無限の可能性への冒涜
という二人だったのだ。
しかも、今までに二人がその喫茶店で出会うことは一度もなかった。それは、マスターが証明できるのだが、それとは別に、マスターには証明できた。
「二人は、それぞれに指定席を持っていて、その指定席が同じなんだよ。だから、もし二人がかち合っているとすれば、その時に分かるはずなんだ。きっとどちらも後から来た方が、自分の指定席が埋まっているのを見て、踵を返してすぐに帰るはずだからね」
というのだった。
その話を最初に聞いたのは、松岡だった。
マスターから、
「いつも同じ指定席を持っているやつがいてね。なぜか君と一緒になることはないんだよ。面白いよね」
と言われた。
松岡は、この店に来た時は、結構長い間いることが多かった。マスターと話をしたり、本や新聞を読んでりして、適当に時間を潰していた。
この言い方は適格ではないかも知れないが、
「時間を潰す」
という表現が、まるで時間を無駄遣いしているように聞こえて、それが気に入らなかったのだ。
時間を潰すというのではなく、
「時間を余す」
と言った方がいいのではないかと松岡は思っていた。
これをマスターにいうと、
「余す」
というのはどういうことだい?
と案の定聞いてきた。
「潰すというよりも、余すの方がいいだろう? というよりも、時間というものには、そのものとは違う意味で、何か別のものが含まれているような気がするんだ。だから、時間を潰すという表現を誰もおかしいと言わないだろう? 潰している部分を見ているからさ。でも、それ以外に別の何かがあって、それを僕は、余すものだと思うようになったんだよね」
と、松岡は答えた。
「潰すということに関しては、なるほどとも思ったけど、余すというのはどういうことなんだろうね?」
と聞かれたので、
「そうだな、相対的なものだという意識で考えた方がいいかも知れない。表には裏があり、昼には夜があるように、それが極端であればあるほど、意識が集中せずに、曖昧な気持ちになるんじゃないかって思うんだ。だから、余すの正体が分からないと、曖昧であるだけに、その正体がつかみどころのないものに感じられるんじゃないかって思うんだよね」
と、松岡は答えたのだ。
「じゃあ、ここで、同じ指定席にいつも座っている人は、たぶん、君にとって、表であれば裏なのか、光であれば影なのかというそういう意識なのかな?」
と言われたが、
「お互いにその存在を知らない間はそうだったかも知れないけど、今マスターが僕に話をしてくれたよね? 僕はきっと意識する。そうなった時に、その人に対してどのような影響があるか、少し楽しみな気がする。だから、マスターは、この話をその人にはしないでおいてもらえれば嬉しいんだけどな」
と松岡がいうので、
「ああ、もちろんだよ。この話をしたのは、君が初めてで、彼は知らない。俺も、この話は君にしかしないつもりでいたんだ。今君が言ったのと同じような意識があったので、この先、どのような変化が訪れるか、実に楽しみなんだよ」
とマスターは言った。
すると松岡はニンマリと笑って、
「実は、この話は確かに今マスターから初めて聞かされた話なんだけど、俺にとっては、初めてのような気がしないんだ。誰からも聞いたわけではないが、予感めいたものがあったような気がする。気のせいなのか、それとも、マスターからその話を聞いたことで、似たような意識が作用して、初めてではないという感覚が芽生えたのかも知れない。一種の作用と反作用のようなものかも知れないな」
というのだった。
「じゃあ、彼が反作用を形作っているのではないかと?」
と言われた松岡は、
「そうかも知れないが、あくまでも、相手を知らない自分が勝手に思い込んでいるだけなので、何と言っていいのか、少し考えさせられる気がするんだ」
というのだった。
「松岡君にとって、この店はどういうお店なんだい?」
といきなり、マスターに聞かれた。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
と松岡が聞いたので、
「似たような話を、同じ指定席に座っている人がしていたのさ。この喫茶店が自分にとってどういう店なのかってね。だから聞いてみたんだ」
というマスターに対して、
「俺は、そうだなあ。何かを妄想できる場所だといってもいいかも知れない。研究についての妄想をする時でもあるし、それ以外のプライベートなことも多い。どうでもいいような自分勝手な妄想も結構あったりするんだよ」
というので、
「そっか、そっか。実はね。その人は、趣味で小説を書いているらしくて、ここに来るとアイデアが生まれるんだって、癒しのような感覚から、勝手に浮かんでくるらしいんだけど、その妄想がどこまでのものなのかは、教えてはくれませんでしたね。どうせ、話しても分からないとでも、思ったんでしょうね」
とマスターは吐き捨てりように言ったが、決して嫌な気分になっているわけではないようだ。
むしろ、この店で妄想してくれることが嬉しいと言わんばかりに感じたのは、松岡が自分も妄想めいたことをするといった時に、実に満足そうな表情になったのを見たからだった。
松岡は、その人がどんな人なのかということに大いに興味を持った。
自分に似た人なのか、それともまったく似ていない人なのか、妄想の中では、雰囲気も性格もまったく似ていないが、考え方がかみ合うというところで、もし出会うことができれば、きっと仲良くなれるだろうと思うのだった。
「その人に会ってみたいな」
と、松岡はボソッと言った。
それを聞いたマスターも、
「私も会ってみてほしいと願っているんだけどね」
というのだった。
「でも、不思議なこともあるんだよ」
と、マスターが言ったのだ、
「どういうことですか?」
「実はね、君がそこに座っている姿を見ると、もうひとりの彼がそこに座っている姿を想像できなくなるんだよ。まるでのっぺらぼうのように、逆行になっていて、表情がまったく見えず、ただ、白い歯がうっすらと光の中に浮かび上がっているかのようなんだ。だけど、もう一つ不思議なのは、白い歯が目立っているくせに、その人の顔が薄暗いからと言って、黒いわけではないんだ。むしろ白っぽく、グレーに近いといってもいいかも知れないな」
と、マスターは言った。
「それは何かおかしな感じがするね、それなのに、白い歯がやはり目立つというんですか?」
と尋ねると、
「ああ、そうなんだ白い歯が目立っているんだ。今日は違うけど、彼がそこに座っている時に君を思い浮かべようとしても、同じことが起こるんだよ」
と、マスターがいう。
「じゃあ、僕の顔もグレーになっていて、そのうえで、白い歯が目立っているということなんですか?」
と聞いた。
「ああ、そうなんだよ、まったく共通点が見あららないと思うような二人が、変なところで共通点があるというのもおかしいんだけど、もし、ここに、もう一人同じようにそこに座る常連さんがいるとすれば、その人がどう見えるのかって考えたこともあるんだけどね」
とマスターがいうので、
「それで、どうでした?」
と聞くと、
作品名:無限の可能性への冒涜 作家名:森本晃次