無限の可能性への冒涜
無限というものは、数学的に考えると、あり得ない発想が出てきたりする。ただ、これはゼロと組み合わせることで思いつくことであって、
「無限とゼロ」
という相対的な、発想は前述の、
「昼と夜」
「前門と、後門」
などよりも、絶対の相対的な考え方になるのだった。
ゼロというものは、数学的には結構無理があったりする。
「ゼロで割るという発想は、数学的には許されない」
と言われている。
また、
「無限だって、何で割ったとしても、無限でしかない」
これは前述の、
「次の瞬間の可能性を考えた時、無限に無限を掛けるような発想もゼロの感覚に似ているのかもしれない」
これも、数学的にはタブーだったりすると、
「ゼロと無限というのは、数学的なタブーになってしまう」
と言えるのではないだろうか。
これは、
「無と、有の最大値」
という発想になる、
タイムマシンには、無限という発想はあるが、ゼロ、つまり、無という発想はなかった。
あくまでも、
「無限という発想を、いかに制限できる発想を作ることはできないか?」
ということであった。
無限に無限を掛けるという、無限大とでもいうべき発想と同じように、
「ゼロをゼロで割ったら?」
という発想になった。
何かをゼロで割るとすると、それは、
「それは数学的なタブーになる」
というのだが、
「ゼロをゼロで割る」
という発想は少し変わってくる。
「同じもので割るという発想は、答えは一にしかならないということは、数学以前の算数で分かっていることだ」
と言われている。
そうなると、ゼロをゼロで割ると、一になるというのが正解なのだろうが、何かでゼロを割ると、
「逆も真なり」
ということになり、
「答えにゼロを掛けると、割るもとになる」
という発想で考えると、
「数学的に、何にゼロを掛けても、ゼロにしかならない」
というのが、掛け算の考え方だ。
そうなると、答えであるゼロにゼロを掛けるということになると、割るもとは、ゼロにしかならないのだ。
これが、数学的な矛盾となる、
これは、異次元の発想をした時の、
「メビウスの輪」
のような、矛盾が出てくることになるが、そう考えると、ゼロを使った数式が矛盾という。
「ゼロと無限を相対的な意味で考えるとなると、それが、タイムマシンにおけるメビウスの輪のような矛盾を見ることになり、数学では、ゼロがタブーとされているので、タイムマシンを、無限のみの発想であったから、その先が思いつかなかったのに、ゼロという発想を織り交ぜることで、数学と、異次元の交錯が、矛盾を孕むことで、今まで誰も発想しなかったタイムマシンへのタブーが生まれたようだった。
それは、ただの発想でしかないのだが、発想すらできないのが今までであって、発想ができたことで、タイムマシン開発のヒントになると思われるようになったのだった。
彼には、レポートを書くくらいのレベルしかなかった。確かに正規の大発見なのだが、まだ、普通の大学生であり、研究室の助手にすらなり切っていないと言ってもいいくらいだったが、さすがにこの発表をするにあたって、
「自分の名前を出さない限り、発表はしてほしくない」
という本人の意思もあって、教授は彼を、
「現役大学生で、研修室の助手」
ということにして、発案者は彼であるということを明記した論文を発表したのだ。
その内容は、教授の目論んだ通り、物理学会や、SF論者たちに、センセーショナルな風を持ち込み、衝撃を与えた。
とは言っても、これはあくまでもヒントであり、ただちにタイムマシンやロボット開発に繋がるというものではなかった。
しかし、それでも、研究者の間に大きな風穴を開けたのは事実だった。それまで、優秀な世界中部頭脳にできなかったことを、一介の現役大学生が穴をあけたのだ。これほど、センセーショナルなことはなく、
「どうしても、それまで定説とされてきたパラドックスの発想を、大前提として頭の中に凝り固まってしまっていたというのは、科学者としては仕方のないことなのかも知れないな」
という話も出ていた。
「大学生が、発見したというのは、ある意味、必然的なことで、誰にも解決できない謎というのは、虚像でしかなかったのではないだろうか?」
と言われ、
「発見されることも、またそれを発見するのが大学生だったということも、決して想像できなかったわけではないことのように、今となっては感じる」
と、言い出す学者もいるくらいだ。
言い訳にしか聞こえないが、ずっと、これまで研究にいそしんできた学者としては、その事実を認めるのは、プライドが許さないはずだ。しかし、それを敢えて認めて、受け止めるくらいの大きな気持ちがあるというのは、
「実際のタイムマシンの開発は、この俺がなし遂げるんだ」
という気持ちが、彼らの中にあるからであろう。
その気持ちがなければ、タイムマシンの開発など、机上の空論にすぎず、
「大学生の発表した論文は、何だったのか?」
ということになり、余計に、自分たち学者が、このままでは、恥の上塗りを繰り返すことになり、
「学者は、しょせん、頭でっかちであり、パラドックスに打ち勝つことはできない」
というレッテルを貼られたままになるだろう。
ただし、この研究は、何度もいうように、あくまでもプロセスでしかなく、
「風穴を開けた」
というだけなのだ。
しかも、この風穴は、アリの巣ほどの小さなもので、
「山が崩れるのは、アリの巣の穴からだ」
と言われるような穴なのかどうか、はっきりとは分かっていない。
確かに風穴を開けるだけの威力はありそうだが、まだまだ、生みのものとも山のものとも分からないレベルの発表であった。
学説とするには、まだまだ検証がなされているわけではなかった、風穴に対してまだまだ、さらなる研究の余地は残っている。そういう意味で、まだまだタイムマシンの開発には時間がかかるだろうと言われていた。
しかし、どんな研究にも言えることだが、何かのきっかけがあると、一気に研究が成就するというのも、事実のようで、この論文がきっかけになり、さらなる研究の中で、さらなるきっかけが見つかったのだろう。M大学の研究チームが先にタイムマシンを開発してしまったのだ。
K大学研究チームに所属していた松岡哲郎は焦っていた。
ただ、彼には、この発表がなされるひと月前に、
「近い将来において、俺たちが赤っ恥を掻くような事態に陥るかも知れない」
という予感のようなものがあった。
ただ、それが赤っ恥であるということは、自分たちだけが感じることであって、他の人たちにとっては、関係のないことだ。
しかも、それは人に話したところで、信憑性も何もない。
「妄想じゃないか?」
と言われるのがオチだというしかなかった。
松岡は、意識の中で、どうしていいのか分からないでいたのだ。
松岡は、自分の発想を、同じ研究室の中で、タイムマシンとして開発してくれる分には、何ら問題はないと思っていた。
しかし、松岡はさらに夢の中でよからぬ予言めいたものを見てしまったのだ。
普通夢というと、どんな夢であっても、
作品名:無限の可能性への冒涜 作家名:森本晃次