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都市伝説の自費出版

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 元々は、バブルが弾けたことから始まったのだが、バブルが弾けて、それまでの神話として、
「接待にありえない」
 と言われていたことが、起こってしまったりした、とんでもない時代だった。
 その最たる例が、
「銀行は絶対に潰れない」
 という銀行の、
「不敗神話」
 だったのだ。
 昭和の時代というと、神武景気、いざなぎ景気などという空前絶後の光景に、その間に不況の時期があったりした。まるで、能のあいだに狂言が入るような感じである。
 しかし、バブルが弾けてから、こっち、不況はあるが、好景気と呼ばれるものは何もなく、どんどん景気は下降していく。
「失われた三十年」
 という言葉があるが、このままでは、十年後には、
「失われた四十年」
 という言葉に変わるだけで、よくなるどころか、急降下して、下が見えているかも知れない。
 バブルが弾けたことで、起こった神話崩壊の一番の銀行破綻は、冗談で済まされる問題ではなかった。
 バブルの時代は、お金があれば、事業拡大することが、まるで企業の使命であるかのような感じだった。
 銀行もどんどんお金を貸し付ける。
「過剰融資」
 などをして、余計な利息を得ることで、銀行は儲かってきたのだ。
 しかし、過剰融資の影響もあってか、バブルが弾けた瞬間に、企業拡大した分の採算が取れなくなり、銀行が貸し付けた部分が、すべて併催不可能として、焦げ付いてしまった。
 自転車操業でやっているところなどは、ひとたまりもない。さらに銀行に融資を頼みにいくのだが、考えてみれば、以前融資してもらったものを返済もできていないのに、貸してくれるわけもない。
 それより、銀行は焦げ付いてしまった分、もう企業に貸し付けることはできないのだ。
 それよりも、貸し付けた分を取り立てるだけで精一杯なのに、その取り立てる会社が、返済不可能となって、焦げ付きが鮮明になってくる。そんな状態で、銀行もお金を貸せるわけもない。
 それまでは、ザルのごとく、垂れ流すようにお金を貸してきたが、バブルが弾けてからは、返済計画がよほどの信憑性が感じられないと、決して貸してはくれない。
 しかも、銀行も少しでも利益を上げないと、自分たちが危ないということを痛感してきたのだろう。
 銀行員も、
「銀行なら絶対に潰れることはない」
 ということで、銀行員になることを目指して、今までの生活を犠牲にしてきたのにと、思っている人も結構いるだろう。
 銀行に見捨てられ、自転車操業が機能しなくなった時点で、零細企業はひとたまりもない、そして、大きな企業がどんどん破綻していくと、零細企業も連鎖倒産。一つの産業が崩壊の危機になっている。
 というような状態が、すべての企業に起こっているのだ。
 それがバブルの崩壊であり、
「売上で利益を出せないのであれば、あとは経費の節減しかない」
 というものだ。
 会社の電気代の節約のために、残業をしないようにする。
 もっとも、仕事自体がなくなったのだから、残業などありえないだろう。
 それまでは、
「二十四時間戦えますか?」
 などというスローガンを元に、働けば働くほど利益が生まれ、社員個人に跳ね返っていたという、時代だったのだ。
 だが、バブルが弾けると、人件費節減が一番の問題で、
「リストラ」
 なる言葉がはやり、早期退職者募集などが行われてきたのだ。
「今辞めれば、退職金が満額もらえる」
 ということであるが、裏を返せば、
「いつ会社が潰れるかも知れない。そうなってしまうと、退職金など、あるわけもなく、社員は沈みゆく船と運命をともにする」
 ということになるのだ。
 絶対に助かることはない。だが、早期退職であれば、会社の道連れにされずに済むということで、とりあえずの難を逃れようと、早期退職に臨んだ人もいた。
 しかし、その時に道連れにされなかったとはいえ、救命ボートで、大海原に放置されただけなのだ。
「水は海水がこれだけあるのに、飲むことができない」
 というジレンマを感じながら、
「こんなことなら会社と運命をともにしていた方が、楽に死ねたかも知れない」
 という思いがあり、
「果たしてどっちがマシなのか?」
 という消去法を考えさせられることになるのだった。
 そんな時代なので、とりあえず、会社に籍があって、何とか生きながらえている人は、何を考えたかというと、
「あまりお金のかからない趣味を見つけて、人生を謳歌しないと、いつどうなるか分からない世の中だ」
 と、考えるようになったのだ。
 お金のかからない趣味というのは、結構あるものである。
 バブルの時代の趣味というと、社会人であれば、ゴルフというのが、定番かも知れない。
 営業の人はゴルフができるのはあたり和え。
「接待ゴルフ」
 などという言葉もあったくらいに、影響での接待には、ゴルフがつきものだった。
 ゴルフもそれなりにお金がかかる、道具にも結構かかるし、コースに出たら出たで、かなりのものだ。
 だが、バブルの時代であれば、それは当たり前のことであり、
「君はゴルフもできないのかね?」
 と、営業先から誘われた時、ゴルフができないことをいうと、そんな風に言われて、バカにされるというのが、関の山だった。
 だが、ゴルフをやっていると、たいていはうまくなるもので、そうなると、道具もいいものを揃えたくなる。どんどんお金もかかってくるというものだ。
 それでも、接待ともなると、領収書で会社の経費にもできる。営業経費として、ゴルフの会員権も会社から預かって、接待もしていたりする。好景気にしかできない接待だったといえるだろう。
 しかも、昼はゴルフ、それだけで終わるはずはない。キャバレーだったり、料亭だったりと、相手のランクによって、店も変えていたりしただろう。
 今からでは考えられないそんな時代を、まだ夢見ている人もいるのだろうか?
「昭和のよき時代」
 と昭和を懐かしむ人も多いが、きっとその頃の華やかさを、当時は好きではなかったかも知れないが、ここまでひどい状況になるとは、そして、ここまで長引くとは誰も思っていなかったからだろう。
「あっという間に過ぎたと思う三十年、きっと次の十年もあっという間に終わってしまうんだろうな」
 と、考えている人は多いに違いない。
 そんなゴルフなどの贅沢でしかない趣味は、今ではほとんどないだろう。せめて、打ちっぱなしのゴルフ場に行くくらいだろうが、そんな打ちっぱなしのゴルフ場も、ほとんどなくなってしまったといってもいい。
「あれだけあったのに」
 と思う人も多いだろうが、ほとんどの人は、ゴルフの打ちっぱなしがあったことすら、覚えていないというのが、本音なのかも知れない。
 やっていた人が何となく覚えているだけで、当時はそれほど違和感がなかった建物が亡くなったのに、それすら意識がないというのは、これほどひどい記憶もないということであろう。
 他に趣味というと、なかなか思いつかないが、とにかくその頃に趣味としてあった場所は、今はすでにゴルフの打ちっぱなしのように、人知れず、意識もされずに消えていったに違いない。
作品名:都市伝説の自費出版 作家名:森本晃次