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中二病の正体

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 戦争がどのようになっているかという正確な情報を掴めていないのに、外交などありえるはずもない。
 日本としては、勝ち進んでいるつもりで話をしても、相手国からは完全に舐められてしまい、日本という国がいかに歪な体制なのかということを、他国も思い知ったことだろう。
 そんな時代に、東条英機は、かなりのストレスを感じていたことだろう。
 日清日露戦争においては、明治の元勲が軍や政府を握っていたのでうまくいっていたが、大正、昭和と時代が進むうちに、軍が独断専行するようになり、もはや、日本という国は、政府と軍が、一緒になっての戦争を遂行などできない体制になっていたのだろう。
 そのため、東条英機は天皇に上奏し、
「憲法違反ではない」
 として天皇を説得し、陸軍大臣と参謀総長の兼任、さらに海軍大臣と軍令部部長との兼任を認めさせた。
 そのため、まわりから、
「独裁化」
 を恐れられ、暗殺計画がいくつも練られたという話もあるくらいだ。
 これが、東条内閣を崩壊させた原因であり、すでにその時には、日本は組織的な戦争が継続不可になってしまっていたのだ。
 日本におそんな時代が、つい最近まではあった。しかし、軍というものを、今の日本ではあまりいいイメージで残ってはいない。
「国民を見殺しにする」
 と言われていることもあるが、実際のかつての日本軍は、そんなことはなく、本当に、
「国民のための軍隊だっと」
 と言えるだろう。
 日本がかつて戦争をした国や、戦後、冷戦時代において、戦争を引き起こし、代理戦争と言われた時代の軍隊などは、
「国民のための軍隊:
 などでは決してなかった。
 何といっても、軍が押されて敗走していく時、軍は、自分の国でありながら、滞在していた村を焼き払っていくというような話を聞いたことがあった。
「放置したまま逃げれば、やがてやってくる日本軍が、略奪、強盗、暴行を繰り返すので、みすみす相手に食料や弾薬を取られるくらいなら、最初に焼き払っておく」
 というのが理由だというが、確かに、せめてきた国に食料や弾薬を奪われることを思えばと思うのも無理がないかも知れないが、日本軍であれば、国内でそんな状態になったとすれば、そんなことはしないだろう。
 細かいところでの部隊によっては、そういうこともあったかも知れないが、軍規にはそんなことは禁止していたはずだからである。
 日本軍は、そんなひどいことをせず、逃げる人も一緒に敗走していたはずだからである。
 きっと日本軍が、
「血も涙もない」
 という印象を持たれたのは、大東亜戦争における、
「玉砕」
 であったり、
「神風特攻隊」
 のような、死を恐れないという精神が、歪んだ発想を持たせてしまったのだろうが、基本的には、日本の軍隊は、
「国民を守る軍」
 だったはずだ。
 さらに、日本の軍国主義を象徴するものとして、
「生きて両州の辱めを受けず」
 という。言葉があるからであろう。
 これらは、
「相手の捕虜になってしまうと、辱めを受けらせれた上で、最終的には殺される」
 ということを言っているのであり、そんな状態になることを思えば、潔く死を選ぶのがいいという精神論であった。
 確かに、捕虜に対しては、
「ハーグ陸戦協定」
 で、国際法としての捕虜の扱い方が決まっていて、凌辱をしてはいけないことになっている。
 しかし、何と言っても戦争である。殺し合いの中に、家族や身近な人が虐殺されたりしたという経験をした人も多いだろう。そして、戦場では、まるで人が虫けらのようにどんどん死んでいく。そんな光景を見せられれば、まともな神経などマヒしてしまっているに違いない。
 そんな戦争というものを経験していると、軍に対しても、極悪非道というイメージがついてしまうのではないだろうか。しかも、戦争が終わって、占領軍から、
「軍国主義は悪いことであり、大日本帝国をまるで犯罪集団のような教育を施されていれば、当然、そんな感覚になってしまう」
 というものである。
 戦争ともなると、日本に限らず、軍の将は、基本的に責任を取らないといけなかったりする。
 サイパン陥落の際の、玉砕が決定した際の、軍司令官たちは、三名ほどが、責任を取っての切腹を命じられた。
 これは、玉砕で死ぬことを思えば、楽な死に方だったのかも知れない。
 自分のタイミングで死ぬことができるのだ。玉砕ともなると、武器を持ってはいるが、ほぼ、抵抗しない。
 戦争映画などで見る玉砕シーンは、アメリカ軍に向かって、軍人、民間人が集まってきて、
「海ゆかな」
 を歌いながら、行進してくるのを、アメリカ軍が、圧倒的な火力で攻撃してくる。
 逃げることはできない。相手は誰を狙うわけではなく、集団に向かって弾丸を打ち込めば、一発で数人が倒れるという感じである。
 アメリカ兵もそんな玉砕などという光景を想像もしていなかっただろう。
 神風特攻隊の場合は、自分たちの空母に向かって、突っ込んでくるので、自分たちの命も危ないが、玉砕の場合は、日本人は集団自殺を試みているだけである。
 それこそ、
「生きて虜囚の辱めを受けず」
 という戦陣訓を守るためというだけのことであり。相手は打ってこないのだ。
 そんな状態で、迫ってくる日本人を、ただ撃ち殺していくだけという状況に、
「何が戦争だというのだ」
 と、さぞやビックリしたことだろう。
 それも、日本の教育における。
「立派に天皇陛下のために、生きて、そして天皇陛下のために死んでいく」
 という考えを実践しているだけのことである。
 玉砕などというと、これは、軍隊に脅迫されて行う行動ではない。あくまでも、民間人が自分たちの意思で行っていることであろう。
 ただ、死にたくないという人もいたのは事実で、そんな連中までもが一緒になって玉砕しなければいけないというのは、ある意味理不尽だ。
 しかし、玉砕しないといけない状況になれば、その時の精神状態で、
「俺だけでも助かりたい」
 と思う人が果たしているだろうか?
 もし、皆が玉砕する中で、その作戦に参加しなかったとして、当然アメリカ兵は、日本人を掃討することを考えるはずだ。
 生き残っていれば、捕虜にしようとするだろう。
「捕虜になれば、何をされるか分からない」
 という教育を受けているんのだ。
 普通の精神状態だったら、玉砕して果てるという方法を選ぶに違いない。
 だから、
「語句債が行われれば、大本営には、生存者ゼロと伝えられることに違いない」
 玉砕や神風特攻隊が、果たして間違っているのかどうか、今の自分たちにそれを言う権利はない。
 それは、まるで、
「生殺与奪の権利もないのに、自分で命を絶たなければいけなかった状況に陥った人たちを裁くようなことが、できるわけがない」
 と言えるのではないだろうか。
 大日本帝国における政府や軍部は、自分たちが民間人や自軍の兵に対しての、
「生殺与奪の権利」
 を持っているとでも思っていたのだろうか?
 ただ、戦争を始めた以上、それを遂行する義務は。政府や軍には存在する。
「相手に勝つにはどうすればいいか?」
 というのが一番ではあるが、
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次