交わることのない上に伸びるスパイラル
それを聞いて、片桐警部補は、
「ほう、よくご存じですね。あなたは?」
と言われた画家の先生は、
「私は東京から来た画家の梅崎三郎というものです。作画作業に、ここで今は五日ほどの滞在中です」
と言った。
「画家の先生ですか。滞在中ということですが、まだ滞在予定なんですか?」
と聞かれて、
「ええ、まだ作品も出来上がってもおりませんので、あと一週間くらいは滞在予定としております」
と答えた。
「お隣の方は?」
と言われて、今度は作家の先生に質問が及んだ。
「私は、名古屋からやってきた作家の梶谷健太郎というものです。私も梅崎さんと同じように、私の場合は執筆作業中で、滞在は三日前から逗留しています。私の場合は、滞在はもっと長くなりそうで、予定としては、三週間くらいを予定しています」
と言った。
画家と、小説家では、どちらが一つの作品を書くのに時間がかかるのかは分からないが、少なくとも、作家は数週間はかかるだろうと思った。作家の先生が三週間とちょっとと言ったのを聞いて、さくらも、桑原も、
「妥当な時期なんだろうな」
と同時に考えたのだった。
「なるほど、先ほど女将さんに伺った時、この宿には芸術家の方がよく来られるといっていましたが、あなたたちがそうなんですね?」
と聞くので、
「いかにも」
と、代表して、作家の先生の方が答えた。
「でも、この宿は新婚さんも結構いると聞いていますが?」
と今度は画家の先生がいると、
「ええ、この温泉の効能の一つに、子作りというのもあると伺いましたので、それは想定内のことです」
と、片桐警部補は答えた。
「では、こちらのお二人は?」
と聞かれた桑原とさくらだったが、桑原が代表して、
「私たちは大学の友達です。私は桑原博人、彼女は榎田さくらさんと言います。同じ学部の同級生ですね。宿泊は二泊三日の予定ですので、明日までのつもりです」
というと、
「そうですか、分かりました。先ほど女将さんにお聞きしたところでは、本日はもう一組、新婚さんがお泊りのようで、先ほどの被害者の方は、その奥さんの方だということでした。皆さんの中で、その新婚さんお二人でいるところか、奥さんが単独でいるところをお見掛けしたり、お話をされたりした方はございますか?」
と聞かれて、
「私はお見掛けはしたことがありましたけど、お二人、仲良さそうだったので、声を掛けたりはしませんでしたね」
と、作家の先生が言った。
「ほう、梶谷さんがお見掛けしたのは、いつどこで?」
と、片桐警部補が聞くと、
「あれは、午後五時前だったでしょうか? お二人は浴衣姿で、お土産コーナーで楽しそうに選んでいましたよ。どこにでもいる新婚さんお風景でしたので、別に変わったところもなかったので、不思議に思うことはなかったですね。もちろん、そんな雰囲気の二人に声をかけるような野暮なことはしませんでしたけどね」
と、梶谷は言った。
「それは、温泉に入る前でしたか? 後でしたか?」
「お土産を見ていたのだから、たぶん、温泉に入浴後だと思います」
と、梶谷は答えた。
「なるほど、あのお二人は、本日よりのご宿泊で、チェックインがちょうど三時半でしたので、お部屋に行ってから、着替えてすぐに温泉に行ったんでしょうね? 温泉の滞在が一時間ほどだと考えれば、普通にありえる時間ということになりますね」
と、いうことであった、
「夕飯は何時になっていたんでしょう? この宿は部屋食が基本になっているので、決まった時間の範囲であれば、何時でもいいことになっていますので、もし、入浴後、時間があったとすれば、それも無理のないことかなとも思っています」
と、梶谷は言った。
「私は、その夫婦をお見掛けはしていないですね。午後五時くらいまで、表で絵を描いていて、帰ってきたのが、五時を少し過ぎていましたので、その頃にはいなかったと思います。ロビーから、客室に行くには、お土産コーナーの横を通る必要があるので、その時は気にしませんでした。もっとも、奥に入り込んでいれば分からなかったとは思いますがね」
と、今度は梅崎という画家の先生が言った。
「私たちも、そのお二人をお見掛けはしていないですね。今日から宿泊の予定なんですが、我々がチェックインをしたのは、四時半くらいだったかな? そのまますぐに部屋に行って、少しだけくつろいで、露天風呂に入りました。私はそこで、こちらの梶谷さん、梅崎さんと露天風呂で一緒になったので、軽く世間話をしていましたね」
と、桑原がいうと、
「私も、露天風呂の前で桑原さんと別れて、女湯に入ったんですが、そこでは誰とも会うこともなく、一人で入っていました。私はそれほどの長風呂というわけではないので、三十分くらいで部屋に帰ってきました。男性はカラスの行水の人が多いと思ったので、自分よりも早く帰ってきているかと思ったけど、帰ってない。なかなか帰ってこないなと思っていると、どうも、後で聞くと、露天風呂で一緒になった方たちとお話に花が咲いたとのことだったので、それで納得したわけですね」
とさくらは言った。
「分かりました。これで皆さんの本日のここでの行動は少し分かってきましたので、捜査はこちらで進めていくことにします」
と片桐警部補は、そういった。
「ところで、殺された方はどういう方なんですか?」
と梶谷が聞くので、
「ああ、あの方は宿帳によれば、堀越いちかさんと言われる方で、ご主人さんは、堀越義也さんというのだそうdえす。お二人は新婚さんということは分かっていますが、それについても、捜査はこれからになりますね」
と片桐警部補が言った。
すると、今度は、
「その旦那さんはどうしたんですか? 奥さんが殺されたというのに、この場にもいないということは、変じゃないですか? そもそも、奥さんは殺されたんでしょうね?」
と、冷静で、かつ重厚に、画家の梅崎氏が言った。
「ええ、それは間違いないようですね、鑑識の報告では、青酸系の毒物を口にしていると言います。彼女のそばに、調剤薬局で処方された薬の袋があったので、その中に毒物が入っていたのではないかと思われます」
ということであった。
「だったら、自殺の可能性もあるんじゃないですか?」
と梅崎氏は言ったが、
「それもまったくないとは言いにくいですが、新婚で旅行に来ていて、そこで薬の中に毒をませて、自殺をするというのは考えにくいと思うんです。そして、気になるのが、旦那さんが行方不明になっているということなんですよ。先ほど、二人をお見掛けしたかどうか聞いたのは、実は、旦那を見たかどうかというのを聞きたかったのもあって、先ほど、奥さんを単独で見たか、あるいは、夫婦を一緒に見たかという聞き方をしたのは、わざとでして、旦那一人だけを見た場合のことを敢えて言わなかったのは、もし、旦那一人だけの光景が一番考えにくいと思わせることで、その光景をご覧になっていれば、違和感があると思うので、それを反応として見たかったという思いもあってのことでした」
というではないか。
「さすがは、百戦錬磨の警察官だ」
と桑原は感心していたが、同じ思いだったのは、梶谷だった。
梅崎とさくらは、むしろ、
作品名:交わることのない上に伸びるスパイラル 作家名:森本晃次