大団円の意味
「どんな意味なの?」
と聞いたが、どうも抽象的な意味として、曖昧なところがあり、使うタイミングにはいくつかあるようだ。
その言葉というのは、
「賢者モード」
というもので、快感が最高潮に至ったりした時、第五に訪れる憔悴感のようなもののようだ。
その時には必ず、後ろめたさや罪悪感が伴い、その裏返しというか、反動のような感情と言えるのではないだろうか。
この一見、
「賢そうな雰囲気」
に感じられるこの言葉であるが、実際には、セックスが大きな要因となっている。
そもそも、この言葉は、遠山がまだ大学生で、童貞を喪失した頃には、まだまだ浸透していなかった言葉だったのかも知れない。なぜなら、その言葉が生まれたのは、ネットが浸透してきてからのことだったからだ。
賢者モードというのは、
「セックスや、自慰行為のあと、男性が陥ってしまう、冷静になって、我に返ることで感じる脱力感のことをいう」
というものである。
この賢者モードというのは、相手の女性から見て、
「まるで悟りを開いた賢者のように見える」
という思い切り皮肉を込めた言い方なのだろう。
「どうしてこういう状況になるのか?」
というと、いろいろな説があるという。
例えば、脳内ホルモンの影響として、射精後に分泌されるホルモンが、性欲を減退させる作用があるというものであるという説。
さらには、野生動物の名残というものもあるという。そもそも、普段から危険に晒されて理宇野生動物は、性行為後が一番危ない瞬間だと言われる。つまり、そんな性行為をオスは冷静に見てしまうという名残が残っているのだ。なぜなら、敵襲を受けても、冷静に太刀打ちできるような体制を取っておかなければならないという考えだ。
さらには、子孫を残そうとする本能の働きもあると言われる。一度の射精で、いかに子孫を残すことができるかということを基本に考えると、一度射精することで、神経をすり減らすという考えから、そのあと、頭の中から、セックスを切り離すという本能が羽田らしてしまうのかも知れない。
それぞれに諸説はあるが、説得力はそれなりにあるだろう。
これが女性とはまた違うものであり、女性は一回のセックスで何度も絶頂を迎えることができる。それに比べて男性は一回で賢者モードに陥ってしまうと、そこから先は、その気まずさを、
「自分のせいではない」
と思いたいのだろう。
そう思うことが、何とか自分を正当化させようと考え、セックスという行為に嫌悪感を抱いてしまい、いくら隣に好きな人がいても、罪悪感から、脱力感を経て。下手をすれば、鬱状態に近いものとなってしまうこともえてしてあるだろう。
そうなってしまうと、本来であれば、達成感のようなものがあってしかるべきなのに、達成感を得るまでに感じる冷静さと脱力感から、
「すべてを悪いこと、罪悪感へと一足飛びに飛んでしまうことで、賢者モードというものが成立する」
と言えるのではないだろうか。
そして、風俗での賢者モードには、
「お金で女性と快楽を買った」
という思いから、罪悪感は、まるで犯罪を犯した人間のように思えてしまい、
「お金がもったいない」
という発想と、
「お金で愛情を買う」
という、安直で安易な考えしかできない自分を苛めるかのような感情にいたる自分を、嫌悪するのだろう。
「どうして、お金で幸福な時間を買っているのだ」
と思えないのか。
もし、そう感じることができれば、たとえ、賢者モードに陥ったとしても、それは本当に一瞬で済むことかも知れない。女性だって、何度も絶頂に陥るとは言っても、一瞬くらいは、賢者モードに入るものではないだろうか。少なくとも、
「呼吸を整える時間」
というものを、男性にもあるように、女性も感じているからであった。
そんな賢者モードであるが、前述のようにお金の問題から、罪悪感というものも存在しているという感覚がある。
ただ、この賢者モードというのは、ある意味、
「多重人格」
というものも、影響しているのではないかと、冷静になった遠山は感じていた。
先ほどまで、あれだけ欲望のままに身体が反応していたのに、もう身体が反応するというのは、条件反射でしかない。
まるで自分の罪悪感を打ち消そうとでもしているような敏感さが身体に残っている。
それは、脱力感とはまったく別のものであるはずなのに、この敏感な身体は何なのだろう?
「これこそ、多重人格のなせる業なのではないか?」
と考えられるほどだった。
しかも、この賢者モードには、正反対の性格と、反動が含まれていて、反動が敏感な身体にしているのか、反動が、冷静さを生んでいるのか分からないが、ここまで果てた瞬間に変わってしまうなど、ビックリであった。
確かに、一人での自慰行為は、
「本来ならセックスで味わうことを、自分だけで慰めるなんて、情けないだけだ」
と、情けなさに自分の中での罪悪感を感じるもので、
「身体が敏感なのに、気持ちは冷静になっている」
というのも、冷静にさせられたことが、反動だと思わせるに十分な状況を作り出しているのが、賢者モードなのかもしれない。
賢者モードに陥ることで、欲望への言い訳のような感情だったとしても、頭の中が真っ白になりながら、呼吸が整っていくうちに、逆に、達成感のようなものも出てきたのは、えいみという女性がしっかりとフォローできる女性だったからなのかも知れない。
自分を見失いかけている遠山に、優しく寄り添ってくる。最初は、賢者モードになりかかっている遠山を優しく見守っていたのだが、遠山自身はそれどころではなく、
「せめて、何とか、罪悪感だけは取り除きたい」
と思っていたが、そもそも、罪悪感を取り戻せないから、このような賢者モードに陥るのであって、その理屈が分かっていないから、それどころではない状態になっていたのだった。
それをよく分かっているえいみは、遠山をじっと見つめている。
そして、あるタイミングで、ぐっと身体を寄せてきて、遠山を抱きしめるのであった。
そのタイミングは、遠山にとっては、願ってもいないタイミングであり、それが、いかにも、
「えいみのえいみたるゆえんだ」
と、あとになって、遠山に感じさせるものであった。
この賢者モード、今から思えば、
「最近にも感じたことではなかったか?」
と感じると、
「そうだ、あゆとの電話えっちをした時ではないか」
あの時は目の前に相手がいなかったことで、賢者モードを知られることはなかったが、そう思っていたのは自分だけで、相手は何といっても主婦である。
男性が、賢者モードに陥ることくらいは十分に分かっていて、その対処法も知っていたことだろう。
だが、彼女としても、あのような電話は初めての経験であったろうから、彼女としても、まさか、童貞の遠山に、体よくあしらわれるなど、思ってもいなかっただろう。
そういう意味で、彼女が罪悪感を感じたとしても、それは無理もないことだったに違いない。
その時のことを思い出すと、実に恥ずかしい。お互いにどのようにしていいのか分からない状態を作り出したのは、遠山だった。