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大団円の意味

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 新しい人がネットに入ってくると、自分は先生であり、そんな時、他にたくさん人がいないことを願っていた。なぜなら、主導権を握った人が、その人にとっての、
「先生」
 になるからだ。
 しかし、これも難しいところで、ネットに入ってきた人は、次また自分と一緒になれるかどうか分からない。その人が二回目に入った時、もっと自分よりも詳しい人であって、その人からいろいろ教わることで、立場が逆転してしまわないとも限らない。
 もっとも、簡単に師匠を変えてしまうような人は、
「そんな相手から師匠と思われるのも、心外だ」
 というくらいに、思えていれば、変なショックは受けないで済む。
 しかし、ショックを受けるというのは、ネットの世界の中にいると、避けては通れないもので、そんな苦労も知らずに生きていると、何かがあった時に、立ち直れないということだってあるだろう。
 しかも、現実世界とは明らかに違う世界である。
 そもそも、ネットに迷い込んだといっても、ネットに入り込むだけの何らかの理由があるからであって、一番の理由は、現実世界に対して失望してしまったりしたことが原因だったりすることもあるのではないだろうか。
 だから、ネットの世界で優しくされたり、悩みを聞いてもらえたりすることが気持ちよくて、その居心地の良さから、どんどんネットに嵌っていくのだろう。
 何といっても、ネットでは顔が見えるわけでも、誰なのかということも分からない。
 だから、チャットなどで話ながら、
「この人はこういう人なんだ」
 と自分で妄想し、勝手にその人を自分で作り上げる。
 そんな状態で、実際にどんな顔をしているのかということを知ってしまうと、ひょっとすると、失望してしまうかも知れない。
 しかし、人によっては逆に、
「自分の想像と違っていた場合は、その人が自分の想像よりも数段上だったことで、妄想ができなかったのだ」
 というポジティブな考え方になってしまって、
「妄想が違っても、それはそれで楽しい」
 と感じるネットの世界から離れられなくなっていくものなのだろう。

                ネット生活の進展

 そんなネットの世界であれば、それまで彼女も作ることのできなかった人間でも、妄想で彼女を作り上げることができたりする。
 マンガやアニメの主人公をまるでアイドルのように見てしまう、
「二次元」
 という発想に近いのかも知れない。
 そんなネットの世界が普及し始めて、ホームページを作ってあげていた時代に大学生であった遠山金治は、せっかく大学生になったのに、大学でリアルな友達がそんなに作ることはできなかった。
 もちろん、入学してきた時は、
「友達を作りまくるぞ」
 と思っていた。
 実際に、大学のキャンパスに入ると、
「おはよう」
 と言って、挨拶をするだけの相手はかなり増えた。
 しかし、本当の友達というと誰がそうだといえるのかと思うほど、親しい人はいなかった。
 だから、二年生の時、ちょうど流行り出したネットカフェというところに行ってみたいと思い。大学でたまに話をするくらいの知り合いに、ネットカフェについて教えてもらったのだ。
「ネットカフェっていうのは、東京などでは、マンガ喫茶とも言われていて、基本は、パソコンでいろいろできるということと、たくさん置いてあるマンガを自分の席で好きなだけ見れるということなんだ。しかも、他の喫茶店などと違って、何かを注文するというわけではなく、自分のスペースをお金で一定時間借りるというものなんだ。だから、ドリンクなどは、無料なのさ。献血センターなどのように、お金を入れるところにはテープが張ってあったりして、ただ、ボタンを押すところが後はボタンを押すだけという状態になっているから、そこを押して自分の好きなものを注文する。そして、ネットを楽しんだり、マンガを読んだりしながら、ドリンクを飲んで時間を過ごせばいいのさ。場所によっては、出前もできるところがあるので、食事はそこに注文すればいい。他にも、お菓子だったり、カップ麺などは販売しているので、それを席で食べるということもできるんだ」
 と大まかなことは教えてもらえた。
「便利でいいんだな」
 というと、
「そりゃ、そうだよ。それに籍も種類があってね、ボックス席だと、自分のスペースがあるだけで、まわりからはいろいろ見られた李するんだけど、個室というのもあって。リクライニング席だったり、畳が敷いてあって、和室っぽい個室もあるくらいさ。それに通称ネカフェというところから、文字って、寝カフェという人もいるくらいに、宿泊する人もいたりするんだ」
 という。
 確かに。それから数年後、
「派遣切り」
 などという言葉が流行った頃、非正規雇用者の解雇された人が街にあふれた。
「派遣村」
 と呼ばれるようなところで、新年からまるで、災害に躁具した被災者のように、炊き出しが行われたりしたものだった。
 考えてみれば、必要な時だけ安い賃金で働かせ、会社が危なくなると、非正規雇用者から切っていくという社会構造が、悲劇を招いたといえるだろう。
 そもそもの問題は、バブル崩壊にさかのぼるのかも知れない。
 あれだけ、新規事業を開拓すればするほど儲かっていた、簡単な算数を解くような時代だったものが、弾けた瞬間、一気に新規事業部分が焦げ付いてしまい、それまで、
「神話」
 と言われていたことが、一気に崩壊した。
 例えば、
「銀行は絶対に潰れることはない」
 と言われていた。
 社会の常識とまで言われていたものが、過剰融資の焦げ付きで、一気に経営不振に陥ってしまう。
 今までは、社会が不況になれば、銀行が何とかしようとしたものだが、この時は、その銀行が一気に潰れていくという常識外のことが起こったのだった。
「銀行といえども、もう他のところと一緒になって、地盤を固めるという、なりふり構ってはいられない状況になってきた」
 という時代だった。
 それが分かっている人が果たしてどれだけいたというのだろうか?
 企業もなりふり構ってはいられない。
「リストラ」
 という言葉が流行り出し、人員整理が一番の問題となってくる。
「早期退職者募集」
 であったり、
「窓際」
 などというものは当たり前であり、退職勧告を受けて、出向させられたり、
「リストラリスト」
 に乗ってしまい、他のリスト仲間とともに首を切られる中間管理職がどれだけいたことか。
 家族に、
「会社を首になった」
 とはいえず、公園で一日過ごして、何食わぬ顔で家に帰るなどという情けない状態になった人も少なくはなかった。
 夏の猛暑や冬の極寒では、どうしようもなく、ネットカフェに立ち寄る人もいただろう。
 家に帰ることもできなくなり、ネットカフェで生活する人もいたりした。
 ホームレスになる人も増えただろうし、もうこれ以上のことは文章にするのも、恐ろしいものである。
 そんな時代を何とか乗り越えてきたのだろうが、時代はすっかり変わってしまった。
 元々はどこの会社だったのか分からないくらいに、合併を繰り返し、銀行ですら、五つや六つの会社が一緒になったところも少なくない。
 かつてはライバル会社だったところもあって、
作品名:大団円の意味 作家名:森本晃次