大団円の意味
なるものが出てきた。
しかも、このユーチューブは、これ自体が金儲けになるということで、視聴回数を争うために、警察沙汰になることも少なくはなく、
「迷惑ユーチューバ―」
や、本当の犯罪者を生んだりしたのも、一つの時代の象徴だといえるのだろうか。
また、ホームページが流行っていた時代、チャットがブームだったというのは、皆知っているだろうか。
チャットというと、一つのホームページから、それぞれの集団、例えば年齢別、地域別、さらには、趣味別、などというコンセプトごとに部屋があり。そこに入室する形で、会話ができるというものだった。
ホームページと違い、リアルで全国、いや、全世界どこからでもアクセスできて、文字で会話できるという画期的なものがあったのだ。
そこで仲良くなった人たちが、またホームページでつながるというのが、この時代の醍醐味であり、地域のよっては、リアルでも会ったりして、いわゆる。。
「オフ会」
というものが実現したりしていた。
今から思えば、
「この頃が一番懐かしい」
と思っている人も結構いるだろう。
チャットをしていると、全国いろいろなところの人と知り合いになれる。さらに、
「ホームページを作りたいと思うんだけど」
という話を聞くと、
「一緒に作ろうか?」
ということで、親密になるが、ただ、その会話を皆が一緒のチャットではなかなかできない、
そのために、ちょうどその頃には、パソコンで、メッセンジャーというものができていた。
今でも活用されているものであるが、要するにお互いにツーショットでリアルに会話ができるというもので、ファイルの送信もできたりするので、実に便利がよかった。
今では、スマホの中にある、LINEのようなものになるのだろうが、メッセンジャーを使うと、他の何も知らない第三者に個人情報を知られることもないのだ。
第三者の中には善意の人ばかりではなく、悪意の第三者もたくさんいるだろう。ネットの世界では、悪意の人の方が圧倒的に多いのかも知れない。
いや、目立つのが悪意の人なので、悪意ばかりに見えるが、本当は善意の人も結構いるのだろう。
本当にいろいろな人がいたものだった。
一番多かったのは、皆との交流を目的にする人だろうが、コンセプトがしっかりしている人であれば、絵を描く人、写真を撮って、それをアップする人、いわゆる旅行記のようなものにする人、その人たちの中には結構老人もいたりして、
「老後の人生設計の一部」
とばかりに、ホームページを作成し、自分の人生の集大成のようなものにしたいと思っている人もいることだろう。
何しろ、フリーで作ることできる。
ただ、写真などの画像ともなると、どうしても有料のサイトになるだろうが、有料であっても、それなりに、サービスも行き届いていたり、検索に掛かりやすいような仕掛けもあったりする。
今のユーチューブなどに見られる、
「いいね」
というのが、昔のホームページでいえば、アクセスカウンターの数字だったりするのだ。
だから、昔のホームページには、必ずと言っていいほど、アクセスカウンターがついている。
累計に、一か月単位。そして一日単位と三つを表示するような仕掛けもあったり、管理人にだけ分かるような、閲覧履歴を見ることもできる。
つまりは、そこのサイトから来たのかということであったり、IPが分かったりするのだった。
また、アクセスカウンターと一口に言っても、その集計方法にはいろいろある。
誰であっても、このサイトを開いた場合に、必ずカウントするというもの。この場合は、更新ボタンを押したり、違うコンテンツを開いただけで、カウントされるものがあったりする。
また、もう一つは、前に入った人のIPを覚えていて、同じ人が何度もアクセスしても、カウントされないというものだ。
この場合は他の人がアクセスすると、その人にカウントされ、次の瞬間自分が見れば、カウンターが一つ以上増える形でカウントされたりする。
もう一つとしては、入ったIPをすべて覚えていて、ある一定の時間、例えば六時間の間にアクセスすれば、カウントしないというものである。その時は最初に入ってから六時間が経過した時点で、記憶は解除されるので、カウントし、またそこから六時間という仕掛けである。
この三つが、カウンターの計算方法なのだろうが、一番信憑性があるのが、三つ目であろう。
一番カウンターとしてあてにならないのが、最初のもので、下手をすれば、あっという間に一万アクセスを超えたりするというものである。
二番目のやつは、信憑性がありそうだが、あくまでも、カウンターの上がる上がらないは、他人任せであり、一人他人が入っただけで、前の人のアクセスの記憶がクリアになるというのも、どうかと思う。
しかし、それでも、
「のべ何人が見たのか?」
ということであれば、信憑性がありそうに思うが、三つ目にはかなわないだろう。
ホームページにおいての命綱であり、その評価に値するものとすれば、アクセスカウンターが一番であろう。そう思うと、その計算方法をシビアに考えるのも当たり前のことで、慎重に選ぶ必要もあるが、最初から決まっているような気もする。
「あまり、カウントが一気に上がるのも困るが、まったく動かないのも困る」
という意味で、
「前半が最初の計算方法、後半が二番目と考えると、やはり、最後の方法が一番の信憑性を感じる」
と言っていいだろう。
さて、そんなホームページを一緒に作ろうとして、チャットで仲良くなった人とメッセンジャーで会話をするようになると、次第に、メッセンジャーで会話をする人も増えてくる。そうなると、
「チャットで話をするというのも、何か面倒臭い気もするな」
という感覚になるのではないだろうか。
確かに世間話をするという思いと、新しい友達を作りたいという思いであれば、オープンチャットの方がいいのだろうが、そうでなければ、メッセンジャーが楽でいいに決まっている。
だが、なかなかオープンチャットから抜けられない自分がいた。やはりそれは、
「今日はどんな人が新しく入ってくるかな?」
という思いがあるからである。
自分もそうだったが、最初に入ってきた人は、ある意味、迷い込んだような感覚で、漂流者のように思える。
完全に、先住民の皆さんにいろいろ教えてもらいながら、感謝する。
先住民も感謝をされて嬉しくないわけもない。自分がベテランになったかのように感じるのも、悪くないものだ。
特に、自分が最初に迷い込んだ時はどうだっただろう?
話しかけてくれて、いろいろ教えてくれる人が、まるで神様のように思えなかっただろうか?
何でも知っていて、自分が知らないことを教えてもらえる。
しかも、当時はネットというと、やっと流行り出した頃で、まだまだ未知のことが多かった時代。
それをいろいろ知っているというだけで、
「この人すごいんだ」
と、感じたのが、まるで昨日のことのようではないか。
それが今では、ホームページを自分で作れるくらいにまでなったなど、自分でも信じられないくらいである。