小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

中二病の正体

INDEX|22ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 まず勝つということがどういうことなのかをどこまで理解できているというのだろう?
 元々は、
「緒戦で相手の出鼻をくじき、ある程度までの戦果を挙げたところで、講和に持ち込んで、一番いい条件のもとに講和を行う」
 というのが、戦争突入の意義であり、日本が唯一生き残れる道だったはずだ。
 しかし、最初に、
「無敵の日本軍」
 という実績を作ってしまったために、今度はやめ時を見失ってしまったのだ。
 そのため、無謀な戦争を資源もないことを忘れ、さらに、戦線が拡大してしまったことで何が起こるのかということを忘れていたのだ。
 天皇陛下が、戦争継続の可能性を陸軍参謀に聞いた時、参謀は、
「三か月程度で太平洋はかたが付きます」
 と言った。
「根拠は? おまえは中国もそれくらいで相手が降伏してくるといっただろう?」
 と言われて、
「中国大陸は奥が深く、広いです」
 と答えると、
「太平洋は、もっと広いではないか」
 と諫められたという。
 それほどまでに、軍部は、戦争に前のめりになっていたということであろうか、あるいは、五分五分という発想だったということであろうか?
 生殺与奪の権利を人間が持つという考えは、ほとんどの宗教においては、戒律によって、禁止されている。いわゆる、
「モーゼの十戒」
 においてもm
「人を殺めてはならない」
 というではないか。
 これは他人だけではなく、自分も含めてのことである。ただ、その発想がその地域、その時代の風俗習慣、そして時代背景によって、さまざまな悲劇を生んできたのも事実だった。
 戦国時代の悲劇のヒロインの一人として有名な、細川たま(ガラシャ)は、元々は明智光秀の娘として、細川忠興に嫁いでいて、父親の謀反によって、隠匿生活をさせられたりと、不遇な人生を歩んでいたが、最後は、関ヶ原の合戦前夜に、上杉征伐に向かった夫の留守をついて、石田三成が味方を増やそうとして、京都に残っていた家族を人質にしようとたくらんだ時、彼女は、自ら人質になることを認めず、夫のために自害を考えたのだが、彼女はキリシタンとなっていて、
「自殺は許されない」
 ということになっている。
 そのためにどのようにしたかというと、配下の人間に自分を殺させるという方法をとったのだ。
 形式的には、殺されたことであるが、実際には、殺してくれるように頼んだということなので、果たして、戒律を破ったことにならないのか? という疑問は残るだろう。
 しかし、現在まで、このお話は、
「夫を支える忠実な妻の悲劇」
 として語り継がれている。
 江戸時代に入って、キリスト教弾圧の手前、そういう発想になったのだろうか?
 何と言っても、戦国時代の戦国大名の中には、
「キリシタン大名」
 と呼ばれる人はたくさんいた。
 大友宗麟などの大名や、大名ではないが、有名武将として、明石全登などの有名武将もキリシタンだったりする。
 そもそも、キリシタンというのは、
「人を殺めてはならない」
 と言われているはずなのに、他の大名や武将のように、戦国時代を戦に明け暮れているではないか。
 そんな人たちだって洗礼を受けて、晴れてキリシタンになれるというのは、果たしてどいうことなのだろうか?
 そんなことを考えると、
「神も仏もあるものか」
 という考えだって普通にありうることなのではないだろうか?
 そもそも、宗教の戒律をすべての人間が守っているというのもありえない話で、よくよく考えると、今まで起こってきた戦争や紛争の原因で一番多いものとしては、
「宗教がらみ」
 ではないだろうか。
 特に、ヨーロッパで起こった十字軍などというのは、聖地エルサレムをめぐってお遠征であり、これこそ宗教戦争の代表ではないだろうか。
 表に出てきていない戦争の理由だって、実際にはその裏に宗教が絡んでいることだってあるだろう。それを思うと、戒律をどこまでどう考えているかなど、所詮は人それぞれだといえるのではないだろうか。
 今の世の中で、新興宗教が嫌われたり、宗教自体を毛嫌いしている人が非常に多いというのは、そのあたりに原因があるに違いない。
「生殺与奪の権利」
 それは、人間が持つべきものではないといわれるのは、分からなくもない。
「では一体誰にその権利があるというのか?」
 それを神だというのは、これほど怪しい発想はないのではないだろうか。
 そもそも、宗教というのは、この世で救ってくれるという発想ではなく、
「死んでから、極楽に行ける」
 というものだ、
 この世でみんなが救われるのであれば、皆、それぞれ宗教に入っているはず、宗教も国家もそれぞれに人心を掌握し、世の中をいかに動かすかということでは代わりのないものだ。
 そんな宗教に、本当に、
「生殺与奪の権利」
 など、あるというのだろうか?

                  大団円

 五月病から抜けた雄二と、中二病に罹ってしまった裕美は、お互いにSMの関係が続いていた。
 これは、裕美が中学生に入った頃から始まったもので、最初に言い寄ってきたのは、裕美だった。
 雄二には裕美が、
「Mではないか」
 ということは薄々感じてたようだ。
 裕美の方も、兄に対して、兄としてよりも別の感情を抱いていて、それが何から来るのか分かっていなかったのだが、中学に入った頃に、兄のS性に気づいたのだ。
 それは裕美がまだ思春期に入っていなかった時期だったが、ちょうど初潮を迎えた頃で、精神よりも先に身体が大人に変わりつつあった頃だったのだ。
 まだ、精神的に追いついていない間に、肉体的に目覚めてしまい、兄である雄二に身を任せることにしたその時から、裕美は自分が中二病になっていたことを漠然と理解していたのだろう。
 中二病というのが恥ずかしいことであり、それを、
「許されないことだ」
 と感じていたのは、
「キリシタンである細川たまが、自殺できない自らの命を絶つにはどうすればいいか?」
 と考えた時と、どこか似ているような気がする。
 肉体的には大人になりつつあったが、精神的にはまだまだ子供だった裕美にとって、精一杯の背伸び、それが、兄へのSMの関係の容認という考えだったに違いない。
 裕美は歴史が好きだったので、中学に入った頃には、すでにいろいろな歴史の本を見ていた。
 その中で、この細川たまの話を見た時、
「どこか、他人のような気がしないわ」
 と感じたのだろう。
 まるで自分の気持ちの中に、細川たまがいるような気がした。兄に対しての、これもタブーではないかと言われる、
「SMの関係」
 それを思うと、これからの自分をいかに考えればいいのかということを思い悩むようになっていた。
 さらに、裕美は自分を見ている兄の親友である弘前の熱い視線も感じていた。
 その視線は、本当は兄である雄二に感じたいものだったが、明らかに視線の熱さには、温度差があった。
 弘前の視線は、暖かく包まれるようなものであり、兄の視線は、近づいただけでやけどしそうなほどだった。
 本当であれば、
「逆のような気がするんだけどな」
 と、弘前に対してというよりも、兄の雄二に対して感じることが多かったのだった。
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次