無限の可能性への冒涜
ただ、
「M大学の研究を少しでも知ることができれば」
と感じて飛んできた過去だったのに、一体どういうことなのだろうか?
松岡はその時、
「俺が過去に来たことで、歴史が変わってしまったのだろうか?」
と考えた。
ただ、それは、過去において自分が歴史を変えたら、その未来が変わるということであれば、分からなくもない。そう思って、松岡は、とりあえず隠しておいたタイムマシンに乗って未来に帰ることにしたのだ。
なぜなら、この過去が、本当に時系列に沿った自分たちの未来から見た過去ではないとすれば、時間だけを未来に戻したとすれば、違う世界が開けているのではないかと思ったからだ。
もしそんな世界が広がっているのだとすれば、それは松岡にとって、一世一代の不覚であり、取り返しのつかないことをしたということになるからだ。
「浦島太郎のようになってしまったら、どうしよう?」
という恐ろしい疑念を浮かべながら、自分が飛び立ったその次の瞬間に戻ってきた。
そうしておけば、タイムマシンはずっとそこにあったことになり、誰も疑うことはないからだ。
未来に、いや、現代に戻った松岡は、すぐに今の時代のことをいろいろ調べた。すると、どう見ても、自分が飛び立った現代の続きでしかなかったのだ。
安心して、ホッと胸を撫でおろした。
短い間ではあったが、自分が過去にいくことで現代が変わってしまったのだとすれば、それは本末転倒だからだ。
「歴史を変えるというのは、タイムマシンにとっての一番のタブーなんだ、そしてタイムトラベルにおいての一番の罪、それは、人間を抹殺してしまうということ。これは同一の時代、次元であれば、その人を殺すということであり、殺人は一番罪の重い部類の犯罪ということで、今も昔も変わりはない。だが、タイムトラベルにおいての殺人は、人を殺すというよりも、その人の存在を消すというものであり、つまりは、タイムパラドックスと言われているものが、一番の罪だといってもいい。何しろ、親殺しのパラドックスとおう言葉があるくらいだからな。そして一つ言えることは、すべての始まりは過去にあるんだ。どんどん次の瞬間に未来が広がって、無限の可能性を秘めている。だが、これはタイムマシンが生まれる前の概念であり、タイムマシンが開発されてしまうと、今度は時系列を自由自在に移動できることになる。そうなると、未来がすべての始まりだという理屈も成り立つ。そうなると、過去に行くほど可能性が広がるという考えも生まれてくるので、そのあたりをしっかりと理解しておかないと、タイムトラベルなど危険極まりないものになってしまうといえるのではないだろうか?」
と門脇はいうのだった。
「そういえば、俺と松岡君は、最初この店でなかなか会うことができなかったのに、一度会ってしまうと、まるで示し合わせたように一緒になることが多くなっただろう? ここにはお互いに別に作為が見られたわけではない。となると、何かのきっかけが、大いに歴史を変えるだけの力を持っていると言えなくもないと思うんだ。そのことも忘れないでいてほしいと思うよ」
と、門脇を続けた。
この二つの話を胸に刻むようにして、松岡は、タイムマシンに乗り込んだ。
そして過去にやってきて。目的を果たそうとしたのだが、目的自体が存在していなかった。
そして、
「歴史が変わってしまったのではないか?」
と思って、慌てて、松岡は過去から戻ってきたのだが、未来は何も変わっておらず、安心したところである。
ただ、これでは、まったく問題の解決にはなっていない。
「タイムマシンを使うことができた」
ということを実験したにすぎないだけだったのだが、そうなると、新たな疑問が生まれてくる。
今から、一か月近く前の時代に出かけて、そこで、M大学はまったくタイムマシンの研究をしていたわけではないのに、たった一か月という期間で、どうやってタイムマシンの開発を、プレス発表できるのだろう。そんなことがありえるはずなどないではないか。
そこには、松岡の知らない、
「カラクリ」
が存在し、松岡の想像の及ばない何かが存在しているということなのだろう。
タイムマシンを誰かが使ったということは、バレていないようだった。やはり、飛び立った次の瞬間に戻ってきたのだから、それも当然のことなのだろう。そういえば、門脇がもう一つ気になることを言っていたのを思い出した。
「タイムマシンの使用は、あまり頻繁にしない方がいい」
というのだった。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「タイムマシンというのは、時空を飛び越えることだというのは、君には当然理解できるよね?」
と言われた。
「もちろんさ。これでも研究員の一人だからね」
「じゃあ、その時、開発者の中で、誰か一人でも、相対性理論のことで、タイムマシンの人体に与える危険性について話をする人はいたかう?」
と聞かれて、
「いや、ハッキリとはしないといってもいいんじゃないかな?」
というと、
「時空を飛び越えるタイムマシンというのは、ワープという発想にも似ているんだ。ワープというのは、よくSFなどに出てくる、空間を一瞬にして飛び越えるもので、短い時間に、光速の何倍もの加速で、先の地点に到達するというものなんだ。それを説明する時、波目のような、サインカーブの、頂点を飛び越えるというのを見たことがないかい? 一番しっくりくるワープの説明なんだけどね。これは、阿新シュタインの相対性理論において、光速で時空を飛び越えると、時間が経つのがその空間だけ、遅くなるというものなんだ。これが、浦島太郎の話に近いのではないかと言われるので、SF映画などでは、ロケットの中で、冷凍睡眠させるという演出を取ったりする。つまり、タイムマシンのように、空間を飛び越えるわけではなく、時空を飛び越えるというのも同じ危険性を孕んでいないとも限らない。そうなると、中に乗っている生身の人間は、その間だけ、年を取っていないことになる。寿命が延びたという言い方は適切ではないかもしれないが、そんな風に考えると。タイムトラベルを重ねるのは、どこまで人間の身体が耐えられるのかということにもつながってくるように思うんだ」
という。
なるほど、確かにタイムトラベルと、相対性理論は切っても切り離せない関係にあると思っていたが。こうやって面と向かっていわれると、怖い気もする。
ただ、過去に戻って過去における変化を確かめに行ったのに、何も変わっていないという不本意な結果しか持って帰れないという事実に、松岡は衝撃を受け、何と説明すればいいのか、途方に暮れていた。
もっとも、この話は、門脇しか知らない話だった。
K大学も、M大学も、どっちも何も知らない。ただ、何もないところから、一か月後に衝撃的な発表をしたM大学に一体何があったというのか、松岡は何がどうなったのか、完全にキツネにつままれた気分になっていたのだった。
それを思うと、
「俺だけ、蚊帳の外にいて、何も分かっていないのをいいことに、利用されているのではないか?」
という思いが頭をよぎった。
その中心にいるのが、門脇だとすれば、松岡は、
「掌の上で転がされている」
作品名:無限の可能性への冒涜 作家名:森本晃次