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大団円の意味

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 ただ、そんなマスゴミも、実にたまにではあるが、いいことをする。それは、自分たちの倫理や、正義感などというものとはまったくかけ離れていて、あくまでも、
「読みたい連中に、記事を与えて、それで金儲けをしている」
 というだけのことである。
 そんなマスコミが書いていた内容は、
「情報収集にかけてはさすがにプロ」
 と思わせるものだった。
 どんな方法を使っているかということは、公にはできないことであるに違いないが、それでも、ちゃんと理にかなった情報を得てから、それを記事にしているのは、さすがであった。
 もちろん、金儲けのための記事なので、正義感からではなく、読者を煽るような書き方であるが、方向性が間違っていなければ。それなりに、正しく、そして立派な記事になる。コラムなどという形で書かれている記事が、どこまで信憑性があるか分からないが、気になって見てしまうのは、自分もマスゴミに踊らされているからであろうか?
 そんな時期を読んだ読者は、救急救命について、疑問を呈するようになる。
 しかも、その頃から、テレビドラマの一つのパターンとして、
「医療系のドラマ」
 というものが、ワンクールに、一つや二つはあったりするようになってきた。
 特に救急救命などは、ドラマになりやすく、
「そこで働く医師たちの努力と、病院側の理不尽な経営方針とがぶつかって、ドラマが形成されている」
 という感じのものが多い。
 ただ、これは他のドラマとも共通したものがある。
 例えば警察関係の話などがそうではないだろうか。
 警察というと、典型的な縦割り社会であり、さらに、管轄のようなものがあり、横のつながりも怪しいものだ。
 特に階級制度の警察機構は、階級が上の人には絶対に逆らうことはできない。
 なぜなら、階級によって、行使できる権利が、ハッキリしているからであった。
「警部以上でなければ、事件の捜査を管理できない」
 などというものである。
 他の会社の、係長、課長などと呼ばれるものと違って、階級でできる範囲がしっかり決まっているというのは、やはり、上層部が、警察庁という政府からの流れだからではないだろうか。
 しかも、警察は公務員である。
 階級によって、地方公務員と国家公務員で分かれる。
 国家公務員ともなれば、完全に管理できる立場であり、その力は天と地ほどの違いがある。
 これは警察機構に限ったことではなく、公務員全般にいえることであるが、
「キャリア組、ノンキャリア」
 などという言葉を聞いたことがあるだろう。
 特に、キャリア組は、国家公務員試験に合格してきたエリートが、試験を受けていない人が最初の階級からしか進めないものを、かっ飛ばして、進むことができるものである。
 例えば昔の軍隊にも同じようなものがあった。
「陸軍大学を卒業していなければ、参謀本部へは入ることができず。陸軍としての本来の仕事をさせてもらえない」
 ということであったりするが、しかし、
「大卒であるとしても、階級は二等兵から」
 ということではあったようだ。
 徴兵制度というものが、結構ややこしかったのではないかと思われる。
 だが、今の制度では、試験に合格すれば、国家公務員なので、
「一般警察官は、まず最初は巡査からのスタートだが、キャリア組となると、最初は警部補からになる」
 というものである。
 さすがに、それは、国家公務員の試験に合格しているのだから、当たり前のことであろう。
 テレビドラマなどで問題になるのは、
「自分のやりたいことをするには、偉くなって、自分に権力が付かなければ、何もできないのと同じだ」
 ということである。
 何と言っても、縦割り社会なので、当然のことながら、上下関係には、かなりの厳しさがある。
 一匹狼であったり、異端児と呼ばれる人は、まず出世などできるはずもなく、中年になっても、巡査部長であったり、平刑事であったりする。
 それがドラマとしては一番いいのであって、
「視聴者が見たい番組」
 として出来上がるのだ。
 上下関係だけではなく、管轄の違いなどを浮き彫りにすることは、これも視聴者がもっとも気にするところであり、勧善懲悪という観点から、刑事ものほど、ドラマになりやすいものはない。
 それが人情ドラマともなれば、余計に視聴率が上がり、世の中の理不尽さをいかに描くかということが問題なのだろう。
 警察や医療関係は、そういう意味で、ドラマになりやすい。営利目的の病院と、さらに、出世欲などのドロドロとした問題が孕む、警察機構、それらの根底にあるものは、
「勧善懲悪」
 という考えではないだろうか。
 勧善懲悪というと、
「善事を勧め、悪事を懲らしめること」
 それを勧善懲悪という。
 時代劇などに多いパターンで、
「水戸黄門、遠山の金さん」
 などが、その例なのだろう。
 余談であるが、このお話の主人公である、
「遠山金治」
 という名前は、彼の父親が、勧善懲悪な性格だったことと、名字が遠山だということで、
「遠山金四郎」
 にあやかった名前にしようということで決めたということだ。
 さすがに今でいう、キラキラネームなどとは、趣旨が違っているのだろうが、つけられた子供としては、
「何て罪な名前を付けてくれたんだ」
 と思わないわけにはいかなかった。
 遠山が大学生の頃から、キラキラネームという話はあったが、問題になっても、少しであった。
 そんなキラキラネームから比べれば、
「遠山金治」
 くらいは、許容範囲だといってもいいだろう。
 そんな遠山だったが、夜も街に出かけるのは、コンパの時でコリゴリしていて、まわりも必要以上に誘わなくなった。
 普通だったら、
「合コンで人が足りないから」
 という理由で呼ばれる可能性が一番高いのだろうが、
「遠山はやめておこう」
 ということに、水面下ではなっているようだった。
 その理由はハッキリとは分からないが、きっと、その場の空気を乱すような発言をしたり、行動をしたりするのではないだろうか。
 一番嫌われるのは、場の空気を読まずに、自分だけ目立とうとする人ではないだろうか?
 女の子から好かれたいという気持ちだけではなく、とにかくその場のマウントを取りたいという理由で、しかも、まわりを気にしない人は、実にわがままであり、一番嫌われるであろう。
 特に合コンなどは、NGワードなどが結構あり、それを口にしてしまったことで、その場の雰囲気が完全に白けてしまうことも少なくない。
 一言NGワードを口にしても、それにまったく気づかない人は、次にまた何を言い出すのか分からない。そんな人間を合コンなどに入れてしまうと、すべてが台無しになってしまう。
 その日だけの問題ではなく、もし、今後、同じような合コンを開こうとしても、彼らはブラックリストに載ってしまい、自分たちが主催することはもちろん、他から誘われるということもありえなくなるに違いない。
 そうなると、その元凶となったやつは、誰からも相手にされず、一人寂しい毎日を暮らさねばならない。
作品名:大団円の意味 作家名:森本晃次