中二病の正体
と言っても過言ではない。
しかも、五月病というのは、その時、自分が五月病に罹っているという意識がないということを聞いたことがあった。
本人は五月病というのがどんなものなのかということをおぼろげに分かっていたとしても、
「まさか、俺が五月病に罹るだなんて」
という思いを抱くに違いない。
それだけに、五月病に罹ると、あとになってから、
「お前。あの時五月病に罹っていたんだぞ」
と言っても、本人は分かっていない。
「俺は、うつ病だと思っていたけど」
という意識しかないのだ。
そして、彼はいう。
「うつ病だったら、その後に躁状態になるんだと思っていたんだけど、それはなかったんだ。だからただのうつ病ではないかも知れないと思うようになった時、それまでのうつ状態から抜けることができたんだ」
と言った。
「それはきっと、抜けることができたのは、抜けれるという光のようなものが見えたからなんじゃないかな? それは、躁うつ病というものに罹った時にあるものだって、一度精神科の先生に聞いたことがあったんだ。俺は、以前躁鬱病になりかかったことがあって、精神科の先生と話をしたことがあったんだけど、その時の話が印象的だったということは覚えているんだ。今は少し忘れかかっているんだけど、でも、お前と話していると、その時の状態を思う出すことができるんだ」
と弘前がいうと、
「そんなものなのかも知れないな」
と、五月病を脱した雄二は言った。
だが、その時には、裕美の、
「中二病」
と思しき状況は進行していた。
「医者に見せた方がいいのかな?」
と雄二が聞くので、
「俺は今は何ともいえないんだけど、症状によって、病気でもないのに、病院に連れていかれると、まるで病気のような気分になることだってあるだろう?」
というと、
「それはそうだな。風邪の妹に付き添って病院に行ったときなど、熱があるわけでもないのに、なんとなく熱が出てきたような気分になって、体調が本当に悪くなったことがあったのを思い出したよ」
と雄二がいう。
「それと一緒で、悪くもないのに、まるで悪いかのような状況に追い込まれると、せっかくのいい方向に行っていたことがおかしくなることだってあるんだ。そのあたりは気を付けておかなければいけないからな」
と弘前は言った。
「でも、お前に心理学の先生が知り合いにいてくれるのは、心強いよ。最悪、先生に相談してみたいな」
「それはありだと思うぞ。だけど、本当は本人と話をさせるのが一番いいと思うんだけど、さっきの話のように、いきなり連れていくのは難しいだろうから、妹の様子を見ながら、お前が感じたことを、少しずつメモって言っていると、話もしやすいかも知れないぞ」
と、弘前は言った。
「なるほど、確かにそうだな。ただ、あくまでも表から見ての行動しか分からないので、妹が何を考えているかまでは、分からない。だから、あまり先入観を持つことなく、メモるようにしておくのがいいと思うんだ」
と、雄二はいった。
「それはもちろんだよね。妹が心配だという気持ちは分かるけど、観察日記だと思えば、先入観や主観を持たない方がいい。客観的に見ることができるのが一番なんだろうな」
と、弘前は言った。
この時の会話は、すでに五月病から抜けた雄二が、自分が我に返った時、初めて妹の様子がおかしいということに気づいたことから、弘前に相談してきた時のことだった。
弘前とすれば、
「五月病が抜けたことで、俺に心配かけたという気持ちで、連絡をくれたに違いない」
という思いだったが、まさか、それだけではなく、妹のことの相談まであろうとは思ってもいなかった。
だが、話をしているうちに、何か気になることもあるように感じたので、
「どうかしたのか?」
と、戸惑っている雄二の背中を押してやると、まるでところてんを押し出すように話し始めたのだった。
一度堰を切って話始めると、水はどんどん濁流となって流れ込んでくる。底も見えない状態に、雄二は必死になって話しかけてくる。
「まあまあ」
となだめているつもりであったが、雄二の様子にただならぬ雰囲気を感じたので自分のことのように、前のめりになっていた弘前だった。
「まだ、五月病が完全に治っていないのかも知れない」
とも思ったが、この様子を見て。
「ひょっとすると、完全に治りいっていない雄二を見て、中二病の気があった裕美は、その発症を促す結果になったのかも知れない」
とも感じた。
そうなると、きっかけは裕美本人なのだろうが、その背中を押したのは、雄二の五月病だということになる。この兄妹は、お互いに今まで精神的な病気があったわけではないので、一度に偶然起こったというのも考えにくい。それだけに、背中を押したという考え方は理にかなっているかのように思えたのだ。
中二病として、いくつか紹介されているが、
「洋楽を聞き始める」
「うまくもないコーヒーを飲み始める」
「売れたバンドを、売れる前から知っているといって、ムキになる」
「やればできると思っている」
「親に対してプライバシーを尊重してくれと激昂する」
「社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると、アメリカって汚いよなと急に言い出す」
などということが紹介されている本があるという。
また、承認欲求や、自己同一性という二つの心理から生まれるといっている人もいるという。
空想と現実の分かれ目が分からなくなるなどというのも、一種の中二病ではないかと思われるが、それを感じた時、
「それって、ドン・キホーテのような話のようだな」
と、雄二が言ったのを思い出した。
あの話は、雄二がいうには、
「ドン・キホーテという話は、騎士道物語の読みすぎで、現実と物語の区別がつかなくなった郷士が、ミスからを遍歴の騎士と任じて、冒険の旅に出かけるって話なんだよ」
というのだ。
「なるほど、現実と空想の区別がつかないという意味では、中二病のような発想に近いのかも知れないな。ちなみに、あの物語っていつ頃のことなんだい?」
と言われた雄二は、
「確か、十七世紀に入った頃じゃなかったかな? 日本でいえば、関ヶ原の戦いの後くらいなので、ちょうど、江戸時代に入った頃のことかな?」
という。
「ということは、西洋では、すでにその頃から、中二病的な発想が精神疾患の中には考えられていたということになるのかな?」
と弘前がいうと、
「そうかも知れないな。ただ、それを精神疾患としてとらえていたかどうかは、分からないンけどね」
と、雄二は言った。
「ドン・キホーテというと、有名な話があるだろう?」
と弘前に言われた雄二は、
「ああ、風車に向かって突進していく話だね?」
「うん、そうなんだ、君はあれをどう思うかね?」
と雄二に聞かれ、