大団円の意味
という意味で、ネットで盛り上がったり、クラウドファンディングにも参加する人が結構いたりして、その時の閉店は思いとどまったようだった。
それだけ、サブカルチャーに興味のある人が多いということでもあり、コンセプトカフェもバカにするものではないだろう。
「二十一世紀というのは、そんな時代なのかも知れない」
と感じた。
そして、二十一世紀に入ると、世紀末から続く、ネットの普及、さらには、携帯電話の爆発的な普及によって、バーチャルでいろいろなことができるようになった。
最初は、ホームページの文化であり、いろいろなプロバイダーが、ホームページのエリアを契約者に貸し出して、ホームページを作れる環境を与えてくれていた。
あまり詳しくない人は、自分でホームページを作るということをしないだろう。
というよりも、ホームおえーじというのは、それぞれにコンセプトというものが必要である。
ホームページ作成というのも、方法はいくつかあり、一つは、ホームページの作成ソフトを、電器屋さんで買ってきて、それを元に作成するという方法、もう一つは、ホームページ用の言語を勉強し、自分の作りたいものを、自由に作成するという方法。もう一つは、プロバイダーが持っているホームページのテンプレートを使って、部品をリンクする形で作成するという三つの方法が、一般的だろう。
それぞれに、メリットデメリットが存在する。
例えば、一つ目は、自由に作ることはできるが、お金がどうしてもかかってしまう。二つ目も自由に作ることはできて、お金はかからないが、言語の勉強から始めなければならず、とにかく時間がかかってしまう。
三つ目は、お金はかからないし、簡易にできるので、時間もかからない。しかし、自分が作りたいと思っているものが本当にできるかというのは疑問である。
ホームページを作るというのは、一種の、
「個性の発表」
と言ってもいいだろう。
自分の好きなもの、あるいは芸術的なものを嗜好していて、それを発表したいと思っている人が作るものではないだろうか。
そうなると、最後のものは、
「自分の作品を発表する」
という意味では少し難しい。
掲示板や日記くらいはあっても、そこに、果たして画像が張り付けられるかどうかも難しい。特に、画像のように、領域の大きなものは、当時のように個人に割り当てられる領域は結構少なかった。それを思えば、実践的ではない。
しかし、プロバイダーによっては、フリーであっても、
「領域無制限」
というところもあった。
ただし、そのようなサイトは、利益を出すために、どうしても、広告収入が大切であり、サイトを開いた瞬間、広告がたくさんポップアップしてくるという問題もあった。
ポップアップに関しては、パソコンのOSが進化していくうちに、
「ポップアップブロック」
のような機能が、ブラウザにできたことで解消はされたが、皮肉なことに、その頃には、ホームページのブームは去ってしまっていた。
話は逸れたが、ホームページを作るのに、一つ目も二つ目も基本は同じである。ソフトを使ったとしても、基本的に最低限覚えておかなければいけない言語くらいは存在する。
そういう意味では、ソフトを使わずに作っている人は、
「他の人の作成している言語のソースを、必要なところだけコピーして、利用する」
という方法もある。
実は一番これが楽だったりもする。確かにソフトは、いろいろな機能があって楽ではあるが、基本はすべて一からになる。そういう意味で、コンセプトとなる画像やテキストファイルができあがっていれば、それを、HTML形式にしておいて、リンクを張ることで、発表した作品に飛ぶことができる。
つまり、ホームページというのは、トップページを作っておけば、そこから、掲示板や日記、そして、友達サイトの紹介や、自分のコンセプトになる作品の発表ページと、それぞれのメニューをトップページに作っておいて、そこからリンクで飛べるようにするということが基本なのだ。
それを分かっていれば、言語の種類も知れている。そういう意味でも、お金のかからないという利点もある二つ目が一番いいのではないかと思う人も結構いるような気がする。
その時も感じたのだが、
「結構、絵やマンガを描く人って多いんだな」
と思った。
ホームページを作る人というのは、友達との交流という人が一番多いとは思うが、実際に自分の作品を公表する人も結構いる。
その中で一番多いのは、絵を描いている人が結構いるのだ。
そんな人は、自分の作品をアイコンにしたり、ボタンにしたり、バナーにしたりしていた。
友達が、
「ホームページを作りたい」
と言ってくれば、その人のために、自分の作品で、バナーやボタン、アイコンを提供するというような交流も行われていて、結構、お互いにいいものができたりするのだった。
ホームページのブームというと、ちょうど、世紀末から、世紀を超える数年くらいではなかっただろうか。
途中から、違うものが流行り出して、次第にホームページというものが、すたれていったような気がする。
もちろん、会社や公共の宣伝に使われている企業のホームページが消えるようなことはなかったが、個人で作成するホームページはピーク時は短く、さらに、あっという間に次のものにとって代わられたという形になってしまったのは、今から考えても寂しい限りであった。
登場してきたのは、
「ブログ」
と呼ばれるもので、基本的には、日記というものである。
一つのサイトが不特定多数に、日記を書くスペースを与える。そして、それぞれを検索できるようにして、コミュニケーションを深めてもらうというものである。
しいていえば、
「ブログという大きなホームページがあって、個人個人の日記が、コンテンツになっているというイメージ」
である。
つまりは、コンセプトは交流であり、その手段として、日記を利用するというものだ。
ホームページを舞台に活躍してきたネット民と呼ばれる人たちが、簡単にブログに乗り換えることができたのだろうか?
あくまでも、自分の作品をアップするということを目的にしていた人にとっては、許容しがたいものである。
「自分の作品を発表できなければ、ネットの意味がない」
と思う人もたくさんいただろう。
確かに、交流目的で、プロバイダーのホームページのテンプレートで作成していた人にとっては、ブログはさほど変わりのないものなので、違和感はないだろうが、あくまでも、コンセプトを作品発表だと思っている人には、ブログは許容できないのではないだろうか。
それを機会にネットから遠ざかっていく人も少なくはないだろうし、実際に、
「仕事以外ではパソコンを使わなくなった」
という人も少なくはない。
このブログの時代もさほど長くはなかったような気がする。
それこそ、数年の命で、それ以降出てきたのが、ツイッターと呼ばれる、
「つぶやき」
であった。
これは今でも残っていて、いや、発展しているといってもいいかも知れない。
さらに、趣旨が少し離れるかも知れないが、動画の背信という、
「ユーチューブ」