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中二病の正体

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 もっとも、大学に入学してからすぐの頃は、お互いに気を遣ってか、連絡を取ることはなかったが。それをありがたいと思っていたのは、雄二の方だった。
 実は当時、湯治には、
「何か理由は分からないけど、寂しさがこみ上げてきているような気がする」
 と感じていた。
 弘前の方は、別に寂しさも何も感じていなかった。大学に行く毎日が楽しく、梅雨前くらいは、
「どのサークルに入ろうか?」
 という平和的なことを思っているだけだった。
 友達も大学生としては、多すぎもせず少なすぎもしない。大学というところは、こちらから話しかけることはなくとも、相手から話しかけてくるところである。だから、話しかけてきた相手にいかに合わせるかというのが、大学生活での最初の問題であり、だからこそ、高校時代までの友達の存在を忘れてしまうほどになるのも、無理もないことだったのだ。
 だが、雄二の場合は少し違った。
 入学した大学で、お約束のように、友達でもない連中が声をかけてくる。雄二は最初の頃はちゃんと返事をしていたが。そのうちに返事をしなくなっていた。億劫だというよりも、返事を返している自分を想像することが嫌だったのだ。
 生真面目な性格が、こんなところでも違和感として出てくるのだった。
 まわりが、そのことを悟って、話しかけなくなってくる。
「やっと、清々した」
 と思うのだが、一抹の寂しさが襲ってくる気がした。
 だが、それは寂しさではない。寂しさではないと分かっていながら、寂しさとして納得させようとする、矛盾している考えに、違和感を感じていたのだった。
 自分にとって、寂しさが何であるか、そのことを真摯に考えようとしたのは、その時がひょっとすると初めてだったのかも知れない。
 そう思うと、今まで自分が真摯な気持ちで生きてきたということを、自分で否定しようとしているかのようで、嫌だった。
 その思いを寂しさとして、一絡げにしてしまっているように思えた。
 それが、
「五月病」
 であるということを、雄二は分かっていなかった。
 五月病という名前はもちろん、どういうものを五月病というのかということも分かっていたはずなのに、それを自分で結びつけることができなかったのだ。
 もし、これを弘前に話していれば、
「それは、五月病というものだ」
 と教えてくれただろう。
 弘前だけではなく、その時自分のまわりにいた友達だって、それくらいのことは気づいたはずだ。
「気づいたことも気を遣って話すことができないほどの友達しかいない」
 ということが、雄二にとっての五月病を引き起こす要因だったのではないかと言えるのではないだろうか。
 そんな五月病であるが、それはあくまでも、個人差というものがある。だから、罹る人は結構いるといわれるが、実際に罹った人を見るということは珍しいといわれる。
 それよりも、自分が五月病に罹ってしまい、まわりを見る余裕がなかったからではないかというのも一つの説ではないだろうか。
「五月病」
 という言葉と、寂しさ、いわゆる、
「やるせない寂しさ」
 という言葉が、切っても切り離せない関係にあるというのも、まんざらウソでもないかも知れない。
「五月蝿」
 と書いて、
「うるさい」
 と読むが、五月というのはいろいろと比喩する言葉として当て嵌まるものが多い。
 五月の中で一番最初に思いついたのが、この五月蝿いという言葉だというのも、実に皮肉なことであろうか。
 そんな五月病に罹ってしまったことを、まわりの人は分かっていたようだ。その症状から、
「五月病だろうね。一時期は きついかも知れないけど、すぐに治るから心配しなくてもいいって」
 と、義母が弘前に話してくれた。
 きっと、父親と話をして、父親から諭されたのだろう。確かに五月病はうつ病のような感じになるが、ほとんどは、一過性のものであり、すぐに治るものである、
 そもそも、五月病というのは、誰が罹るというのだろう? 社会人になっても罹るといわれるが、社会人と大学生とでは、天と地ほどの違いがあるので、そのギャップに苦しむというのは分かるが、大学生というと、逆にそれまで縛られていた。あるいは、自らが縛っていたタガが外れて、開放的になるはずなので、それのどこに寂しさであったり、うつ病のような気持ちになるというのだろうか?
「大学生における五月病というのは、それまで自分を縛り付けておくことで、一つの目標に向かって、余計なことは考えないでよかったんだが、大学生になると、急にそのタガが外れて、いい言い方をすれば、開放的になるが、悪くいえば、何事も自分で考えて判断しなければいけなくなる。それまでは、まわりが腫れ物にでも触れるように接してきたが、今度はそうはいかない。すべて自己責任になるんだ。それに耐えられないと思うのが、五月病なんじゃないかな?」
 と言っている人がいたが、
「まさにその通りかも知れないな」
 と、弘前は話を聞いて納得がいった気がした。
 だが、弘前には、そのような五月病はなかった。高校時代は、自分の方が雄二よりも縛られているという感覚が強かった気がする。気を遣っていたのは雄二の方であって、高校時代に余裕がなかったのは、弘前の方だった。
 考えてみると、余裕があったからこそ、余計に不安を感じたのかも知れない。
 高校時代には、それなりにリーダーシップが取れていたのだが、今度、大学に入ると、皆に余裕があり、それだけに上下関係もハッキリとしている。
 しかも、今までどこにいても輪の中心という感じだった雄二にとって、大学一年生というのは、一番下で、上下関係では、どんなに優秀であっても、一番下の学年なのだ。
 どちらかというと実力主義を考えていた人間が、今度は、年功序列のような、封建時代を思わせる身分制度を感じさせられると、理不尽に考えたとしても無理もないことだ。
「時代を逆行しているではないか」
 と思ったことだろう。
 特に歴史は好きな科目で、歴史を理屈から理解していた雄二にとって、
「時代には流れというものがあり、それに逆らうようなことをすれば、確実に時代は後退するものなんだ。それを歴史は実際に証明しているではないか」
 と言っていた。
「例えば?」
 と聞くと、彼は三つ、大きな歴史の転換期を語った。
「まず、一つは、乙巳の変と呼ばれる一連の事件からの大化の改新時代のことだね。あの時代は、海外と平等に付き合っていこうとして、仏教を厚く保護しようとした蘇我氏と、新羅に陶酔し、助けようとした、中臣鎌足や中大兄皇子らが日本古来の宗教を推し進めようとした流派にクーデターを起こされてしまったことだね。今までは、自分たちの独裁を目論んだ蘇我氏を、中大兄皇子や中臣鎌足らが、成敗したといわれているけど、実はそうではない。ある意味、聖徳太子がやろうとした改革の前にまで戻ってしまったといってもいいだろう」
 といった。
 これが一つ目で、二つ目は、
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次