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中二病の正体

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 逆に自粛警察は、いじめられている人を助けようとしている人に近いのではないかと思うのだ。
 だから、必要悪ではないかと感じるのだが、その問題は、一種の、
「スパイラル」
 を生むのではないかと思うのだ。
 つまりは、皆が一つのことに対して、我慢をしている状態で、それを破っている一部の人間を、政府や行政が表立って取り締まることができないことで、出てきたのが自粛警察だ。
 彼らがもしいなければ、下手をすれば、無政府状態になるかも知れない。特に日本では戒厳令やロックダウンは認められていない。それを思うと、民間で自粛警察のようなものがなければ、そもそも、緊急事態宣言などというものを出しても意味がないだろう。
 日本でも、最初は政府の指示通りに、ほとんどの店が閉まっていて、営業しているところは少なかった。どうしても営業しないと世間が回らないという、例えば交通機関などのインフラであったり、スーパーやコンビニ、薬局などの市民生活でなくてはならないものは開店していた。
 しかし、やむおえないということで、感染対策をきっちりとして営業しているパチンコ手などが、集中的に叩かれた。それが自粛警察によるもので、事情も汲まずに、正義をひけらかすから、自粛警察が悪いかのように言われた。
「自粛警察イコール、パチンコ屋を攻撃していた連中」
 という構図自体が間違っているのではないだろうか。
 ただ、そんな自粛警察を叩く、自粛警察警察のようなものが生まれてきたのも事実で、こうなってしまうと、何が正しいのかということが分からずに、曖昧になってしまうだろう。
 自粛警察を必要悪だとするならば、それをさらに取り締まる自粛警察警察はどうなるというのか? 訳が分からなくなってくるのだった。
 弘前は、自分が小学生の頃、友達から苛めを受けていたのを思い出した。
 苛めと言っても、それほど陰湿なものではなく、どちらかというと露骨あものだった。
 しかし、自分を苛める人に対して、
「何で、俺を苛めるんだよ?」
 と聞くと、
「何でだか分からないけど、苛めたくなるんだ」
 としか言わなかった。
「そんな、酷いじゃないか」
 と言っても、
「うるさい、しょうがないじゃないか」
 としか、苛める連中はそうとしか言わないのだ。
 しかし、苛められる方としては、
「理由もなく、何で苛められなければならないんだ」
 と、いう理不尽さしか感じない。
 その時、ふと考えたことがあった。
「もし、俺が苛めっ子の立場だったらどうなんだろう?」
 と考えたのだ、
 きっと、自分には何かまわりの人が苛めたくなるようなそんな思いを抱かせる何かがるのだろう。その証拠に、自分を苛めている連中は集団で苛めてくることはない。すれ違いざまにいきなり、足を蹴っ飛ばしてきたり、殴りかかってくるような感じなのだ。
 だから、彼らの行動を予見することはできない。彼らも、いきなり攻撃する気になったようで、苛めた後、表情が変わることはない。
「いや、苛めている最中でも、表情が変わることはないんだ」
 とも感じていた。
 だから、時々、自分を攻撃した後、反射的に謝ってくるやつもいた。
「ごめんなさい」
 というのだが、そこに、本当に謝罪の気持ちは含まれていないようだ。
 まるで苛めたという事実を忘れてしまったかのように、謝った本人は、キョトンとしている。謝った理由が何なのか分かっていないかのようだった。
 そんな状態なので、謝罪は本心からではない。
「本気でなければ、謝ってなんかほしくない」
 と、却って怒りがこみあげてきて、相手を睨み返すと、やっと相手が安心したかのように、上から目線を示す。
 それは、やつがなぜ謝るようなことをしてしまったのかということ、つまり自分が、
「苛めをしたんだ」
 という意識が芽生えたからに違いない。
 つまり、弘前の不満に満ちた顔が、相手に何かを気づかせ、納得させたのだろう。
 こんな苛めっておかしいのではないだろうか。相手が苛めたことを意識もせず、苛められた人間の態度によって、そのことを意識させられ、苛めたということで安堵する状態に陥るというのは、まるでその瞬間だけ、自分たち二人だけが、別世界にいたかのような錯覚を覚えるのだった。
 それが、小学校三年生くらいのことだろうか。それを苛めというには、あまりにも幼すぎるのかも知れないが、理不尽に苛められるという方は、本当にたまったものではない。
 弘前も、中学生くらいになると、学校で、
「苛め」
 という問題があるということは、話には聞いていた。
 しかし、中学生などというのは、まだまだ遠い未来のお話だと思っていたので、自分に苛めは関係ないと思っていた。
 これは、弘前に限ったことではないだろう。誰もがそう思っていることであり、自分を苛めている連中も、同じように思っているかも知れない。
 だから、学校で苛めという意識を誰も持っていない。先生も、
「まさか、小学三年生で苛めなんかあるはずない」
 と思っていることだろう。
 何しろ、いきなり苛めとして一瞬攻撃してくるだけであり。しかも、それについて、苛めた方は一切、悪いと思っていない。なぜなら、意識がないからだった。
 それ以外の時は、自分を苛める連中は、結構優しかったりする。面倒をよくみてくれる連中もいた。
「俺たち、友達だからな」
 と言っているが、
「影で苛めているくせに何言ってるんだ」
 とは思ったが、それを口にするようなことはしなかった。
 そんな友達の家によく遊びに行っていた。最初は、
「二人きりになるから、苛めたくなるんだろうか?」
 と思い。
「遊びに来ないか?」
 と言われた時、二人きりになるのが怖くて、よく断っていた。
 しかし、断り切れなくなり遊びに行ってみると、別に苛められるようなことはなかった。それだけに、なぜ自分を苛めたくなるのかというその共通点が分からないため、どうしていいのか分からなかったのだ。
 確かに、弘前を苛める連中というのは、数人という限られた連中ばかりで、しかも普段は苛めなどするとは思えない連中ばかりだったのだ。
 それなのに、何が楽しくて苛めてくるのか訳も分からず、とにかくどうしていいのか分からないという状態だったのだ。
 そんな時、一人の友達が変なことを言い出した。
 やつは元々ませたところがあり、えっちな話も平気でするようなやつだった。えっちな話といっても、小学生がする話であり、まだ思春期にもなっていないので、聞いたとしても、それがどういうことなのかよく分からないので、聞き流すというのが、いつものことだった。
 そして、いまではそれが誰だったのかということを覚えていないのだが、それは小学三年生だったからだと勝手に思い込んでいたようだ。
 しかし、そいつがいうには、
「こんな話、お前にしかできないんだよ」
 というではないか。
 最初は、
「きっとそんなことはない。誰にでもしているんだろう?」
 と思っていたが、実際にその言葉にウソはないようだった。
 そんなやつが苛めに走るというのは、やはり弘前に対して特別な感情を抱いているからなのかも知れないが、その時はよく分からなかった。
 そんなえっちな話の中に。
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次