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中二病の正体

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 その気持ちは、その日だけのことのはずだったのだが、ぎこちない雰囲気が残ってしまったのが、雄二と裕美の兄妹においてだった。
 やはり、二人が本当の兄妹ではないということがネックになっているのか、意識をしていないつもりでも、意識の中で渦巻くものがあるというのを、お互いに分かっているのであろうか?
 考えてみれば、雄二と裕美の兄妹は、微妙に年の差があった。普通の兄妹であれば、六歳差というのは、結構なものではないだろうか。
 これが成長して、三十歳代、四十歳代であれば、そこまで離れているという意識はないかも知れないが、十歳代であれば、かなりのものであろう。
 それは兄から見た妹というよりも、妹から見た兄の方がその意識は強いのではないかと思えるが、意外と上から見る方が遠くに感じるということはあるもので、この時の裕美の感覚が微妙に違っているのが、その後の裕美の気持ちに変化を与えたと考えるのも、無理のないことだったに違いない。
 小学生の頃の裕美と、中学二年生になった時の裕美では、まったく違って見えるたのは、弘前であった。
 小学生の頃は、
「友人の年の離れた妹」
 という意識しかなかったが、今では、制服を着ている裕美を見るとドキドキする自分を感じる。
 たまにしか見ないのであれば、それも無理もないことのように思うが、ちょくちょく家にも遊びに行っていて、頻繁に顔を合わせているにも関わらず、このような気持ちになるというのは、弘前としては、照れくさい気持ちになるのだった。
 ただ、この気持ちは、裕美に対しての気持ちから向いたものではなかった。もし、裕美に対して向いているとすれば、裕美の視線とどこかで重なって、二人がその後、お互いを意識するようになるというのも無理もないことだろう。
 弘前が裕美を見ていたのは、
「裕美が大人の女になってきている」
 という意味での視線であり、裕美個人に対しての、弘前本人の気持ちからではなかったのだ。
 一種の、
「男としての目」
 だったといってもいいだろう。
 したがって、裕美の視線は、相手を大人として見ている視線ではなかったのではないだろうか。
 見ているつもりであっても、まだ実際の裕美はまだ子供であって、身体は大人に成長しているが、精神状態は子供だtたという、中途半端な状態だったのかも知れない。
 そのことを、裕美も弘前も気づいていない。その場にいた人の中で、そのことに気づける人がいたとすれば、義母だけだったのではないだろうか。
 雄二にとっては義母と言っても、裕美にとっては、本当の母親である。しかも、雄二の母親ではない。
「こんなことを感じてはいけない」
 と思いなgらも、裕美は、母親のことを、
「自分だけのものだ」
 という意識でいたに違いない。
 その感情が裕美の中で、雄二に対しての思いと、弘前に対しての思いとを複雑に絡ませて、まるで、
「負のスパイラル」
 を形成しているようだった。
 裕美にとって、兄である雄二の視線の暖かさが、自分の甘えを増長させてくれているようで嬉しかった。まだまだ甘えたい子供の気持ちを感じていた半面、身体は大人への移り変わっていることだけは意識しているので、精神はまだまだ子供だとは思いながらも、どこか、納得のいかない自分がいることを感じていた。
 そんな裕美が憧れていると思っている弘前が、自分のことを見つめていることになぜ気づかなかったのか。裕美が、弘前の視線を感じるようになったのは、弘前の最初の視線と、様相が変わってきてからのことだった。
 少し目線が変わってきたことで分かるようになったのだが、その意識は弘前が裕美を大人の女だと感じ、それまでの照れ隠しではなく、心身ともに大人の女になったという意識を持ったからではなかったか。
 裕美はそのことを分かるはずもなく、弘前の方は、裕美のことを女としてというよりも、女性としての紳士的な視線で見ることができるようになったことで、裕美が自分を見ていることに気づいたのだと考えていた。
 二人の間の感情は、誰であろうとも入り込むことはできなかった。それがいくら兄である雄二であっても同じことで、もし、雄二が入り込むことができる場合があるとすれば、
「兄としてではなく、男として裕美のことを愛するようになった時だ」
 と言えるのではないだろうか。
 雄二には、裕美のことを女として見ることはできなかった。
 確かに、一緒に住んでいて、ドキドキしないわけではなかった。
 異母兄弟だとはいえ、父親が同じなので、血が繋がっていないわけではない。その思いがあるから、雄二は、妹を愛することはできないのだと思っていた。
 しかも、生まれた時を見ていて、自分が子守をしていたという意識が強い。
 その思いの強さが、血の繋がりという意識とともに、裕美との間の結界を意識することなく、結界をやり過ごしているのだろう。
 弘前は、その頃もまだ、頻繁に坂口家を訪れていた。
 祝賀会を境に、裕美が家にいることは少なくなった。
「今日も裕美ちゃんいないんだ」
 と雄二に聞くと、
「ああ、そうなんだ。最近、新しい友達ができたようで、その友達のところに行っているんだ。今までだったら、お前が来る時は特に家にいることが多かったような気がするんだけど、どうしたんだろうね?」
 というではないか。
 弘前はそれを聞いて、ホッと一安心だった。
――そうか、裕美ちゃんも友達ができて、出かけているだけなんだ――
 と、嫌われたくないという思いもあってか、裕美が家にいないことの理由を聞かされたことで安心する自分が少し恥ずかしい気もしていた弘前だった。
 雄二は、裕美と弘前の微妙な気の遣い方に気づいているわけではなかった。むしろ、雄二としては、裕美が誰かを好きになるのであれば、弘前が一番いいと思っていた。しかし、そう思えば思うほど切ない気持ちになるのは、仲良くなっていく二人を見ている自分が辛い気持ちになるからだということを、その時は分かっていなかったに違いない。
 公立大学に一発で入学できるだけの頭は持っているが、あくまでも勉強を中心とした頭ということで、機転を利かせたり、自分の発想をさらに豊かにさせるといった。そんな頭脳ではないのだ。
 雄二は堅物ではないと思うが、こと妹のことになると、思い込みがどこかにあるからなのか、頭が固くなってしまうようなところがある。それが、
「兄妹としての感情」
 なのか、それとも、
「兄妹としての気持ちをさらに進展させたところに存在している結界の向こうにあるものなのか?」
 という感情を、雄二には想像できるほどの精神的な余裕がなくなっていたようだ。
 雄二のどこにそんな気持ちがあるのか分からなかったが、気が付けば、この二人にそれぞれ、何かが迫ってきていることに気づかなかった。しかも、それが二人ともお互いに時期を違わずということだったのは、年齢的には必然であるが、本当に必然なのかどうか、誰が分かるというのだろうか?
 雄二と弘前は大学生になったが、付き合いは続いていた。そこに、妹の裕美が絡んでいるということを二人は分かっているのだろうか。裕美がいなければ、弘前が、坂口家にいく理由がなくなるからだった。
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次