中二病の正体
「あれは、ドン・キホーテが、風車を魔法使いに替えられた巨人が風車のかたちゅで俺たちに挑んできていると思い込んでいたんだよ。俺は最初に聞いた時、ドン・キホーテという人は教養がなくて、風車というものを見たことがない。だから、とにかく敵だと思って突っ込んでいったというものだと思っていたんだ。要するに、未開人であるブッシュマンが、空を飛ぶ飛行機を見て、巨大な鳥だと思って、槍を空に向かって投げたというような話と同類だと思っていたんだけど、どうやら違っていて、ドン・キホーテは風車の存在を知っていて、それを、巨人が魔法使いの陰謀によって風車にされてしなったと、思い込んでいたようなんだ」
と弘前は言ったが、
「そう考えると、実に微妙な感覚になるんだよな。現実的な発想はあるんだろうが、それが、空想世界と現実とがうまく整理できないことで、頭が混乱してしまって、実が納得できるような都合のいい解釈をするようになったんじゃないかって思うんだ。だから、これは精神的な疾患や病ではなく、誰もが抱く妄想に対して、いかに自分を納得させようとしているかという、「いくつかある解釈の一つに過ぎないような気がするんだ。だから、中二病というのも、本来であれば、一つの発想を、思春期という精神状態が、他の世代の精神状態と違って、いくつもの発想を生むことができるんだけど、その理屈をいかに解釈するかということを考えると、いくつかのパターンが生まれてくる。それをひとくくりにできないことから、抽象的な名前で、中二病などという言葉を使っているんじゃないかな?」
と雄二は言った。
「そもそも中二病というのは、本当の病気というわけではなく、学会で発表されていたり、症例として考えられているものでもない。つまり、思春期における不可思議な態度に対して、いかに解釈するかということで、抽象的な名前を与え、いかにも病気であるかのようにいうことで、その形を示そうとしているんじゃないかとも考えられる」
と、弘前は言った。
二人は、こういう会話を始めると、とどまるところを知らない。
「こいつは、俺が言いたいことの例を先に出してくれるので、発想がうまくかみ合った時は、いつまでも、限りなく話を続けることができる相手だ」
と、お互いに感じていた。
「ドン・キホーテの話をどのように解釈すればいいのかって、たまに感じるんだけど、どう解釈すればいいんだろうか?」
と、弘前は言い出した。
「一度調べたことがあったんだけどな」
と前置きをしてから、雄二は続けた。
「最初は、あくまでも、滑稽本として描かれたものだったらしいんだ。道化のようなイメージのね、つまり、読んだままそのままの感想が主流だったんだろうね。だけど、時代が進むと、昔からの騎士道というものに代表されるような古き悪習のようなものを諷刺し、やがて打倒に繋がったという道徳観や、批判精神が読み取れるという説が生まれてきた。もちろん、ドン・キホーテという作品を文学作品として評価してのことなんだけどね」
というではないか。
「なるほど、それもありうる気がするな」
というと、さらに雄二が続ける。
「だけど、その後には、人間の悲しい性であったり、悲しい部分を、比喩する形で描いたという解釈が主流になってきたんだよ。俺は、そのどっちも一理あることで、どちらも否定できるほどの材料はないと思うんだよね」
という。
「結構難しい解釈になってくるとは思うんだけど、これが中二病という発想と絡み合えば、また違う解釈が生まれるんじゃないだろうか? 道徳的な諷刺だったりするのであれば、かなり考えられているものであり、悲しさを描いたのだとすれば、滑稽から悲劇が生まれるという発想もないわけではない。ただ、それまでは、悲劇は悲劇という発想がどうしても強く、喜劇から悲劇は生まれないという発想があったのだとすれば、この作品は、かなり前衛的だったのではないかと言えるんじゃないかな?」
と、弘前は感じた。
「人間というのは、誰が何と言おうとも譲れない感覚が、その人それぞれにあると思うんだ。それは、決して人と共通しないところでね。だけど、この話を見ていると、逆に人と共通するところで、人には譲れないものもあると考えらさせられる小説なんじゃないかって俺は思ったんだ」
と、雄二はいう。
「それはいつから、そう思い始めたんだい?」
と聞くと、
「実は最近なんだよ」
「ということは、五月病から立ち直ってからのことかな?」
と追われた雄二は、
「ああ、そうなんだ。あの時の感覚が五月病だったというのは、あとになって分かった気がするんだけど、あの時は、本当にただのうつ病だと思っていたんだ。だけど、その原因というものが、自分がまわりから取り残されているという、焦りを誘うような感覚だったんだ。だから、五月病だったといわれても、自分を納得させられるものはなかった。だから自分なりに納得させようといろいろ考えていたんだけど、その時に、さっきのような発想も生まれた気がするんだ。自分を納得させるには、ある程度、融和に考えておかないと雁字搦めになってしまうと、気持ちに余裕が持てない分、納得など不可能ではないかと覆うようになったんだよ」
と言った。
「なるほど、今のお前だから、中二病という発想も、このドン・キホーテの話と結び付けるという発想も、自分を納得させるという観点から考えると、考えられないこともないのではないかという考えも芽生えてくるんだろうな」
と、弘前は、自分で言っていて、よく理解できないと思いながら言ったが、雄二の微妙な顔を見ると、やはり、理解されているようではないと思うのだった。
「弘前の言っていることは、なんとなく分かるんだけど、どこか曖昧で、混沌としていて、弘前自身、自分を納得させられているのかな?」
と言われた。
お互いに、言葉が、
「自分を納得させる」
という意味合いを持っているとは感じていたが、それを口に出していったことはなかった。
別にタブーだなどと思ってもいなかったが、いう必要のないことだという理屈のあったのだ。
「お前も、自分を納得させるということが、自分の持っている発想や空想に大きな影響を与えていると思っていたんだな?」
と雄二がいうので、
「ああ、そうなんだ。この感覚は自分だけではなく、きっとみんなが思っていることだろうと思っていたので、きっと言葉に出す必要はないものだと感じたんだけど、こうやって口に出して言われてみると、まるで目からうろこが落ちたような気がするというものだよな」
と弘前は言った。
「皆が分かっていると思っていて、そのために言葉にしないことって結構あると思うんだ。それは勝手な解釈でもあるんだろうが、こうやって口にしてみると、今までどうして言わなかったのかという思いが結構、気持ちを持ち上げてくるものだよな」
と、雄二は言った。
「そうなんだ。この感覚が、どこからきているのかは分からないんだけど、この思いを感じるようになったのって、俺は思春期の頃からではないかと思うんだ」
と弘前がいうと、