交わることのない上に伸びるスパイラル
「そうかも知れない。桑原さんが、お兄ちゃんと同じ、博人であると知った時、私は桑原さんの中に無意識に死んだお兄ちゃんを見てしまっていたのね。桑原さんは、それを知っていて、敢えて、知らないふりをしていてくれたのね?」
とさくらがいうと、
「僕は、さくらちゃんの気持ちも分かる気はするんだけど、いつまでも、僕にお兄ちゃんを見続けるのは、さくらちゃんにとって、いいことではないと思ったんだ。最初は、そのトラウマのようなものを取り除いてから、さくらちゃんと一つになりたかったんだけど、そうじゃないと思ったんだ。この僕が取り除いてあげるために、さくらちゃんを抱くんだという気持ちになることが大切だと思ったんだよ。だから、僕は躊躇しなかった。今日という日を選んで、さくらちゃんと一つになったのさ」
と桑原がいうと、さくらは顔を真っ赤にして、何もいわずに、桑原の胸に抱きついたさくらだった。
桑原も、さくらも、お互いに何もかも、分かってしまったような気がした。だから、警察から、
「旦那の死体が発見された」
と言われた時、ビックリはしなかったが、
「死体はどこかに隠されていたのか?」
ということを桑原が聞いた時、さくらは少しびっくりした。
さくらは、完全に事件のすべてが、白日の下に晒されたとは思っていなかった。
「さくらだけが知っている事実」
もあると思っていたからだ。
ただ、それも、いつまでも隠しておけるものではないと感じていたが、さくらの中で感じている思いは、
「毒を食らわば、皿まで」
という思いであった。
ただ、この思いが微妙に違っているかも知れないということをさくらは分かっていなかった。さくらだけが知っている事実、それは、他に言い表すには微妙な事実だったからであろう。
警察の方とすれば、
「旦那の死体が発見された時点で、関係者にいろいろ聞いてみたい」
ということだったようだが、二人はお互いに、
「これと言っては何もないです」
とおいうのだった。
ただ警察は、桑原が、
「死体は隠されていたんですか?」
という質問を敢えてしてきたことを気にしていた。
今まで見つからなかったのは、普通に考えて、簡単に見つかるようなところにはなかったということを示しているはずなのに、それを敢えて聞いてきたということは、何かを意味していると思ったのだろう。
さくらはさくらで、桑原は桑原で、思うところがあったはずだ。しかし、さくらは今回、桑原からショッキングなことを聞かされたのだが、そんなにショックではなかったということは、どうやら最初からさくらはこのことを知っていたのだろうと、桑原は感じたのだ、
それがどういうことなにかというと、
「桑原は、兄の博人を知っていた」
ということであった。
桑原は、だから、さくらと会うのは初めてではない。一度だけであったが、兄の知り合いということで、兄に紹介されたことがあったが、まったく桑原に対して意識はなかった。その時は、兄も視線が気になって、友達どころではなかったというのが本音だっただろう。
そして、桑原は、兄の葬儀にも来てくれた。その時、桑原が、何かを知っていて、それを言いたくて仕方がなかったが、まさか、葬儀の時、家族が悲しみに打ちひしがれている時にいえるものではないと考えていた。
さくらの方も、頭の中では兄の死にパニックになっていて、自分の考えだけで、精一杯だった。
さくらは、ずっと兄を、いや、兄の目を避けてきた。
兄の目は日増しに、さくらを、
「一人の女」
として意識するようになっていた。
そのことを、兄も意識していたに違いない。
だからさくらは、兄が無謀な運転で事故を起こしたと聞いた時、
「無理もない」
と感じた。
「私のことを考え、悩みながら走っていたので、それであんな事故を……」
という思いから、さくらは自分を責めた。
それが極度の自己嫌悪に陥ってしまい、兄に対してのトラウマは、一生消えないのではないかと思うようになっていた。
だが、それは間違いであったことを知ったのは、それから半年ほどが経ってからだった。
桑原が、さくらの前に現れて、さくらのことを意識し始めたのを感じると、兄のような慎重な性格の人が、事故を起こすということに、不可思議な違和感を覚えた意識が、また戻ってきたのだった。
「お兄ちゃんは、本当に事故だったんだろうか?」
と感じた時、桑原から、温泉の誘いが来たのだった。
実際に温泉に来てから、さくらは、自分の人生が変わったことを自覚した。
桑原が、夕食後、
「少し散歩してくる」
と言って、出かけたのだ。
その時の桑原の表情が、少し上の空でありながら、何かを思い詰めているように見えたのが気になった。
そもそも、この旅行は彼が言い出したことであり、なぜ、あんなに思い詰めているのかが気になっていた。
そういえば、さくらは、今回殺されていた女性を、どこかで見たことがあると、後でずっと考えていた。それがどこだったのかを思い出したのが、家に帰ってからのことだった。
さくらは、実は、この旅行に行く少し前に兄も事が気になってこの部屋に入った。母親はまだ、兄の死を受け入れられない様子だったのか、それとも面倒臭いと思ったのか、兄の部屋を片付けようとはしなかった。そこで、兄のアルバムを見ていると、そこに今回亡くなった、堀越いちかが写っているではないか。しかも、仲睦まじくである。(時系列的には合わないが、それは後述で分かることである)
それなのに、兄の葬儀に顔を出した様子もない。彼女の端正な顔立ちから考えれば、もし見ているとすれば、忘れることはないだろう。
「これは一体……」
と思っていると、この間の温泉旅館での桑原の行動が頭によみがえってきた。
彼は、旦那の方を呼び出した。そこで、何やら言い争いをしている。その喧噪な雰囲気は、今まさに掴みかからんとしているようで、近づくことができなかった。
かなり大きな声で言い争いをしているようだったが、何しろ待ち合わせが滝つぼの近くだったので、声が聞こえるわけはなかった。
すると、桑原はおもむろにナイフを取り出し、男の胸を突き刺した。
「わっ」
とさくらも声をあげたが、その声が通るわけもない。
その声の大きさに、さくらは自分でビックリしただけだった。
桑原は、我に返ったのか、ナイフを手に持って、急いでその場を立ち去った。ナイフを最初から持っていたのだから、相手を殺すつもりではいたのだろうが、実際に殺してみると、急に心細くなって逃げだしてしまった。きっとそんなところだろう。
さくらは、怖いという気持ちよりも、好奇心の方が強かった。
その場所に行ってみると、すでに男は事切れていた。そして、その手には封筒のようなものが握られていた。それをこわごわ覗いてみると、さくらにも、なぜ彼がこの男を殺さなければいけなかったのかということが分かった気がした。その手紙は脅迫文だったのだ。
さくらは、我に返ると、
「私が、桑原さんを助けないといけない」
と感じた。
なぜなら、さくらは、自分の気持ちの中で、
作品名:交わることのない上に伸びるスパイラル 作家名:森本晃次