交わることのない上に伸びるスパイラル
「善は正しいので、助けられるべきで、悪は悪いことなので、懲らしめなければいけない」
これが、勧善懲悪の意味であり、実に分かりやすいものではないだろうか。
おとぎ話にしても、
「見るなのタブー」
などというのが、一番分かりやすいもので、
「見てはいけない」
と言われたものを見てしまうと、それまでの幸福をすべて失ってしまうということになる。
しかし、見てしまうというのは、人間の中にある好奇心に負けることで見てしまうというものではないのだろうか。人間というものは、好奇心が決して悪いものというわけではない。むしろ、
「知的好奇心」
というものが存在するからこそ、人間は他の動物にはない、高等棒物としての特徴をたくさん持っているわけである。ここまで自力で進歩する動物もないのではないだろうか。
それを敢えて、好奇心を否定するということは、
「人間は神ではない。神に近づこうなどというのは、おこがましいことであり、神のいうことは絶対だ」
ということによる、一種のマインドコントロールなのではないかと思えるのだった。
さくらは、今回の旅行を、一種の、
「見るなのタブー」
のようなものではないかと思っている。
誰かから、自分に対して、それは桑原なのだろうが、
「見てはいけない」
ということに類することを行って、勧善懲悪から、自分が不幸になるという構図が見えてくるような気がするのだった。
もっとも、それがどのようなものかなどということも分かってはいないし、今回の殺人事件というものが、ひょっとすると、その予感の一部なのかどうかということも分からない。
「いや、その発想は根本的におかしい」
というものであるが、さくらが感じているのが、
「偶然かどうか」
ということであることを、ハッキリとは分かっていない。
だから、さくらは、自分が考えていることが理不尽であり、辻褄があっていないということだと分かっているのだろう。
そんなことをいろいろ考えていたりすると、いつの間にか、皆それぞれ独自の行動をするようになっていて、それだけ気が付けば時間が過ぎていたということを感じたのだ。
そんなことを考えていると、警察のその日の捜査も一段落したようで、
「こちらの現場には、誰も立ち入らないでくださいね。そして、皆さんには申し訳ないが、この宿を去る時にまだ事件が解決していない時は、申し訳ありませんが、連絡先だけは、ハッキリさせておいてください」
ということであった。
今のところ、一番先にここから離れる予定になっているのは、さくらと桑原だった。
桑原は、自分だという自覚をもってか、
「はい、分かりました」
と、片桐警部補に答えていた。
「よろしくお願いしますね」
と明らかに桑原一人に返事をしてから、片桐警部補は、帰っていった。
警部補の話では、まだ旦那の行方は分かっていないという。明日も発見できない時は、近いうちに、捜索願が出されるかも知れない。もっとも、これが容疑者だということになれば、
「指名手配」
ということになるのだろう。
彼ら夫婦については、それから新聞で、
「仮面夫婦」
というような書かれ方をしていた。
死んだ奥さんも、行方不明になった旦那さんも、二人とも不倫をしていたという。そうなると、旦那の同期は十分だし、だからと言って、旦那だけが容疑者ではない。奥さんの不倫相手も十分に容疑者だろうし、下手をすれば、旦那の不倫相手も、怪しいだろう。
旦那の行方が分からないということは、旦那の不倫相手が旦那を隠しているということも考えられる。そうなると、旦那と不倫相手の共犯という説も、まんざらでもないだろう。
とにかく、W不倫ということであれば、いろいろな可能性が考えられる。もちろん、一番の問題は、それぞれの性格にあるのだろう。
旦那が犯人だとすれば、奥さんを殺してでも、不倫相手と一緒になりたいと思ったか、あるいは、奥さんから、相当ひどいことを言われて、衝動的に殺してしまったか? ただ、殺害が毒殺ということは、衝動的な犯行とは思いにくい。奥さんに恨みがあったとしても、衝動的というよりも、ストレスがたまりまくって我慢できなくなったということが理由としてはあるだろう。
もし、奥さんの不倫相手は犯人だとすると、どこででもいつでも、犯行は可能なので、アリバイは関係がなくなる。ただ、この場合は、毒殺なので、毒をようやって手に入れられるのかということも、大きな問題となるので、果たして誰が、毒を手に入れることができる人なのかも問題である。
旦那の不倫相手が犯人だとするのであれば、これが一番信憑性はない。奥さんを殺してでも、旦那と一緒になって、どれほどのメリットがあるのかということであるが、この旦那が、どれほどの資産があるか、あるいは、保険金がどれほど入るかということも問題になる。
ただ、保険金の問題であれば、下手に保険金が高額であると、旦那と不倫相手は、一番の容疑者ということになる。そこまでのリスクを犯すだけのメリットがあるというのだろうか?
ただ、W不倫をしているということは、基本的に、二人は冷めた関係だったことは間違いない。少なくとも愛のない夫婦だったということなのであろう。
そう考えてくると、もう一つの違う考えが生まれてくる。
あれから数日、警察は血眼になって、旦那を探しているが、一向に見つかる気配もない。公開捜査に乗り出そうとしている状態で、警察が足取りを追っているが、まったくつかめないということであった。
その状態を新聞で見た桑原は、
「まさかとは思うけど、もう旦那さんもこの世の人ではないかも知れないな」
と言った。
事件が起こってから、一週間が経ったが、二人は大学もあるので、すでに戻ってきていた。
変な事件に巻き込まれてしまったことで、幸か不幸か、二人の関係は、温泉に行く前に比べて、少し深まったようである。
それは、桑原が事件に興味を持ったからであり、それは、趣味で小説を書いているということが大きく影響しているようだ。
「事実は小説よりも奇なりというからね」
と言ったが、さくらも、
「まさにその通りよね」
と同意見であった。
桑原は結構、ミステリーも書いているし、昔の探偵小説などを読むのが好きな方なので、自分でもいろいろ推理をしてみた。戦術の、W不倫における犯人の可能性についてのことも、さくらに話して意見を聞いてみたが、
「う―ん、どれも、信憑性がありそうには思うんだけど、決め手に欠けるというか。皆信憑性があるということは、それぞれに穴もあるというわけで、それが、
「決め手に欠ける」
ともいえるのではないだろうか。
「でも、一つ一つを潰していくことで、信憑性を絞ることはできる。論理的に考えるだけではなく、時には、大胆な考えも持っていた方がいいかも知れないわね」
とさくらは言った。
「そういえば、温泉で知り合った画家の先生が面白いことを言っていたな」
「というと?」
「画家は、目の前に見えることだけを書くだけではなく、時には大胆な省略も必要なんだと、言っていたんだよ」
と、桑原は話した。
作品名:交わることのない上に伸びるスパイラル 作家名:森本晃次