中二病の正体
「そうか、お前もそう思っていたのか、実は俺もなんだ。この感情が大人になるということだとは思わないんだが、それはひょっとすると、子供の頃から持ってはいるんだが、実際にそれを意識するということが、大人への階段を上るということではないかと思うんだよ」
と、雄二が言った。
「俺は、今までに五月病というものを感じたことはなかったんだけど、どんな感じだったんだ?」
と言われた雄二は、
「そうだな。お前はうつ病に罹ったことはあったかい?」
と聞かれた弘前は、
「ハッキリとうつ病だという診断を受けたわけではなかったけど、それらしいことはあった。だけど、その時はまわりからは、うつ病ではなく、被害妄想だって言われたことがあったな」
と弘前がいうと、
「うんうん、そうだろう。俺もうつ病だと思った時、被害妄想という発想を思い出したんだ。俺が何を言おうとも、まわりは自分のすべてを否定しそうで、被害者になったという感覚だね。それを思うと、誰にも相談できなくなって、孤独な気分になったといえばいいのかな? だけど、孤独を感じなければいけないわけでもなく、せっかく苦労して大学に入ったという感覚もあっただろう? つまりは、本来なら楽しいはずの大学生活で、なぜこんな思いをしなければいけないのかという、もったいないというような気分になったというのも事実だったんだ」
と、雄二は言った。
「そっか、その感覚は、俺もかつていつだったかあった気はするんだ。何をやっていても、楽しくない。まるで皆が俺をいじめているような感覚で、苛めなんて存在もしていないはずなのに、俺が勝手に引きこもってしまって、あとから思えば、それでまわりが、俺に対して悪いことをしているという思いにいたって。誰か一人を悪者にして、まるで生贄でも捧げるかのような風潮になってしまったということがいびつに感じられたんだな」
と、弘前は言った。
「それって、子供の頃かい? それとも大人になってから?」
と聞かれて、
「どっちだったんだろう? 大人になってからなのか、子供の頃なのかという基準が、思春期の前か後かということであれば、あとのような気がするな」
と、弘前は言ったが、それを聞いた雄二は。
「俺も似たような感覚に陥ったことがあったんだが、俺の場合は、思春期よりも前だったと思うんだ。だから、お前ほど印象に残っていたわけではなく。おぼろげだったんだろうな。だから、五月病に罹ったのかも知れないな」
というのだった。
なるほど、それであれば、雄二が罹って、自分に罹らなかったという理由もそれなりに納得がいくような気がした。
「自分を納得させるという感覚」
この思いが、雄二にも弘前にもある。それが絶えずなのかどうなのかは分からない。
二人にあるということは、ほぼ皆にあると思ってもいいだろう。その人の感じ方には、完全に個人差があり、この個人差が、それぞれの人格を形成しているのではないかとも思えたのだ。
勧善懲悪
「ドン・キホーテの話を読んでいると、いろいろな発想が生まれてくるんだけど、これを中二病と組み合わせて考えると、俺は一つの仮説が生まれてきたんだ。というのも、俺にもこの感覚が強く自分の中に根付いていて、一番自分を納得させることができるものとして考えたのが、「勧善懲悪」という発想なんだ」
と弘前は言った。
「勧善懲悪って言葉、聞いたことはあるけど、どういう意味なんだい?」
と雄二が聞くので、
「ヒーローだったり、正義の味方という表現がぴったりではないかな? 勧善懲悪というのは、善を勧め、悪を懲らしめるという字を書くんだけど、つまりは。悪の組織であったり、悪者と言われている者たちを、力や権力を持った人間が懲らしめるというもので、日本人などのように、判官びいきの考え方の人が多いところでは、もてはやされるジャンルだといえるのではないかな? 小説であったり、特撮であったり、時代劇などは、いかにも勧善懲悪が基本だといってもいいだろうな」
と、弘前は言った。
「水戸黄門だったり、遠山の金さんのようにかい?」
と言われ、
「そうだよ。その通り、時代劇などでは、悪代官というのが、相手の敵として存在し、悪代官が、庄屋などと結託し、自分の暴利を貪るために、一般の市民の存在理由までも否定し、自分たちがよければそれでいいという悪を懲らしめるという考え方だよね。だけど、当時は封建制度の時代であるし、今と同じように、復讐は認められていないので、権力尾ある人が、お忍びで、解決するというものだよね。そして、その解決方法も、身分を隠して、相手に言いたい放題言わせておいて、最後にバッサリと叩ききるというところが、日本人の気持ちに響くというわけさ。時代劇などでは、水戸黄門などのように、徳川御三家だったり、遠山金四郎だったり、大岡忠助のような、町奉行が、町人に化けて、市中で暴れるなどという発想は、痛快と言われる娯楽小説としては、もってこいだったりするんだろうな」
ということであった。
しかも、徳川光圀にしても、遠山金四郎にしても、大岡忠助にしても、すべてが実在の人物。かなり誇張して描かれているとしてお、火のないところに煙が立つわけもなく、日本人が憧れるだけの長寿なテレビ番組になったというのも、納得のいくものだった。
今の時代は、さすがに時代劇を見るという人も少なくなって。視聴率の問題から、新たなものは出てこなくなったが、過去の作品は、有料放送で今でも見ることができる。それを思うと、
「見たくない人は見なくていいが、見たい人は、有料でいくらでも見ることができる」
という制度は、それこそ今の時代に合っているといえるだろう。
昔のように、一家に一台のテレビで、ビデオなどがまだ普及されていない時代であれば、ゴールデンタイムというと、皆それぞれのチャンネル争いが恒例となっていて、野球やドラマ、アニメやバラエティ、さらに時代劇といろいろあったが、今では何が面白いのか、芸人が出てくるバラエティ番組しかないではないか。
考えてみれば。
「低俗な番組で、子供には見せられない」
と言って。昔なら、放送局にクレームが来ていたような番組ばかりが、なぜか生き残ったのだ。
たぶん、有料放送で、チャンネルがそれらのジャンルを専門で放送することができる時代になったので、
「見たい人は、月額数千円で、見放題のチャンネルを契約し、好き放題に見ればいい」
ということで、アニメやドラマ、野球などは、そういう放送が可能だが、バラエティともなると、そうもいかないので、ゴールデンになったのだろうか?
ドラマの新作も、最近では午後十時以降が主流で、半分は深夜ドラマになっている。
「録画できるから」
というのが、その根底にあるからなのか、とにかく、ここ二十年くらいで、テレビの構成がまったく変わってしまったというのが、事実のようだ。
テレビ離れを皆がしてしまったのは、寂しい気もするが、その分、好きなものを好きな時に見ることができるということであり、ある意味自由だといってもいいだろう。
昔のチャンネル争いなどは、封建制度を受け継いでいて、基本的には家主が勝つことになるだろう。