言ってきても、出版するとはまったく言わなかった。
出版社によっては、業を煮やしたところがあり、逆切れしてきたところがあるという。その出版社は今も生き残っているが、そのやり口は後で書くことにするが、その逆切れもひどかった。
何がひどいといって、こちらが、出版社の全額出資の作品ができるまで投稿し続けるというと、
「もう、こちらで相手にしません」
というような言い方をするのだ。
そして、いうに事欠いて、
「出版社が全額負担することは、素人の投稿では百パーセントありません。するとすれば、芸能人か犯罪者のような知名度のある人だけです」
というのだ。
相手も、キレて、いってはいけないことを口にしたのかも知れないが、母親も、それを聞いた瞬間に、完全に目が覚めたということであった。
それをまわりの人に話していると、そのうちに、別の会社が、
「訴訟を起こされた。しかも複数の人から」
という話が伝わってきた。
調べてみると、それら自費出版社系の会社の、
「ウリ」
であった、
「有名書店に、一定期間並べます」
という話がウソだったということを調べた原告が、訴え出たということだ。
しかし、ちょっと考えれば分かることではないか。毎日のように、プロをはじめとして数十冊近く発行されているのに、そんなプロの本を差し置いて、無名作家の本が書店に並ぶわけがない。例えば一週間並ぶとしても、その間にどれだけの本が発行されるかと考えれば、運よく書店に並んだとしても、一日がいいところで、あとは返品されて終わりではないだろうか。
母親としては、
「そんな当たり前のことを、どうして皆分からないんだろうか?」
と言っていたが、自分も、目を覚まさせる言動がなければ、発行をもう少し考えたかも知れないと思うと、
「よくいうよ」
と、子供心にひまりは思ったが、それでも、母親は気づいただけ偉かったのだろう。
それだけ、素人の心理を誘導できるだけのテクニックが、出版社側にはあったということだろうと思うと、
「本当に詐欺って怖いな」
と感じた。
裁判沙汰になったことで、出版社は経営がうまくいかなくなる。
元々が自転車操業、宣伝で客の目を引いて、それで原稿を送らせる。そこで煽てて、協力出版(いや、下手をすると、全額出させていたのかも知れない)に持ち込み、本を出させる。つまり金を騙し取るという構図だったものが、裁判を起こされたことで、本を出したいという人の数が減ってくるし、原稿を送る人も減ってくる。
彼らは、本を出すかも知れないという人がたくさんいなければ、それだけで破綻するのだ。
案の定、これらの業界全体が、詐欺ではないかということに、やっと世間も気づくようになり、一社が破綻すると、他も連鎖的に破綻していった。
「もう、この業界も終わりだ」
と思われたが、生き残ったところもあったようだ。
その会社は、他の会社で路頭に迷った、本を出そうとしていた人たちを救済したかのようなところであったが、裏では、
「元々の裁判沙汰も、今生き残っているあの会社が、画策したっていうもっぱらのウワサが広がっている」
というのを聞いたことがあった。
何を隠そう、その会社というのは、母親に罵詈雑言を浴びせ、キレたあの会社である。
「なるほど、自作自演で、最終的に生き残ったわけか」
と思ったが、
「それこそが、詐欺であるやり方の行きつく先なのではないか?」
と、母親も、ひまりも思った。
ひまりは、成長するごとにそのことをお思い出して、
「変な詐欺には引っかからないようにしないといけないな」
と思うようになっていたのだ。
そういえば、ひまりは、あれはいつ頃だったのか、中学時代だったのか、高校に入ってからのことだったのかということも覚えていないのだが、どこかで、面白い本を読んだような気がした。
その本というのは、ある人が、例の自費出版社系の会社に原稿を送り、お約束の協力出版を申し込まれたというところから始まっていた。そこまでは、よくある話ということなのだが、その人は一人の主婦で、年齢的にはまだ二十代、子供もおらず、結婚二年目の新婚と言ってもいいくらいだった。
彼女は、すっかりその気になっていた。しかし、出版社からの出資金の依頼は、百五十万であった。
旦那に相談してみると、
「さすがにそれは……」
としか言わない。
奥さんの作品は一応読んでみたが、正直、この作品が売れるとは思えなかったし、何よりも自分が第三者であれば、いくら本が好きだといっても、素人の名前も聞いたことのない作者の本を手に取ることさえないだろうと思うのだった。
だから、本屋に並ぶこともないだろうし、ましてや自分が手に取ることなどありえない。
奥さんの本だから読むことができたが、まったくの第三者であれば、巡り合うことなど永久にありえない作品であることは分かり切っていることだと感じたのだ。
そんな本なのに、出版を諦めきれない奥さんは、自分の親や親戚に頼みまくっていたようだ。
だが、親や親戚こそ、
「もっと冷静になりなさい、そんなお金どこにあるというの」
と言って、うてあってはくれない。
そうなると、奥さんは、消費者金融、つまりはサラ金に手を出しかねないところまで追いつめられていたようだ。
元々、危険なところがあると思って奥さんを見ていた旦那が、
「さすがにヤバい」
と感じ、自分だけでは説得できないと思ったので、彼女の両親や親戚に話をして、家族会議を開いてもらうことにした。
そこで、最初はm奥さんが必死に説得を試みる。
「これは私にとってのチャンスなの」
と言って、一歩も引かないという感じだった。
まわりも、
「何言ってるの。こんなの詐欺でしかないでしょう。目を覚ましなさい」
というだろう。
それも当然のことであり、説得力もあるはずなのだ。
なぜなら、奥さんも、心の中で、
「詐欺かも知れない」
ということはウスウス感じていた。
しかし、それを自ら認めることはできなかった。なぜなら、ここまでまわりに、自分が意地になるための、
「お膳立て」
を立てられてしまったのだから、言い出した手前、引くに引けなくなってしまったのだ。
旦那からすれば、
「ミイラ取りがミイラになってしまった」
ということなのだろうが、分かったところでどうすることもできない。
かたや意地を張るだけで、かたや、それを何とかこじ開けようとする。それぞれに意地と意地のぶつかり合いということで、二進も三進も行かなくなってしまったのである。
そうなってしまうと、膠着状態が続き、時間が解決してくれるのを待つのかどうか、それが問題だった。
一応何度か定期的に話し合いがもたれた。
さすがに、冷静になりかかっている奥さんも、サラ金に手を出すことだけは控えていた。そうなると、あとは膠着状態が残るだけで、その小説は、この膠着状態と主題として書かれていたのだ。
それは、たぶん、
「作者の実体験が籠っているんだろうな」