果てがない河
王国編4 『青の果ての振り子』
『奇妙な』というよりも、私の乏しい常識をそれは超えていた。
とはいえ、漠然とした感想に過ぎないのかも知れない。
私は砂丘と砂丘が連なる果てすら無さそうな砂の中を歩いている。
私の先を行くのは老人だ。
またひょいひょいと韻を踏むようにして、同じ調子を何度も唱っている。
※
目覚めた私は老人と会話をしようとして、気がついた。
声が出ない。出せないのだ。
口を開く事は出来る。
息をする事も可能だ。
だけどそこから音を紡ごうとすると、途端に喉は動くのを拒む。
声帯は震えない。
老人は筆談を試みてくれたが、砂に刻まれた文字は私が見た事もないようなものばかりで、おまけに渦を巻くように文章は刻まれた。
これが悪夢ではないとして、何を悪夢といえばいいんだろう。
だけど、頬を撫でる砂を含んだ風はとてつもなくリアルで、そんな私をどこか嘲るようで、
――老人が眼を細め、
気がつけば、頬に湿り気を感じて、私は自分が涙を流している事を知った。
老人は私に向かって何度も頷いて、それがきっと悪意がない事と心配は要らないという意思表示なのだと分かって。
私はこの老人の話す言語を理解できる。
しかし、自分からしゃべりかける事は出来ない。
そして文字や言葉は書かれ、綴られると途端に理解の範疇から飛び出してしまう。
極めて中途半端で一方通行に近いコミュニケーションが強いられることになっているのだ。
でも、私と老人のささやかな交流の中で、たったひとつだけど、決定的に重要な意思疎通の方法を見つけるのには、それほど時間はかからなかった。
縦に頷けば肯定。
横に首を振れば否定。
それは私とこの老人、ひいては私が今いる――何故か、そこに居る事になった――世界においても共通する意思表示の方法である事が分かったのだ。
老人は私に話しかける。
私は頷き、あるいは首を横に振る。
だけど、それだけでは私が何故今ここに居るのかを話したり、もしくは、識るために尋ねたりする事には全く以て不十分だった。
※
『奇妙な』というのは私の砂漠に関する乏しい知識に基づく。
砂漠において、昼というのは苛烈な熱が集まるところで、夜というのは一転し非常に冷えるものだと聞いていた。
それが私の常識。
だけど私が今行くこの砂漠は全然その知識、常識が当てはまらない。
風は確かに乾いている。
水気が近くのどこにもない証拠だろう。
だけど私は自分が直ちに干上がるとも思えない。
老人がいて、水を持っているというのもあるけれど、むしろ快適と言えるほどの気温が保たれている。
辺り一面に砂以外の景色がないというのは『大海原でひとり』のような不安には駆られはする。
けれど、例えばここが私が識る砂漠の知識に基づく場所ならば、私は半日とここで保つ事は無いだろう。
しかしこの気候なら、2,3日ならば例え水がなくても歩き続ける事は出来そうに思えた。
まして今の私はひとりではない。
誰であるか、何をする人なのかも分かりはしないけれど、この老人とともに歩いているのだから、どこかにきっとたどり着くというそれこそ根拠の全くない自信すらある。
ふと、私の先で老人が空を見上げた。
青空には雲ひとつ無い。
砂漠の空というのは水蒸気が無いはずだから、雲だってきっと無いはずで、だから、こんなものなんだろう。
私がそう思っていると、老人は空の果てを指さした。
この老人はとても目がいい。
私はその事には気がついていた。
元々私自身は、眼鏡をかけてこそいないものの視力はあまりよろしくはなかった。
検査をすればコンディションが良くて0.3とか4くらいしか見る事は出来ない。
そんな私の目でも、果てない青の中にぽつんと浮かぶものがあれば、それを見分ける事くらいは出来た。
青――世界の半分を、地平線の上全てを占める無限の青の中に、ぽつんと観えたのはおぼろげな黒点。
しかし、それは青の果てでついと右へと斜走し、また戻るように左へと滑った。
不思議な振り子のようなそれは、小さくなってさらにもっと小さくなって、ついに私の残念な視力では、この青の中に見分けがつかなくなった。
「見えたかね」
老人が私にそう尋ねた。
だから私は一度小さく、でもはっきりと頷いた。
「あれは――ジャヴァーの船だな」
老人はそう言って、どこか懐かしいものでも観るかのように、優しげに眼を細めた。
そうはいわれても私には何のことだか全く分かるはずもない。
そんな私の途方に暮れた顔に気がついたのか、老人は私に笑いかけ、頭を一度だけくしゃりと撫でた。
そしてまた不思議な韻を踏みながら先へと歩き始めたので、私も少し遅れてその後を追い始めた。