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交わることのない上に伸びるスパイラル

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 とすぐに、驚いたことを否定してしまった。
 すぐに、桑原も忘れてしまったようだが、この発見が、実はこの事件で、一つのきっかけを作ったのだが、そのことを誰も分からなかったのだろう。
 温泉の湯はさすがにいいもので、疲れは取れるし、睡眠にもよく聞くという。最近、少し夜あまり眠れない状態になっていたさくらには、この温泉の効用はありがかったのだった。
 さくらが最近、夜あまり眠れないことは桑原にも分かっていて、
「眠れないのはつらいよね」
 と言われ、
「ええ、私は、時々、昼と夜が逆になることがあるの。そんな時は一日、学校を休んで、少し体調を整える必要があるの。そうしないと、いつまでも、昼夜逆転兆体が続いて、ストレスがたまりまくって、どうしようもない状態になってしまうのね」
 と、言った。
「それはきついですね。でも、今度いく温泉は、そんな不眠症であったり、生活環境が不純な人にもいいらしいから、そういう意味では安心していても、いいかも知れないですね」
 と、言ってくれた。
 露天風呂に入ると、今日は女湯の方には誰もいなかった。しかし、男湯の方には、二、三人の先客がいたようで、二人は、桑原が入った時、世間話のようなことをしていた。
 二人とも、桑原よりも年齢が上で、中年とまではいかないが、頭にタオルを乗せて、両腕を岩でできている露天風呂の意思の部分にのっけて、まるで、殿様のような入り方をしていた。
 それを見て、桑原は、
「この二人は、露天風呂に入り慣れている人たちなんだろうか?」
 と感じた。
 桑原が脱衣所からのガラス戸を開けて、露天風呂に入っていくと、会釈をしてくれた。その礼儀正しさに感銘を受ける形で、桑原も頭を下げたのだった。
「いやあ、最近はお若い方も、時々来られるようですな」
 と話しかけられた桑原は、
「そうなんですか? 今日が何分初めてなもので、勝手がわかりませんで、ご迷惑をかけるかも知れませんが」
 というと、
「いえいえ、それはこちらこそというものです。昨日も、お若い方がおられて、どうやら、新婚さんだということでしたよ」
 というではないか。
 その二人のことは聞いていたので、びっくりすることもなく、
「はあ、どうやらそうらしいですね」
 と答えると、
「にいさんも、新婚さんだったり?」
 と聞かれ、
「いえいえ、私はまだそんな年齢に至っていませんよ。まだ若干二十歳の大学生です」
 というと、
「そうなんですね。大学生とはなかなか、何を専攻されておられるのかな?」
 と聞かれたので、
「私は文学部に所属していて、国文学を専攻しています」
 というと、一人の人が、
「ほう、それはなかなかですな。私よりも、そちらさんとお話が合うかも知れませんな」
 と言って、もう一人を目で指さすような状態になった。
「私は、作家をしている関係で、文章という意味では合うかも知れませんが、私も別に専門的な研究をしたことはないので、細かいところまでは分かりません。どちらかというと、話を合わせるくらいでしょうか?」
 というと、
「いえいえ、ご謙遜を。私のような無学な人間から見れば、お二人ともすごいですよ」
 と、いうと、
「何をおっしゃる、あなただって、絵をお書きになる。芸術家として尊敬に値するじゃありませんか」
 と二人で尊敬しあっているようだった。
 なるほど、確かにこの温泉は、芸術家の人たちが泊まりに来ているようだった。そして、芸術家というものは、自分と違うジャンルであれば、素直に尊敬しあうものだということを、桑原は、あらためて知ったのだった。
 同じジャンルの人間同士であれば、そのあたりは難しいところのように思える、
 なぜならば、ジャンルが同じであれば、相手がどのような作品を書くかによって、相手に嫉妬心を抱くかも知れないという思いがあった。
 芸術家というものは、自分の作品に対して、ある程度の自信を持っていないと務まるものではない。そして、まわりへの嫉妬心も、ある意味で闘争心となり、自分の自信を裏付けるものとなる可能性だってあるのだ。
 それを思うと、芸術家が、自信過剰に見えるのも、嫉妬を抱いて、醜く見えるのも、しょうがないことであり、むしろ、まわりから見ている方が、しっかりとその状況を見ないと見誤ってしまうかも知れないということを感じるのだ。
 そのことをいかに考えるか、やはり、
「芸術家の気持ちは芸術家でないと分からない」
 と言えるのではないだろうか。
 ただ、それが社会人であれば、
「自分も立派な大人だ」
 という自信もあるだろうし、仕事をしていく意味で、社会の荒波に揉まれているという気持ちもあることから、ある意味、芸術家と同じような気持ちになるかも知れない。
 芸術家との一番の違いは、
「芸術家というのは、ある意味、一匹狼であり、自分に自信過剰なくらい自信を持っていないとやっていけないが、一般の会社に勤めているような人は、一匹狼というわけにはいかない。会社の仲間と一緒に仕事をしているわけなので、調和が大切だ」
 ということをわきまえておかないといけないということだった。
 そのせいで、芸術家と一般社会人との間には、
「交わることのない平行線」
 であったり、
「結界」
 のようなものが、そこには横たわっているかも知れないと思うと、なかなか、距離を縮めるのは難しく、そこに誤解が生まれるのは致し方のないことだといえるであろう。
 ただ、学生である桑原には、そこまでのことは分からない。しかも、自分には芸術的なセンスがあるわけではなく、いずれは、普通に就活して、一般の会社に勤めるか、このまま国文学を研究し、大学に残って、さらに研究を続けるという方法のどちらかだろうと思っていた。
 もっとも、中学生くらいの頃から、
「学校の先生になりたい」
 という思いも強く持っていて、できれば、高校の先生になりたいと思った時期があったが、大学に入ってから、さらに勉強し、大学院に進んで、大学に残るという方法もあると思っていた。
 そうなると、目指すは大学教授であり、その道も、十分に可能性のあることだと思っていた。
 そういう意味でも、芸術家の先生と呼ばれる人たちと仲良くなれるのは、いいことだと思っていた。特にこの温泉には、そういう客も多いということだったので、今回は、さくらと一緒に来ていたが、
「これからも、一人で来ることもあるような気がするな」
 という目で、この温泉を見ている自分もいたのだ。
 温泉の宿泊客と、この露天風呂で一緒になれたのも、願ったり叶ったりだと思っていて、温泉に浸かりながら二人の会話をずっと聞いていたいとも思った。だが、思ったよりも、二人は会話が少なかったので、
「お二人は、以前からお知り合いなんですか?」
 と聞くと、
「ええ、示し合わせているわけではないんですが、よくここでお会いしますよ。やはりここでは、芸術家としての血が騒ぐというか、創作意欲が湧くんでしょうね。何しろ、自分たちは創造を楽しんでいるという自覚がありますからね。他の場所ではプレッシャーになることでも、ここにくれば、下界を忘れられ、俗世とは違う感覚を味わうことができる。それが嬉しいんです」