交わることのない上に伸びるスパイラル
だが、桑原が名前で呼んでほしいと思っているのも当然のことであろうが、今はまだ話せる時期ではないと、さくらは思っていた。
「話せる時期がくれば、話をすればいいんだわ」
と、さくらは感じていて、その思いを、ウスウスであろうが、桑原も感じているような気がした。
さくらが、兄の博人をどのように思っていたのか、桑原は知る由もなかったが、さくらにとっては、いつも健康的で、まわりと溶け込んでいる兄が眩しく見え、羨ましかった。
だからと言って、嫉妬しているわけではない。
「ひょっとすると、私の幸運をすべて、お兄ちゃんが吸い取ったのかも知れないわ」
とも感じたが、だからと言って、兄を恨むようなことはなかった。
「お兄ちゃんが、輝いてくれているのを見ていると、そのうちに私も……。って気分になれる気がするの」
と、思っていたのだ。
それを、家族はどう見ていたのだろうか?
母親などは、必要以上に、さくらに気を遣っているように思えた、
「そんなに気を遣わなくてもいいのに」
とは思ったが、そこまで感じているものを、口に出して、
「気を遣わなくてもいいよ」
とは言えなかった。
そんなことを口にすると、却ってぎこちなくなってしまいそうに思うからだったのだ。
さくらにとって、兄も母親も優しい人だという意識はあった。
ただ、それだけに、父親には、警戒心が強かった。
子供に対して、いろいろ気を遣って、別荘を探してきてくれたりはしてくれているのだから、感謝こそすれ、怒りを表す相手ではないことは分かっている。
しかし、母親を見ていると、どこか、父親に変な気を遣っているように感じられ、それが自分のせいではないかと思うと、どうしても、母親の味方をしてしまう自分がいることで、父親に怒りがなくても、怒りのようなものをロックオンしておかなければいけないという感覚であった。
父親もそれを分かっているからか、いろいろしてはくれるが、面と向かって、さくらを見ることはなかった。きっと、面と向かえば、お互いにぎこちなくなって、自分では何を言うか分からないとでも思っているのかも知れない。
もし、そんなことを感じているとすれば、また、悪いのは自分であり、さくらは自分を責めてしまうことを分かっているので、それくらいなら、父親と面と向かうことをしないようにしなければいけないと感じるのだった。
だから、決して、父親は、自分が探してきた別荘なのだが、来ようとはしなかった。
どちらかというと、父親は、兄の方に期待をしているようで、兄とはよく話をするという。
そして、兄の話によると、父親との話の時に、自分のことを父がいうことはないという。だからこそ、二人の会話に、さくらは存在しないことになっている。兄は、それが嫌だと言っていた。そのため、父と話をした後、気分が悪くなるので、それを何とかしようと、さくらと話をしにくるのだ。
兄が高校生になってから、さくらに話に来る頻度が急に増えた。
「きっと、お父さんがお兄ちゃんに、結構な頻度で話に来ているんだろうな」
と思った。
兄は、その頃には、さくらの話をしない父親を嫌だとは思っていなかったような気がするが。それでもさくらと話したいと思うのは、
「何か理由をつけてでも、私と話をしたいと、お兄ちゃんが思ってくれているからなんじゃないかしら?」
と、さくらは感じていた。
ひょっとすると、父親が、自分のことを粗末に思っているということを気遣って、話に来てくれているのではないかと感じた。だが、さくらは、父親のことは、半分、どうでもよかった。
「あの人はいい人なんだろうけど、私とは合わないの。しかも、あの人は合わない相手を強引に合わせようとするから嫌なのよ。自分が合わせてくるということは絶対にしないで、こっちを合わせるようにしているのよ。あんなので、会社でよく勤まるわね」
と、さくらは、父親の話になると、まともには言わない。
ただ、、小学生の時に、身体の悪いさくらのことを考えて、別荘などを探してきてくれたことに対しては感謝の気持ちがあるのも間違いない。
しかし、成長してきて大人のことが少しずつ分かってくると、自分が父親とは合わない性格だということはハッキリと分かってきた。どちらかというと、母親に似ている。
でも、母親はそんな父親の言いなりなところがある。小学生の頃は、母親を通して父親を見ていたので、遠い存在でありながら、その分、気高い存在だという意識があり、自分には近づいてはいけないとさえ思っていたのだ。
だから、母親を見ていて、父親のことを考えていた。
いつも母親は、父親に怯えていた。何かあれば謝っていた感覚があるのだが、
「どうして、そんなに平謝りしなきゃいけないのかしら?」
と思っていたが、小学生の頃は、その原因は自分にあると思っていた。
確かに、身体が弱いのは自分が悪いわけではないと思うのだが、だからと言って両親が悪いわけでもない。
大人になって考えれば、両親のどちらかの遺伝子が、弱い子供を作るというものを持っていたのかも知れないが、それも、親が悪いというには、気の毒だ。
だから、両親も、身体の弱いさくらのために一生懸命にいろいろ手を尽くしてくれたのだろう。
中学生になると、それまでと違って、友達もできたし、少し開放的になったことで、クラスにも解けこみ、友達も少しずつできていった。母親も、一安心したことだろう。
そんな中学時代というと、思春期の時期である。子供が大人への階段を上ると言えば、恰好はいいが、そんなきれいごとだけでは済まされない。
どちらかというと、女の子は大変だ。身体に変調もあったり、何といっても、初潮を迎えてからというもの、肉体的に不安定になっていき、精神的にも肉体の不安定さについていけない時もあったりする。
それよりも、男子の成長も気になる。それまでは、あどけなさの残る男の子だったものが、顔には、ニキビや吹き出物のような汚らしいと思えてくるものが出てきて、しかも、精神的に、女性を欲する気持ちが強いのか、それとも、性に目覚めたことで、目がギラギラしてくるのか、あれが、この間まで、かわいらしい少年だったのかと思うと、ゾッとするほどである。
だが、さくらも、兄の成長を見ていたはずである。
兄だって、同じように思春期を過ごしてきたのだから、確かに顔にはニキビがあったのを覚えている。
しかし、さくらは兄を汚らしいとは思わなかった。
「お兄ちゃんも、大人になっていくのね」
という目で見ていたような気がする。
「さくらも、そのうちに、大人の女になるんだろうな」
と、ボソッと聞こえるか聞こえないかというような声で、囁いたことがあったのを、さくらは覚えていた。
その時の、兄の表情がどんなものだったのか、なぜか思い出せない。
逆光になっていて、その顔を覗き込んでいるのだが、影絵のように、目と口と鼻だけが光って見れている。口を開けると、歯の白さが目立っているようだった。
「きれいな歯並びだ」
と感じたのを思い出した。
ただ、その顔を見たのは、あくまでも、さくらの錯覚だったような気がする。
「夢で見たのかしら?」
作品名:交わることのない上に伸びるスパイラル 作家名:森本晃次