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交わることのない上に伸びるスパイラル

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 と思っているようだった。
 桑原は、決して嫌な顔はしない。図書館の人たちは、
「まだ一年生だから、新鮮な気持ちなのかも知れないな」
 と言っていたが、彼は、三年間を通して、実に真面目に勤め上げた。
 桑原が部長になる頃には、図書館の手伝いをする人も増えてきて、図書館も助かっていた。
 いつも図書館を利用している生徒たちも、文芸部の部員に、本の話などをするようになり、それまでの部活とは、だいぶ変わってきたようだ。それもこれも、桑原の真面目な性格が起因しているに違いないのだ。
 そんな文芸部で、
「何とか高校時代に、小説を書けるようになりたい」
 という思いが強くあったことが、文芸部を真面目な部にすることと同じ目線で見ていたのだ。
 文芸部を真面目な部にすることはできたのだが、肝心の小説を書けるようになるまでには、なかなか道は険しかった。
 ショートショートであれば、何とか書けるようにはなった。原稿用紙で、二、三枚という程度だろうか。機関誌に載せるには、少し短いので、数作品を書いて、それを載せるようにした。
 だが、桑原が本当に書きたいのは、長編であり、長編というと、文庫本で、約二百ページが境だという。
 ということになると、四百字詰め原稿用紙でいけば、役三百枚オーバーにならないと、長編とは言えないだろう。
 さすがにいつも長編というのもきついだろうから、二作品で、一冊の文庫本になるくらいが書ければいいと思っていたのだが、今の時点であっても、何とか短編がいいところであった。
 いずれは長編が書ければいいと思っているが、どうして書けないのかというのは、自分でも理由が何となく分かっていた。
「あまり引きずらない性格だ」
 ということと、
「集中すると、他のことを忘れてしまう」
 という性格が、融和する形で、悪い方に影響しているのではないかと思うのだった。
「集中しているので、その時に覚えたことも、我に返ると忘れてしまう」
 ということになってしまうのだと思った。
 単独では、決して悪いことではないが、それが一緒になると、それぞれの悪いところが作用しあって、
「引きずらない性格が、嫌なことは忘れてしまうという風に作用して、集中することで、その時の執筆が終わる時に、達成感からの安心からか、必要なことすら忘れてしまうのではないだろうか?」
 この思いが、
「負のスパイラル」
 を形成し、交わらない螺旋階段を映し出してしまうのだろう。

                滝と祠のある風景

 十月十五日の水曜日、二人は落ち合ってから、気が付けば、伊豆急電鉄に乗って、伊豆急下田駅に到着していた。
 そこから、バスで一時間ほど、山に入ったところが、今回の目指す宿、桑原の話では、
「ごめん、本当は、一般客がいない時を狙ったんだけど、どうも、カップルがいるみたいなんだ。いいかな?」
 ということだった。
 一瞬、考えてしまったさくらだったが、別に彼が悪いわけでもないし、そもそも、それくらいのことは予測できたこと、
「大丈夫よ、あまりうるさいようなら、宿の人に言えばいいんだから」
 と言って、申し訳なさそうにしている桑原をねぎらった。
 いくら秘境とはいえ、誰もいない宿というのも、さすがに寂しいだろう。いくら、湯治の人や、芸術家がいたとしても、しょせん彼らは、影のような存在だと思っている。
 そう、温泉だけに、湯気の向こうでシルエットとなって浮かんで見えるような、そんな存在を思い浮かべるさくらだった。
 伊豆急下田までは、落ち合ってから、三時間くらいかかった。途中のオーシャンビューは、何ともいえない心地よさを感じさせ、元々、海が苦手だったさくらだが、この絶景は感動おのだった。
 海が苦手だというのは、さくらが昔から身体が弱かったからである。
 小学生の頃には、年に何度か、三十九度近い高熱を出して、寝込んでいた。インフルエンザの時もあれば、扁桃腺の時もある、気を付けていても、なかなかうまくいかず、病院にも相談したが、
「そもそも、身体が弱いのかも知れないですね。たまには、温泉で療養するというのもいいですね」
 と言われた。
 さくらは、子供の頃から、何度か療養という目的で、小さい頃には、海の近くで療養していたというが、海の療養から帰ってきて、決まって熱を出していた。
「海風に弱いのかも知れないですね。人によっては、潮などの湿気が身体に合わない人もいますからね」
 と言われたものだ。
 海の近くにあった別荘のようなところを、夏休みの間だけ、借りることができたらしい、どうしてそんなことができたのか、子供だったのでよく分からないが、せっかくの話ではあったが、一年目で効果が出ないばかりか、余計に悪くなってしまっていたのでは、本末転倒もいいところであった。
 さすがに、そんな状態になってしまった後で、
「どうして、別荘が借りられたの?」
 などと聞けるはずもなく、そのうちに、今度は父親が、信州と山梨県の間くらいにある、湖畔の別荘を探してきてくれた。
 そこは、信州などほど大きなものではなかったが、家族で過ごす分には、夏休みの間だけなので、ちょうどよかった。
 父親は仕事なのでそうはいかないが、母親と、兄の三人であれば、別に問題はない。
 兄とは二つの年齢差だったが、小学生の頃はそんなに年齢差を感じることはなかった。
 だが、年齢差を感じていたのは兄の方であって、完全に、妹のさくらを子ども扱いにしていた。さくらは、それが面白くなかったのだが、どうしてそんな感覚だったのか、高校生くらいになって分かった気がした。
「思春期を挟んで、男の子と女の子では、圧倒的に成長は女の子の方が早い」
 と言われている。
 実際に、小学生の頃は、男の子よりも、女の子の方が、身長が高い子も結構いたのだが、中学生になる頃から、男の子にはかなわなくなっていた。
 ただ、女の子の方が丈夫な子の方が多かったように思えるのは、自分がその中で、病弱だったから、余計にそう感じるからなのだろうか。さくらは、どうしても、意識してしまうのだった。
 そして、そんな成長を妹の立場から見ていると、小学生の頃の方が印象は深いのだが、兄のように男の子は、思春期に入ってからの、急成長の時期を自分で感じられる時期にいることで、余計に、
「自分が妹には、絶対に追いつかれることはない」
 という確信めいたものを感じたのだろう。
 妹をバカにしているわけではなく、いつも頼りになるお兄ちゃんというイメージが確立したのは、そういう感覚だったからに違いない。
 さくらと、兄とは仲が良かった。
 兄の名前は博人と言った。そう、奇しくもであるが、桑原と同じ名前だったのだ。さくらが桑原の下の名前を聞いた時、ドキッとしたのは無理もないことで、しかも、いまだに桑原のことを、
「桑原さん」
 と呼ぶのも、兄と同じ名前だったからだ。
 どうして、名前で呼んでくれないのかということに、桑原はこだわりを持っているわけではない。正式に、付き合い始めようという話をしたわけでもないので、桑原が、
「名前で呼んでほしい」
 と思っていたとしても、それを言い出しきれない気持ちも分からなくもない。