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交わることのない上に伸びるスパイラル

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 ただ、この勘違いが、以前、大きな事故を招きかけたことがあった。
 あれは、高校時代だっただろうか。友達とオリエンテーリングに行ったことがあった。
 数人の仲間と一緒に、地図とコンパスを頼りに、チェックポイントを目指しながら、最後にはゴールに行きつくというオリエンテーリングである。
 普通の登山のように、
「決められた道」
 というような、登山道を普通に歩くわけではない。
 場所によっては、道なき道を歩くこともあり、どこを歩いているのか自分で分からないことも結構あったりした。
 そんなオリエンテーリングなので、一人でするよりも、数人で組んだ方がいいだろうと思った。高校生で、部活というわけでもなく、ただの趣味なので、それでよかったのだ。
 だが、その時、普段なら、そんな勘違いをするはずがないということで、地図とコンパスを見るという、一番重要な役を仰せつかっていた。
 自分でも、あまり間違えることはないと思っていたので、甘く見ていたわけではないのだろうが、気が付けば、勘違いをして、道に迷ってしまっていたのだ。
 迷った道を、さらに彼は汚名挽回しようと、何とか、地図を見ながら、どこに戻ればいいのかを模索しながら、いろいろ動いたのだが、動けば動くほど、焦りに繋がってしまって、結局、うまく抜けられなくなった。
 もう一人の男性が、
「今度は俺が見てみよう」
 と言って、冷静な目で見ると、何とか抜けられたのだが、あとから考えれば、そんなに難しいところでもなかったのに、
「一度狂ってしまうと、先が見えなくなるものなんだな」
 と思えてきて、ちょっとした勘違いが焦りを呼び、普段考えれば簡単に分かることが、盲目になってしまうと、まったく見えなくなることを思い知らされた。
 一時期、ショックで何も手につかなかったが、立ち直りが早いのも、桑原の性格だったのだろう。
「俺の性格だから、しょうがないと言えばしょうがないのかな?」
 と何とか自分に言い聞かせてきたが、どうにも桑原の性格的なものなのか、焦り始めると、なかなか収まらないのが、桑原だったのだ。
 それから、少しの間、自分が表に出ることはしないようにしていた。だが、桑原という男、そこまで弱い人間というわけではないようで、一年くらい、おとなしくはしていたが、また、行動的になっていったのだった。
 オリエンテーリングや登山というのはさすがに怖いのか、ハイキングであったり、どこかに旅行に行ったりするのは、平気になった。
 それも、集団で行くのではなく、一人の行動が多くなった。
「一人だったら、誰かに迷惑をかけることもないし、ハイキングや旅行くらいなら、危険なこともないので、一人の趣味としてやってみることにしよう」
 ということで、それから、桑原は単独行動が多くなったということである。
 ハイキングは、鉄道会社が主催しているような、
「お年寄りでも、一人で参加できる」
 というようなもので、気軽にするには、ちょうどいい。
 現地集合、現地解散というくらいのフラットな行事なので、精神的なリハビリという意味でもちょうどよかった。
 旅行に関しては、桑原は趣味もあるので、一人静かに行くことがちょうどよかった。
 その趣味というのは、小説を書くことであった。高校生の頃に始めた趣味で、最初の頃は、なかなか最後まで書けないで苦労した。
 しかし、最後まで書き切ることが、小説を書けるようになる一番の近道だ。
 ということが分かると、一人旅というものに、がぜん興味が沸いてきたのだった。
「小説を書けるようになるための一番のターニングポイントは、何があっても、最後まで書き切ることだ」
 ということであった。
 そのことを分かっていなかったので、途中まで書いて、
「こんなんじゃだめだ」
 と考えると、そこまでいくらスムーズに書けていたとしても、一気に感情が冷めてくる。
 小説というものは、感情が乗ってこなければ、先に進むことはできない。
 それは、一つの文章であったり、一つの段落であったりと、細かいところを一つずつ紡いでいきながら、形にしていくことではないだろうか。
 ただ、桑原が小説を書こうと思うようになったのは、中学時代の学校で、週に二時間だけ、特別教育活動なるものがあり、スポーツでも、文化でも、放課後の部活のようなものがあり、桑原は、
「俳句の授業」
 を選択していた。
 他にやりたいものもなかったので、一番マイナーではあるが、何かを作るというところで、自分がやりたいと重いことで、できるのではないかという意識の一致という意味で、消去法で起こったのが、この俳句という授業だった。
 ただ、この授業の講師は、実は結構有名な人のようで、テレビにもよく出てくるような、
「教授としての資格も持っていて、俳諧では結構有名な先生だ」
 ということのようであった。
 そんな先生に教わっていると、
「俳句を作るのって、結構面白いな」
 と感じるようになっていた。
 だが、俳句を有名な先生に教えてもらっていると、もっと、他の文芸もやってみたくなったのだ。
 そこで考えたのが、小説だった。
「いずれ自分が書いた小説が一冊の文庫本になるなんて、夢みたいじゃないか」
 と考えるようになった。
 ただ、小説は、俳句のように一筋縄ではいかない。
 俳句も奥が深く、そんなに簡単なものではないということも分かっている。
 俳句の先生から、
「俳句というのは、決められた文字数の中に気持ちを込めなければいけないというもので、しかもその中には、季語も入れなければいけない。和歌などよりも、さらに短い文章なので、結構難しい。文章というのは、短ければ短いほど難しいというからね」
 と、まるで他人事のような表現になっていたのは、少し滑稽であった。
 中学時代には、まだ小説を書いてみたいとは思っていたが、実際に書いてみるところまではいかなかった。まずは、高校受験が先決だったからだ。
 それでも、何とか入試に合格し、志望校入学ができたことは、よかったと思っている。
 入学した高校では、文芸部に所属していた。目的は、
「小説を書いてみたい」
 ということであった。
 高校の文芸部は、想像していたような、真面目な部ではなかった。
 確かに、一年に二、三度は機関誌のようなものを発行しているが、部の活動はそれくらいのもので、あとは、図書館の整理の手伝いをするくらいだった。
 機関誌に関しては、発行前くらいになると、部員は、適当に作品を書き上げて持ってくるが、部としての活動はあまりしていないようだ。
 図書館の手伝いも、部長と、副部長が、
「役職だから」
 ということだけでやっているだけだった。
「役職と言っても、会社の役職のような、名誉職でもなく、給料がいいというようなおいしいものがあるわけではないので、ただの貧乏くじだよ」
 と言って、ボソボソいいながらやっているだけだった。
 図書館の方でも、せっかくやってくれているのだから、文句も言えないが、
「こんなに嫌々やられても……」
 と思っていることだろう。
 だが、真面目な桑原が入部してからは、桑原も図書館の手伝いをしてくれるようになり、部長たちも、図書館の人たちも、
「よかった」